ハンガリーの独立運動

 19世紀前半のヨーロッパ各国ではウィーン体制という強権的な支配が行われていましたが、これに反発した人々が1848年に一斉に革命を起こしました。これをまとめて「1848年革命」と呼びます。

 中でもハンガリーは、フランスに次いでいち早く行動を起こしました。当時のハンガリーはオーストリア帝国の支配下にあったので、オーストリアに対して独立運動を展開することになります。コシュートという人が率いるハンガリー独立運動は、しかし、最終的にはうまくいきませんでした。


 まず、独立運動でハンガリー軍は、オーストリア軍と対峙しました。

 そして同じ頃、オーストリアでも革命運動が起きていました。ウィーンでは市民軍とオーストリア軍が衝突しました。

 オーストリアの市民軍はハンガリー軍と同じ敵と戦っていることになるので、ハンガリー軍を積極的に支援しました。


 一方のオーストリア軍にも仲間がいました。マジャール人(ハンガリーの主要な民族)と同じくオーストリアの支配を受けている、クロアチア人です。

 ……クロアチア人たちは、何故そんなことをしたのでしょうか? オーストリア軍に協力することは、自分たちの独立を遠ざけることになるのに……。


 その背景には、オーストリア帝国内の二重支配構造があります。

 クロアチア人を支配していたのは、実際にはハンガリーでした。

 オーストリアに支配されているハンガリーに支配されているクロアチア人。

 彼らは、ハンガリーが独立してマジャール人優位の政策を敷こうとしていたことに反発し、ハンガリーの敵となったのです。

 同じような立場にあった民族は、他にスロバキア人、一部地域のセルビア人、一部地域のルーマニア人などがいました。


 オーストリア軍はそのことを把握していましたから、これらの民族を煽って、自分たちの味方につけたのです。


 こうして、「オーストリア軍とクロアチア人」対「ハンガリー軍とオーストリア市民軍」という、支配者と被支配者が入り乱れた無茶苦茶な対立関係ができあがりました。


 更にここからロシア軍に協力を要請したオーストリア軍の作戦は成功し、ハンガリーの陣営は敗れます。1848年革命では、ハンガリーの独立は達成されませんでした。

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