沈黙の意味(一)

 志藤は藤田のスマホ等を調べる前に、自身の士気の回復が必要だと感じていた。藤田の調査を続ける事に虚しさを感じてしまった事が原因だとはわかってはいるのだが、理由がわかっていてもどうにもならないときはある。それに情報を集めたところで本当に「不自然な死」の謎が解けるのか? という不安もあった。

 そんな風に志藤が後ろ向きなっていることを永瀬は敏感に察知したらしい。そもそも志藤が電話で思わず愚痴をこぼしてしまったのが原因なのだが、さいたま市から帰りの車中での志藤の姿を見ていたことも理由の一つになるだろう。永瀬は志藤をこう言って励ました。

「志藤さん。どちらにしても関係者の名前は出せないわけですし、それは編集部が止めます。となると最初から嘘になるわけで、それなら、あのお母さんもそのまま登場させる必要も無いですし、それは可知案先生だって。志藤さんが『演出』で登場人物をを変えてしまっても良いわけですよ。ノンフィクションを書くわけでもないですし」

 その永瀬の言葉に、言われてみればそうだった――と即座に志藤も切り替えることが出来たわけではないのだが、少なくとも柔軟性がある対応も可能であることを思い出せたのだ。元々、標榜していた「嘘を付くのが商売」という座右の銘を思い出せた事も大きい。志藤は永瀬に礼を伝え、改めて藤田の調査に取りかかった、という顛末が必要だったわけだ。

 さて各種機器のロックについては、引き上げる前にしっかりと確認済みだ。というか藤田自身がその辺りは随分緩かったらしく、別に苦労することも無かったのだが……

 志藤はとりあえず、というか本命のスマホから取りかかった。ノートPCについては「カーバンクル調教法」での言い争いの時と執筆の時に開くぐらいで、これから探りたい藤田の交友関係に関しては、やはりスマホを探るのが常套手段だろう、と志藤は考えていた。そしてRINEを確認してみると、すぐに盛んにやり取りをしていたユーザー名が判明した。

「誰だ? 何て読む? ハル×3……」

 そこで思わず声に出して呟いていた志藤が声を潜める。何しろ自宅とはいえ、今はしっかりと深夜だ。奈知子は寝室にとうに引っ込んでいるし、基本的に宵っ張りの志藤に奈知子を付き合わせていたら志藤家は崩壊してしまう。だがしかし、この「不自然な死」についての調査に一段落付けるまでは、辛抱して貰うしか無い。

(ハルハルハル……といったところかな? いや、ハルの三乗、ハルサンジョウ、とか?)

 メッセージだけのやり取りでは、こういう時に困る。もっともこれから調べる場所も環境的には似たようなものだ。何しろ「カーバンクル調教法」なのだから。志藤は自分のノートで再び過去ログを漁って「ハル×3」を探ってみる。もっとも志藤は「CTRL+F」するだけなのだが。そうすると……引っかからない。

 志藤は藤田の交友関係は「カーバンクル調教法」が基本になっていると考えておりその結果に思わず眉を潜めた。その後、半角に切り替えたり色々してみたが、どうにも引っかからない。となると単純に考えれば「カーバンクル調教法」とは関係なく繋がる事になった人物ということになるが――それも受け入れがたい。

 RINEをスライドさせて眺めている内に「ハル×3」は恐らく女性ではないかと志藤は推測していたからだ。そうとなると、藤田は独力で女性と繋がりを形成したことになる。もちろんネカマの可能性も捨てがたいが……言ってしまえば「ハル×3」のメッセージからは、あまりそういった作為が感じられない。藤田とのやり取りも……

 そこで志藤は気付いた。探すべきキーワードはユーザー名だけでは無いということに。次に自分が探すべきは「塩井高晴」という名前。同時に自分のスマホで、志藤はその名前で検索を掛けてみると――

 「塩井高晴」職業・声優。ザッと出演履歴を確認してみると少し前に志藤も楽しみに観ていたアニメの主役を演じていたらしい。昔の少女漫画――果たして「少女」漫画の範疇であったは疑問が残るが――を原作としていたこともあって、どちらかというと奈知子に付き合って観ていたため志藤の記憶が遠い。とにかくRINEのやり取りでは、この人物の名がよく出てくる事に志藤は気付いた。いやそれ以上に……

「キュソ?」

 再び志藤は声を出してしまっていた。最近のネット辞書は便利なもので愛称までもがしっかりと網羅されている。塩井高晴の愛称には「キュソ」というものがあり、それが正しい情報だとすると「カーバンクル調教法」に現れてはカチアン先生=藤田の擁護をしているユーザー名「キュソラブ」という人物が即ち――「ハル×3」なのだろう。恐らく。きっと。

 そういった前提で過去ログとRINEでのやり取りを照らし合わせて行く内に、志藤の推理は「ハル×3」について推定から確信へと移行した。まず間違いなく「キュソラブ」と同一人物だと。

 ついでに管理人であるイダ熊の助力を仰ごうかとも思ったが、イダ熊もまた容疑者である事には間違いない。それにあの時感じた僅かなラグがどうにも気に掛かる。情報を提出させるのがまず簡単では無いだろうし、それが正しい情報だとも信じられなくなっていた。

 結果、志藤は「怪しい接触者」となることは覚悟の上で「ハル×3」に、藤田のスマホを通じての連絡を試みる。やましいことは無いのだから、何とか説明出るだろう、と。


 ――そして志藤は池袋へと向かう事となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る