3. 小鼻と名前と御利益

 恥ずかしながら、私は浮かれていました。

 お二方ふたかたも出会ったばかりの頃、ふわふわと熱に浮かされたようになったことはございませんでしたか? 

 彼女が笑った時、小鼻にくいっと皺が寄りましてね。あ、もう一度見たい。このひとと仲良くなりたい。この機会を逃してはならない、と強く感じて、名乗りました。


「私の名前はクォンです」

 彼女こたえてわく「ん? うん。わかった。急になに?」

 へんじて私「まじない師さんに名を預ければ、御利ごりやくがあると思いました」「ないよ?」ですよね。知ってます。私は腹の内を明かします。

「あなたの名前を知りたいんですよ」

「わたしの名前にも御利益ないよ?」

「やや、あなたが気づいてないだけで、あるんじゃないですか? 商売繁盛とか」

「適当なこと言う」

 笠を傾け、人と猫の瞳が上目遣いに挑発するので「じゃあ試してみましょう。次に会うときには、儲かって儲かって、店なり家なり持ってますよ」と口にします。合わせましょう、辻褄を。


「へぇ? どうしようかな」と彼女が口をとがらせます。くそう、かわいいじゃないですか。負けませんよ。

「ナントカの恩返しって、昔話にもあるじゃないですか。通りすがりの人に親切にしたら、それが何倍にもなって帰ってくる。さぁ! いま! 絶好の機会です!」

 変な人だと笑われましたよ。そして、彼女の唇が動きます。

「ユエ。わたしは……ただのユエ」

 ユエさん。

 この後三十年、何度も口にした名前です。が、そんな積み重ねも関係性もまだありません。

 ちょっといい所を見せたくて「磁白シーイーの言葉で月を意味するお名前ですね」などと言いましたが、彼女はそっけなく「うん。じゃあそういうことで」と立ち去ろうします。

 引き留めたくて、聞いたばかりの名を呼びましたらユエさんは振り返り、でも足は止めずに言いました「あるといいね、御利ごりやく」。


 追いかけようとはしたんですが、ユエさんの姿は人混みに溶けて見えなくなってしまいまして。

 まるで獣が茂みや草陰に紛れ込むような巧みさでしたよ。化け猫と噂されるのもむべなるかな、なんてことを思いましたが、まさかの翌々日に再会しましたよね。


 私たちは全部で三回、偶然に出会いました。


 二回目に会った時、ユエさんは足をくじいて立ち往生してましたので、最寄りの町まで荷台に乗せて行きました。


 三回目は、ダンダラココというモノの怪の腹で出会いました。


 これらの事を、ユエさんは覚えていません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る