沈黙の意味(三)

 そのチェーン店に行ってみると色々気付くこともある。例えば腰掛けた席の丸テーブルが実際にはやけに小さかったことがまず筆頭だろう。ソファ席の方がマシな気もするが空いてなかったし、改めて観察してみるとテーブルの大きさはさほど変わらない。テーブルの小ささが何をもたらすのかというと、単純にハルミックスとの距離だ。これがまた近い。

 そして、その近さで気付くこともある。ハルミックスの容姿、というか顔貌かおかたちが随分と整っている事に。職業柄、それを描写することで随分字数を稼げそうだ、と志藤は考えてしまう。だが、そのためにジロジロと観察する必要はないなと同時に考えていた。あの冗談みたいな眼鏡のフレームから考えて、そういったものを隠したいという意図が見えてくるからだ。そう思って視線を逸らすと、その視線がパーカー越しでもわかる豊かな胸元に向いてしまう。つまり――現状は最適な距離では無いのだろう。

「そ、その、本当なんですか? カチアン先生さんがお亡くなりになっているって……」

「あ、はい。三ヶ月ほど前に」

 驚くべき、と言っても良いものかどうか。ハルミックスは藤田の死を知らなかった――いや、気付かなかった、というべきか。志藤としても、どう捉えるべきか迷ってしまう。だが、そこにさらなる追撃が放たれてしまった。

「それじゃあ……あの『笑い声』は、もう……」

 志藤は何か聞き間違えたに違いないと咄嗟に判断した。故人を偲んで笑い声を思い出すというシチュエーションは割とあると思うのだが、それは本当に藤田とハルミックスが交際していた場合だ。だが、下準備というか今までのやり取りでそれは無い、と志藤は確信していたのだから。

「すいません『笑い声』とは?」

「ああ、そうですね。そうですよね。けれどもハルキュソさんは、とっても『笑い声』が可愛らしくてですね。カチアン先生さんは声も似ていたんですが……」

 そこまでは志藤も聞いていた。だからこそ志藤は「交際は無いだろう」と判断したわけだが、さらに追加要素が発生してしまったわけだ。しかし、そんな困惑を余所にハルミックスの言葉は止まらない。

 志藤がそれを頭の中で再構成してみると――

 ハルキュソこと塩井高晴という声優は、かなり笑い方に癖があるらしい。もちろん素の時の話だ。声優がいろいろラジオ番組に出演していることは知っていたので――奈知子経由ではあるが――そこまでは志藤も問題無く理解出来る。だが、その笑い方は通称「魔王笑い」と言われるほどだという。

「こ、こ、これです。ね? 可愛らしいでしょ?」

 スマホで動画サイトにアップされている塩井高晴の動画を示しながらハルミックスは主張する。それに対して志藤は曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。志藤には「ブハハハハ」という笑い声が可愛らしいものだとはとても思えなかったわけだが、それを正直に口に出してはいけない事は当然わかる。

 遺影で見た藤田がそうやって笑う分には随分似合ってるな、と思えたことがこの場合救いになるのかどうか。誰が言いだしたのかはわからないが「魔王笑い」という表現は最適すぎて、逆に言葉も無い。もっともファンともなれば、そんな表現すらも愛おしく感じるものらしい。

 そこで志藤は逆にハルミックスに水を向けてみた。ここで遮っては返って悪い結果になると考えての事だが個人的に聞いてみたかったこともある。つまり何故、塩井高晴は「キュソ」なのかという点だ。

 それをハルミックスに尋ねてみると、それはそれは嬉しげに説明を始めた。やはり基本的には藤田に関心がない、ということになるだろう。藤田を通して「キュソ」を感じられることがハルミックスの楽しみではあるらしい――甚だ不健康だとは思うが、やはりこれも指摘はしない。誰も得をしないからだ。

 そして「キュソ」の由来だが――塩井高晴の姉もまた声優で「塩井翼」という名前らしい。その愛称がまた難物で、最初は「翼キュン」から始まって「ヨッキュン」になり、ついには「キュソ」になった。「ン」が「ソ」になる変化は、割とある文化とも言えるだろう。……文化かどうかは議論の分かれることではあるだろうが、問題はそこから先だ。

 何故か「キュソ」というあだ名が、そのまま弟の高晴に移植されてしまったらしい。非常に頭の悪い変化だと志藤は考えてしまうが、それがファンとの間でコンセンサスが成立しているのならば、これもまた文句を付ける筋合いでは無い。投げやりに言ってしまえば「好きにすれば良い」という一言に集約されてしまうが、それがハルミックスに気付かれ……いや気付かれる可能性も無いだろう。

 あの眼鏡の奥底で光るハルミックスの瞳には、良く言っても「熱に浮かされている」としか表現のしようが無いのだから。もはや志藤の感心の有無は関係ないに違いない。

 もちろん圧倒されてばかりでは志藤としても情けない話になる。だからこそ適当に相槌を打ちながら、志藤は探りを入れていた。一体、藤田とどういう風に交流していたのか。あるいは「カーバンクル調教法」での藤田の行動なりを、時折挟み込んでみる。塩井高晴賛辞の合間に。

 結果――


(藤田さんの使途不明金については、だいたい判明したな)


 ――ということになる。

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