第17話 彼女と亀裂Ⅳ
「それじゃ改めて。初めまして、私はこのアパートの大家です」
「えっと、初めまして」
「まず、あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
「あ――ルビアです」
「ルビアちゃんね。 年はいくつなの?」
「十七です、今年で十八になります」
「そう、十八‥‥‥ね」
私が年齢を言った瞬間、大家さんの顔が曇った。何かまずい事でも言ってしまったのだろうか。
「ごめんごめん。ただ、孫と年が近くて姿が重なっちゃって」
孫というのは、さっきの女の子のことだ。あの人とやけに距離が近かったあの子。
って、別に私には関係ないけど。
「そうなんですか」
私は誤魔化すように適当に相槌を打った。
「じゃあ、本題なんだけど。あなたたちはどういう関係なの?答えづらいことかもしれないけど、立場上それは聞いておきたいことなの。ここに置いても良いのかどうか、私にはそれを判断する義務があるから」
やっぱり、その質問からは逃げられない。
なんて答えればいいんだろう。下手すれば、追い出されてもおかしくはない。私は前に戻るだけだけどあの人は違う。でも、正直に答えるわけにはいかないし、なら、あの人みたいに真実を混ぜて話すべきなのだろうか。
いや、私はきっとあの人みたいにうまくは話せない。だって、あの人の言葉は多分真意だけど、私は自分自身ですら偽っているから。
「素直に返事すれば、多分大丈夫」
ふと、彼が私に言った言葉を思い出した。
今はまだすべてを言える程、私は私のことを許せてはいないけれど、それでも今の私のできる範囲で真実を伝えようと思った。
私は私を信じてないけれど、あの人の言葉は信じられると思ったから。
「私があの人の居場所に勝手に居座ってるんです。何も危ないことはありません。あの人は私のことを救ってくれました。その後も、いや、それからの方がずっと優しくて、私の嫌がることは絶対にしないんです。私はそんなやさしさに縋ってるんです。だから、どうか、あの人をここに居させてくれませんか」
これが、今の私の正直な気持ちだ。
言えないこともたくさんある。あの人にも隠していることだってたくさんある。それでも、気持ちだけは偽りのないそのままの言葉を伝えたつもりだ。
「そう、分かったわ。あなた達の居住を認めます。とりあえず、落ち着いたら話の続きをしましょうか」
「え?」
大家さんに言われて、私は初めて、自分の目から涙が溢れていたことに気付いた。
「っ‥‥すみません。これは、違くて、その――」
「大丈夫、大丈夫だから。ゆっくりね」
何故涙が流れたのだろう。悲しかったわけでも、苦しかったわけでも、悔しかったわけでもないのに。
この時の私は、この涙の意味を知ることは無かった。
大家さんは、私の涙が止まるまで話を待ってくれた。
「止まったみたいね。それじゃあ、お話してもいいかしら?」
「‥‥‥はい、すいません」
「そうね、まずはルビアちゃんの生活が当たり前じゃないことは分かってね。世の中にはね、人のことを平気でだますような悪い人もたくさんいて、そんな世界で彼のような良い人に出会えたのは奇跡みたいなことなの」
「――はい」
「そして、ルビアちゃんがさっき言ったように彼は優しいから、居心地がよくなっちゃうかもしれない。でもね、彼はまだ学生なの。学業を修めながら、二人分の生活費を稼ぐのはね、例え親の援助があっても、とても大変な事なの。あなたがここで彼と生活することで、彼の負担となることはだけは忘れないでね」
「はい」
大家さんの言葉は、その一つ一つが私の胸の奥を正確に貫いた。
私はいたたまれなさに見舞われ、大家さんの顔から目を逸らした。
「厳しい事ばっかり言ってごめんなさいね。でも、ちゃんと聞けて良かったわ。これからは、ご近所さんとしてよろしくね」
一応、認めてはもらえたみたいだった。ようやく一難去った、と私は安堵して一息つく。
けれど、たった一難だ。これから幾度も向き合うことになるうちのたった一難でしかない。――これから幾度?
私の安心は、ほんの一瞬、ただ一つの自問によって簡単に打ち砕かれた。
「私は一体、いつまであの人に寄生するつもりなの?」
私は急に怖くなった。なんて図々しく、醜く、卑しいのだろうかと。
まるで、まるでアイツのような――
「あ、そうだ。ルビアちゃん」
「は、はい!?」
大家さんの呼びかけにびっくりしてしまった。
「彼に言えないような悩みとかあったら、遠慮しないで相談してね。私にできる範囲で協力するから」
何を言われるかと思えば。大家さんも良い人なのは分かった。それでも、私が殺人を犯しているのを知らない以上、あの人にできない話を、大家さんにすることは無いと思う。
そもそも、あの人にすら隠していることだらけなのに。
何を思ってあんなことを――いや。
「あの、大家さん」
「なあに?」
「――相談しても良いですか?」
一つだけ、あの人に話せないことで他の人に相談できることがあった。
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