第29話 彼女と家出Ⅱ

 大家さんの家を後にしてからどれくらいが経っただろうか。もう分からなくなってしまう程に動き回った。辺りの明かりが徐々に消えていくの見て、心が苦しくなっていく。焦る気持ちが身を焦がして、切なさを加速させた。「もしかしたら、もう近くにはいないのかもしれない。もしかしたら‥‥‥もう、会えないかもしれない」そんな言葉が数分置きに頭を過る度、折れそうになる心を誤魔化し続けた。

 疲労が募り、近くの縁石に腰を落とす。足に強烈な痛みを感じて靴に視線を落とすと、靴底が酷くすり減っているのが分かった。靴の中の小石を鬱陶しく思い、吐き出させると、靴下が赤く滲んでいることに気付いた。足の裏の皮が破れて汚く映った。できたマメはつぶれ、そこから血が出ていることに気付いた。歩いている時はそこまで感じなかったけれど、いざ患部に気付いた途端、今まで気づかなかった痛みが沸きだしてくる。

 ポツリと鼻の頭に冷たい感触を覚える。暗くて気付かなかったが、月明りが見えない。雲で覆われているせいか。そんなことを考えているうちにみるみる降る雨の量は増していった。ホントに踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目、一人暮らしに猫だな。

一度どこかに避難するか。痛む足を堪えながら、俺は拙い街灯を頼りに大通りに面しているビルの屋根の下に一時避難した。

 雨と汗で濡れた服が体に張り付いて気持ち悪い。雨風が吹くたび、凍えて震える身体を摩った。街灯によって照らされた雨の線を眺めて、今まで我慢していたため息を、ついには零してしまった。

 ルビアは今どうしているだろうか。雨に濡れて、俺と同じように凍えてはいないだろうか。彼女のことを思いだして、また体が震えた。髪から頬を伝って雫が垂れそうになるのを、濡れた袖で拭った。こんな闇雲に探したところで、彼女が出てくるわけじゃない。もう一度よく考えてみるんだ。俺は何を間違えたか。いや、最初から間違いだらけだったんだ、探したところでキリがない。なら、彼女が居なくなった一番の理由は何だ。どうして出て行ったんだ。‥‥‥原因は俺か。結局、明らかにしなきゃいけないことを騙しだまし誤魔化してきた俺の責任。ルビアのタイミングで良いなんて都合のいいこと言って、上辺だけ取り繕って、真相に触れることにビビった俺のせい。今日の合コンに居たあいつらとまるで一緒じゃねえか。

 彼女の深層に触れるのが怖かった。そこに立ち入ってしまったら居心地のいい今の生活が壊れてしまいそうだったから。彼女が言いたくないことを無理に聞き出して、またあの顔をさせてしまうのがつらかったから。だから、踏み込めなかった。けれど、それじゃ駄目だったんだ。あの顔の先に行かなきゃ、俺と彼女の生活は成り立たなかったんだ。こんな状況になって、初めて思い知らされた。今更分かったってどうしようもないのに――。

 今は何時だろうか。もうとっくに携帯の充電は0%になっていて、時間を知るすべはなかった。最後に時計を見たのは大通り、メインストリート辺りを探していた時だ。あの時既に0時位だったはず。あれからどのくらいたったかなんてもう覚えてない。酷い眠気に襲われて、欠伸が零れた。こんな状況下でも、だらしなく欠伸が出る自分に嫌気が刺した。まあでも、こんな間抜けにはふさわしい醜態だろう。皮肉めいた苦笑いが零れた。

 重たくのしかかる瞼を何度も擦りながら、止む気配のない雨に見切りをつけて、ビルの雨よけから抜け出した。けれど、もう思いつくところは全て探し尽くしてしまった。痛む足、垂れそうになる鼻水、ふらつく体、ぼやける視界、行き先の宛ももうない。そんな状況で、路頭に迷い、それでも彷徨いながら、俺がたどり着いたのは、すべてが始まった路地裏だった。

 この街灯だ。この街灯の下ですべてが始まったんだ。今までの生活を思い出して、息苦しくなる。俺はそのまま建物の壁に寄りかかり、そのまま腰を落とした。汚いはずなのに、今はその汚さに心地のよさを感じていた。三角にたたんだ足を抱きかかえ、そのまま膝に顔を埋めた。もう雨に打たれ過ぎて、雨の感覚すら消えてしまった。

 なあ、ルビア。もう、遅いか?

 もうやり直すことは出来ないのか?

 今度はさ、ちゃんと向き合うから。

 だから、また話せないか?もう一度、声を聞かせてくれないか?お前のこと、もっとちゃんと知りたいんだ。俺のこともちゃんと知ってほしいんだ。

 まだ、お前と話したいこと、したいこと、行きたいとこ、何もできてないんだ。

 ホントは嘘ついてた事だって、まだ謝れてないし。

 お前に伝えなきゃいけないことだって、言えてないんだ。

 今度は逃げないからさ。だからさ‥‥だから、もう一度‥‥‥


 「もう一度、俺と一緒に過ごしてくれないか」

 「――私で、良いの?」


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