バルト三国という概念

 バルト海沿岸の三ヶ国、旧ソ連のエストニアとラトビアとリトアニアは、「バルト三国」としてセットで扱われることが多いです。しかし彼らはお互いに似通っておらず、その性質はバラバラです。

 言語はかけ離れていますし、歴史も全く異なります。


 たとえばエストニア人はフィン-ウゴル系の言語を話しますし、ラトビア人は色んな国に出入りされて民族意識の形成が遅かったですし、リトアニア人は中世の頃に強い国を築いておりポーランドとの関係が深いです。

 ……特にまとまりなどはないですね。


 諸説ありますが、そんなバルト三国が初めて明確にセットで扱われたのは、1939年の独ソ不可侵条約締結時にヒトラーとスターリンが交わした「秘密議定書」でのことでした。

 秘密議定書では、バルト三国の地域をソ連に勝手に編入することが、内緒で決定されました。

 勝手にセットにされて併合された三国は、その後ソ連からの独立運動の際に、「我々は同じ歴史的運命を共有している」と主張して、団結して行動することになります。


 つまり、バルト三国を互いに結束させるための最大の共通点とは、秘密議定書のせいで強制的にソ連に編入されてしまっていたという点なのです。自分たちの特徴ではなく、他国からの扱いが、バルト三国という地域空間を形成したのでした。

 そういうわけで歴史が浅い協力関係でしたが、三国はちゃんと団結しました。実情が何であれ、お隣同士足並みを揃えた方が、独立はしやすそうですものね。


 こうして行われたバルト三国の独立運動は、歌がよく歌われたので、「歌う革命」と呼ばれます。また、彼らが協力して手を握り合い、三国を縦断する一つの長大な「人間の鎖」を作り上げたのは、三国の連帯性を示す象徴的な出来事でした(1989年)。


 そして彼らは1991年に揃ってソ連から独立を回復します。バラバラな三ヶ国が団結したことは、ちゃんと功を奏したのです。


 さて、その後の世界ではバルト三国というくくりが定着しました。たとえば彼らは、同じ日に北大西洋条約機構(NATO)に加盟したり、ヨーロッパ連合(EU)に加盟したりしています。


 とはいえ結局、やっぱり彼らの文化は異なりますから、各々の方法で国を運営しているようですよ。

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