ミュシャと激動のチェコ

 アール・ヌーヴォー(19世紀末〜20世紀初頭に流行した新しい芸術様式)を代表する人物ミュシャは、フランスで活躍していたチェコ出身の画家です。

 「黄道十二宮」「四芸術」「四つの花」など、フランスにて製作された華やかなイラストレーションが人気を集めていますが、晩年のミュシャは、チェコ民族のための絵画なども手がけています。


 ミュシャは、巨大な絵画の連作「スラブ叙事詩」を描くために、1910年にプラハに帰ってきました。

 この頃のチェコはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にありましたが、殊更に独立の気運が高まっていました。「汎スラブ主義」という東欧の独立のための運動も流行していましたし、ロシアの影響力もあって、各地の民族運動が活発だったのです。顕著な例として、4年後の1914年には第一次世界大戦を控えていますね。

 そんな中でミュシャも、自民族に貢献したいという気持ちを強めていたようです。

 「スラブ叙事詩」はスラブ民族の歴史を描いた壮大な絵画のシリーズです。幻想的な神話の絵や、歴史のワンシーンの絵などが含まれます。


 この「スラブ叙事詩」の製作途中で第一次世界大戦が終わり、チェコはチェコスロバキア共和国として独立をしました。


 この時独立宣言がなされた歴史的な舞台である、プラハの市民会館の天井などの装飾は、ミュシャが手掛けたものでした。ミュシャはまさにチェコの民族自立を象徴する画家だったのですね。


 また、この後ミュシャは、新国家の紙幣や切手のデザインを無償で引き受けています。彼がチェコのために尽くしていたことが窺える出来事です。


 スラブ叙事詩が完成した後も、プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスのデザインを手がけるなど、ミュシャはチェコのために積極的に活動していました。


 しかし彼が亡くなる4ヶ月前の1939年3月、チェコスロバキアはドイツに併合されて独立を失ってしまいます。これは第二次世界大戦の前触れでした。

 ミュシャは「チェコの愛国心を煽る」存在だとして、ナチスによる尋問を受けます。これによって彼は衰弱し、78歳で亡くなりました。


 支配され、独立し、再び支配下に置かれた、20世紀前半のチェコ。そんなチェコと運命を共にしたという意味で、ミュシャはこの時代のチェコの象徴的な人物かもしれません。

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