第15話 彼女と亀裂Ⅱ

「それで、どういうことなんですか!」

「え、えっと――」

萌黄ちゃんの刺すような視線が痛い…。

萌黄ちゃんには日ごろのお礼も兼ねて勉強を教えたりしていて、浅からず縁がある。

何より、お世話になってる人たちに隠し事をしていた事実がどうしても俺の心に突き刺さった。

「それに、女の方なんて聞いてないんですけど!」

「ご、ごめん」

「い、何時からなんですか?」

「ちょうど一週間くらい前かな」

「一週間も‥‥‥。これは立派な契約違反ですよ、お兄さん!取るべき処置を取らせていただきます」

いつもは、あんなに可愛らしい彼女をここまで怒らせてしまったことを、俺は後悔した。

けれど、ここから立ち退くわけにはいかない。ここは家賃も安くて、生活費も稼がなくちゃいけない俺にうってつけの物件だ。

「ちょっと待ってくれ!言わなかったことは悪いと思ってる。でも、落ち着いたらちゃんと話そうと思っていたんだ。ちゃんと二人分の家賃も払うつもりだったし――」

「ふん、後からならなんとだって言えます!」

「萌黄ちゃん‥‥‥」

「明日までに、そこの人が立ち退けばお兄さんだけはここの居住を認めます。でも、それを拒否したらその時は――」

「ちょ、ちょっと――」

「これ、萌黄!何を勝手に決めてるの!」

「痛い!」

その時、萌黄ちゃんの頭を叩いたのは彼女の祖母、つまりここの大家であった。

「ごめんなさいね。本当は、アパートの人に連絡を回していただけなんだけど、萌黄があなたのところは「私が行く」って聞かなくって。ついでに一緒に住んでるかもしれないから、それとなく聞いてみてって言ったのに、この子はマスターキーまで持ち出して!」

大家はそのまま萌黄ちゃんの頬をつまんで引っ張った。

「ごめんなひゃい~」

「あの、大家さん‥‥‥」

「初めまして。ごめんなさいね、驚かすつもりは無かったのよ。ちょっとお兄さんとお話ししたいことがあってきたの」

大家は戸惑うルビアを気遣って優しく声を掛ける。

「あ、はい‥‥‥」

「それじゃあ、中に入れてもらおうかしら」

「‥‥‥はい」

「私もおじゃま――」

「あなたは帰って待ってなさい」

「‥‥‥はい」

萌黄ちゃんは渋々、自宅に戻っていった。

大家の話というのはきっと、この同居についてだ。

言葉や態度を誤れば、追い出されたっておかしくない。そう思うと不思議と緊張が体を支配した。

それでも、彼女と暮らすためには多分ここ以上に適した場所はない。だからなんとしても認めてもらう。そう意気込んで俺は部屋の中へと進んでいった。

 

「さっきはごめんなさいね。孫が横暴なこと言って」

俺の緊張は、大家のまったりとした空気感で完全に吹き飛んだ。

「い、いえ。元々俺が悪いんです。何も言わなかったこと。萌黄ちゃんも傷ついたと思います。大家さん、まずは、本当に申し訳ありませんでした。黙って居座らせて」

「あの子、ああ見えてあなたのこと慕っているから。ショックだったのかもしれないわね。まあ、あの子の言ったことは気にしないで。まあでも、あの子の言ったこともあながち間違いでもないのよね。本来一人部屋だし、それに黙って住まわせたってなると退去にするところもあるみたいだし」

「――そう、ですよね」

「たしか、彼女が住んでから一週間くらいって言ってたわよね?」

「え?はい。そうですが‥‥‥」

「一週間とちょっと前、ここの近くで殺人事件が起きた。私が知るあなたは、親の支援がない中でも真面目に働きながら大学にも通い、しかも清掃活動も参加してくれて一度も家賃を滞納したことがない、真面目で誠実な人。なのに、あの子のことは無断で一週間も住まわせてた、のよね?」

ドキリと心臓が大きく動いたのが分かる。

まさか、大家は彼女のことを疑っている?いや、彼女と俺のことを疑っているのか。

俺は自分の甘さを痛感していた。警察でも何でもないただの大家にすらバレそうになっているのに、この生活を隠していけると自惚れていた自分が恥ずかしくなった。

だが、そんな感傷に浸っている暇はない。何とかして誤魔化さなければならない。

「そ、それは――」

「なーんてね。最近ミステリー小説にハマってて、ついついそれっぽい事したくなっちゃったの。うふふ」

「ははは‥‥」

茶目っ気たっぷりに冗談を言われても、俺の方は一切笑うことができなかった。

多分疑われていることには変わりはないだろうし、実際あっているから恐ろしい。思わず探偵を勧めたくなるほどの洞察力だった。

「あなたが良い人なのは知ってるから、あなたを疑うことはないわ。でもね、今言っただけでも分かるでしょ?知らない人を身の回りに置くことの危険性を。私も、家族がいる身だから適当な判断はできないの。それは分かって?」

「はい、理解できました」

そうだ。俺個人の勝手な感情で動けば、周りの人にまで迷惑が及ぶんだ。俺は今一度反省した。

「そのうえで、もう一度聞くわね。あの子とここに住むつもり?」

俺は一度息を飲み込んだ。

きっと、ここにいるべきではないのだろう。俺を置いてくれているこの人たちをトラブルに巻き込みたくはない。それでも――

「はい、ここに住まわせてください」

それ以上に、彼女を一人にしたくない。

「分かったわ。これじゃ、萌黄がまた妬いちゃうわね。ところで、彼女はあなたの何なの?」

俺の、か。殺人犯と監視対象です。なんて言えば、いくら器がユーラシア大陸の大家さんといえど、許してはくれないだろう。

ここは、適当にはぐらかして許可をもらおう。

「じ、実は、知り合いの妹で受験のために――」

「正式な手続きには住民票とか必要なんだけど?」

「こっちに置いているなんて話もあるみたいですよ!?俺の話じゃないんですけどね?」

――っぶねえ。そのまま行ってたら簡単に見破られていた。というか、この人本当は気付いてるんじゃないの?

いや、さすがにそれなら警察に突き出すだろう。きっと大家は試しているんだ。ここに置いても良い人間かどうかを、俺との一問一答で。

それなら、俺も応えたい。ここに居ても良いんだと伝えたい――。

「正直、俺も分かりません。彼女がどこの誰で、何があったのかも。でも、彼女は現実に絶望して、俺と出会ったあの日、あの場所に居たんだと思います。そして、この前ようやく彼女に居場所と言ってもらえたんです。彼女はとても良い子で、おはようが言えて、ごちそうさまが言えて、ありがとうが言えます。簡単なことだけど、いや、簡単なことだけど何よりも大切な事だと思うんです。だから、俺はそんな彼女を一人にしたくないんです。彼女の居場所になり続けてあげたいんです」

「そうなの。ありがとう教えてくれて」

大家の柔らかな微笑みで俺はようやく肩に入った力が抜けた気がした。

「えっと、だから――」

「分かってるわ。ごめんね、試すようなこと言って。うちのアパートは完全に個人でやってるから、私に全権が委ねられているの」

「そ、そうなんですか‥‥‥」

「ええ、家はそういう訳アリな人も多くてね。一応、同居人が増えたときは住民票とか、未成年者には親のサインとか必要なんだけど」

「そ、それは!…その――」

口が進まない。今の俺には彼女の公的な側面の手助けは、何一つしてやれない。

俺の暗い顔が大家さんに伝わったのか、大家さんは優しい微笑みでこちらを見ていた。

「――今回は全部不問にします」

「っ!良いんですか!?」

「ええ。でも、いつか話せるときがきたその時には、話してくれると約束して?」

「はい!本当にありがとうございます!」

俺は深々と大家さんに頭を下げた。

良かった。そう、心の中で安堵した。当然ルビアとの生活が守れたこともあるが、それ以上に俺は、ここに住むことができて良かったと心の底から思った。

きっと、ここじゃなきゃ問答無用で追い出されていたと思うし、何よりもこの大家の温かさに触れて俺は感動していた。

俺はじわっと滲みそうになる涙をこらえる。

「それじゃあ、とりあえずあなたは萌黄と話してきて。あの子とちゃんと仲直りしてね。じゃないとあの子の成績が悪くなっちゃうから」

「は、はい。でも、その‥‥‥」

俺は別の部屋にいるルビアの方に目を向ける。

「大丈夫。あの子ともお話しておきたいことがあるから」

「そうですか‥‥」

少し不安だが、それでも大家にも通さなきゃいけない筋があるのも分かる。それにこの人なら大変な事にはならないと思う。だから今は、大家の言うことに従おう。

「それじゃあ、行ってきます」

「あ、そうだ。萌黄のことだけど、馬鹿正直に全部話すことはないよ。だから、あの子を悲しませないでね」

悲しませないようにという言葉に少し引っ掛かったが、ようは、大人の対応をということなのだろう。俺は頷いて大家の前から立ち去った。

その先の玄関扉の前で、ルビアに引き留められた。

「ねえ、私‥‥‥」

「大丈夫、あの人なら。だから、言われたことに素直に返答すればきっと、このままここで生活していけるさ」

ルビアは、その言葉を聞いて安心したのか、少し微笑んだように見えた。

「じゃあ、後は任せた」

「‥‥‥ありがとう」

彼女は聞こえるか聞こえないか曖昧な声でそう言った。

届いていたが、俺は返事をすることは無かった。多分、彼女も返事が欲しかったわけじゃないから。

そのまま彼女と大家が話し始めるのを確認して俺は部屋を後にした。

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