第4話 彼女と居場所

強烈な眩しさを感じ、俺は目を覚ました。

昨日のことは夢だったのだろうか。それはそれで悲しい気がする。

ふと、体の痛みに気付く。そうか、床で寝てたから背中が痛むのか。

じゃあどうして床で寝ているんだ?気になってベッドを確認してみてやっと、現実に帰ってくることができた。

どうやら、昨日の出来事は夢なんかでは無かったみたいだ。

現在の時刻は午前九時。

いつもなら、もう少し早く起きて、朝食を食べていたところだけれど――。

俺は、自分のベッドで気持ちよさそうに寝ている、ルビアの可愛い寝顔を見る。

なんだか、いけない気分になってきた…。

いや、一つ屋根の下。男と女、二人きり。俺のベッドで無警戒に寝ている。

――ここまでのお膳立てがあって、逆に手を出さないのは男として失礼なのでは?

――据え膳食わぬは何とやら。ここで行かずに、男として生まれてきた意味はない!

俺の手が彼女に触れようとした時、もう片方の手が俺の手を諫めた。

――待て。お前が彼女と築こうとしているものはそんな薄っぺらなものなのか?

――今まで、探していたのモノがやっと見つかったんだろ?ここは、冷静になるんだ。

確かに、その通りだ。俺が彼女に抱いたのは、そんな薄っぺらな気持ちではない。

なんてことだ。俺は今、両の腕が独立して、それぞれに天使と悪魔が宿っているだと?

俺は…俺は、一体どうしたら良いんだ!?

そんな、俺のしょうもない葛藤はすぐさまかき消された。


「…お母さん」


ルビアが寝言を呟いた。その瞳からは涙が浮き出ていた。

彼女は、きっと俺の知らないような世界で生きてきたんだろう。

昨日、彼女の口から、両親はいないと聞いた。彼女はまだ、高校生。普通なら、まだまだ親の下で育つ年のはず――。そのはずの彼女が、すべてを失って、殺人に及んだ。

そんなことを考えていたら、俺の些細な葛藤はあっという間にどこかへ消えてしまった。

それにしてもよく眠っている。寝ている間に俺が通報するとは考えなかったのだろうか。

まあ、それほどには信用してもらっていると、喜ぶべきなのだろうか。

彼女とは、話さなくてはいけないことがまだまだたくさんあるし、やらなければならないこともあったが、まあ、いいか。

きっと、彼女も疲れていたのだ。いや、疲れないほうがおかしい。

ただ、今は彼女が起きるまで、そっとしておこう。



「ふぁあ~、うん?…ここ、どこぉ?」

「おはよう」

「…うん?おはよ?」

寝ぼけた様子の彼女をもう少し眺めているのも悪くは無かったが、下手に放っておくと自分の身が危ぶまれるので、俺はルビアを現実に返すことにした。

「ああ、おはよ」

「……!?」

彼女は全てを悟ったかのように顔を真っ赤にして飛び起きた。

「あ、その、えっと……」

彼女は恥ずかしさのあまり気が動転していた。

時刻は午後四時。初めて来る人の家で、夕方までぐっすり寝てしまったのだ無理もない。

「分かったから。頼むから、包丁を探そうとするのやめて?」

「うわあああああ!」

結局、彼女を宥めるのに30分程かかった。


「はぁ、はぁ。…やっと落ち着いてくれた」

「うぅぅ…。一生の不覚……」

落ち込むルビアも悪くないなぁ。

さて、本当は今日しておきたかったことがあったが、それは、明日に回すとして…。

早いうちに、しておかなければならないことを済ませておくとしよう。

俺は近くにあったスマートフォンに手を伸ばす。

「待って、何する気?」

先ほどまでの空気が一転したことでやっと、俺は「しまった」と思うことができた。

彼女の声からは警戒と緊張が香る。

彼女と俺を繫ぐ唯一の関係、それは監視対象ということだけだ。彼女もそれ相応のリスクを背負ってこの生活をしている。

その繋がりがブレることは、この関係の破綻を意味する。そんな歪な関係であることを、俺は忘れてはいけない。

「――大丈夫、警察になんか連絡しない。ちゃんと、連絡先は開示するし、通話はスピーカーにして聞こえるようにするから。安心してくれ」

「…ホント?じゃあ、何処にかけるの?」

「親だよ」

「まさか!私のこと言うつもり?」

「いや、さすがに食い扶持が一人増えると、親に面倒かけるしかないだろ」

「……」

それでも、ルビアの嫌疑の目は晴れてくれない。

「大丈夫、もちろん素性はバレないようにするし。それに、…うちの親変わってるから」

はぁ、ホントにマジで変わってるから…。正直、電話も面倒になってくる。

そんな俺の様子を汲み取ってか、ルビアの表情から警戒が薄れていくのを感じた。

俺はそれを許しと受け取ってから、自宅に電話を掛けた。

「あ、もしもし?何?電話なんて珍しい」

「……久しぶり。母さん?えっと、ちょっと相談したいことがあるんだけど」

「何?」

「えっと…あの、…そのぅ」

「ハッキリなさいよ、何?」

ここは、男らしく。威風堂々として、日本男児として恥じぬ姿を!

「お金をお貸し下さいぃぃぃ!!」

ブツっ――。

切られた。いや、嘘だろ。何がいけなかったんだ?何も間違っていなかったはず。

「いや、全部間違ってるだろ」

「え?」

どこが?と思ったが、無意識に土下座をする俺に日本男児らしさは皆無だった。

「何?アンタ親のすねかじりなの?」

「違う違う!…むしろ逆だよ――」

「逆?」

「ああ。俺の親はさ。なんていうの?基本、放任主義なんだよ。――良くも悪くも。だから、大学も…って、あ、俺大学生なんだけどさ。大学のお金も基本的には自分で何とかしろっていう主義でね、だから、ハァ…」

「大丈夫なの?」

「いや、最終手段がないわけじゃないんだけど‥‥‥先に謝っとくわ、ごめん」

「?」

この手段を取ったら、俺ホントに殺されるんじゃないか?

だが、あの親から支援を得るにはこれしかない……。クソ、短い人生だったなあ。

俺は再び、電話を掛け直した。

「もしもし、お金なら一銭も出さないわよ」

「――実はさ、お金が必要になった理由があるんだよ」

「……何?」

「――彼女ができた」

「「……は?」」

俺の衝撃の告白に電話越しで驚異のシンクロを披露してくれた。

「あなた!ちょっと、ちょっと!」

「ちょっと、何言ってるのよ!」

ルビアに首を絞められた。

「ぐえぇぇ。あの人らから金を借りるにはこれしか――って、待って死ぬ、死ぬ!」

ばあちゃんが笑顔で手招きしているのが見える。でもあなた、まだ死んでないよね?

俺の話を聞いて、冷静さを取り戻したルビアはそっと首から手を離した。

「おい、さっきの話本当なのか?」

「ごほっ、ごほっ。ホントだよ」

「聞いたぞ。女の子の影すら見えなかったお前にもようやく春が来たか!でも、お前何でそんな声ガサガサなの?」

「うん、ちょっと三途の川で水遊びしただけ。全然問題ない。――で、彼女と結婚を前提に、付き合ってて同棲を始めたいんだ。そのためにお金が必要になった」

「そうか。それなら、いくらでも寄付してやる。それで、どんな子なんだよ。年は?顔は?写真とかないのか?」

「それが今はまだ、彼女も忙しいから、紹介できないんだ。迷惑になるからあんまり詳しいこと言えないんだよ。だから、絶対に来るなよ?俺が、別れたらお前らのせいだからな?」

俺は念入りに、釘を刺しておく。

「分かった、分かった。なら、せめて名前くらい教えてくれよ。それも無理か?」

確かにこれ以上、隠せば何かを怪しまれるかもしれない。というか、傍から見れば今もかなり怪しいと思う。

こういう時だけは、放任主義で助かったといわざるを得ない。

「――茜。茜って言うんだ」

「そうかぁ。お前大事にしてやれよ」

「大切にする。絶対に」

俺の初恋だ。そんなの言われるまでもない。

「そういうことなら、俺らの方からお前の口座に振り込んでおくよ。そうだな――」

それから、細かいお金の話等をして、俺は電話を終えた。

それにしても、ルビアだから「茜」なんて、ちょっと安直過ぎたか?

というか、ルビアはどう思ってるんだ?ちょっと、恐ろしくてルビアの顔が見れない…。

「あの、なんていうかホント、ごめんなさい」

「…いや、まあ、別に…」

思っていた反応とは別の反応だったため、俺は慌ててルビアの方を向いた。

ルビアは怒るでも、恥ずかしがるでもなく、キョトンという表現が良く似合う顔をしていた。

「どうした?」

「いや、両親と仲良いんだなって思って……」

しまった。あんまり、ルビアに親の話をするのはまずかったか。

二人の間を静かな沈黙が埋める。ルビアだってまだ高校生だ。寂しさを感じてもおかしくない。

俺の配慮が足りなかった。

気付けば、時刻は午後六時になっていた。

「ご飯にするか。今日は何にするかな」

俺にできるのは、彼女の居場所になってあげること。

今は、ただそれだけでいい――。

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