理解の果て(五)

 東京への帰りの車中。永瀬は随分と上機嫌だった。ハンドルを握る指先がリズムを刻んでいる。志藤には曲名も歌詞すらもわからないカーステレオから流れる洋楽にリズムを合わせているわけでは無いらしい。ごく自然と気分に合わせて適当にリズムを刻んでいるようだ。そんな状態の永瀬が浮かれた声でこんな事を言い出した。

「志藤さん! 御見事な手際だったじゃ無いですか。本当は『青田』って人が架空の人物で実は志藤さんが作り出したキャラクターなんじゃ?」

 どうやら藤田の母との交渉で見直されてしまったらしい。志藤は苦笑を浮かべる。

「それはないよ。青田は本当にいるし……何よりもまず、青田はあんな風にはやらない」

 徹底的に打ち負かす――と一概には言えないが、少なくとも相手の顔色を細かに窺うようなことはしない。窺うにしても、それは単純に勝機を見出すため。双方の顔を立てるような方法を青田は選ばないだろう。

「じゃあ、そろそろ青田さんを……」

「待ってくれ。このスマホとノートは確認しておかないと。それに快談社が……」

「勘弁してくださいよ。しっかり印税はお支払いしてますって」

 永瀬がわざとらしく情けなさに声を上げた。絶好調ではあるらしい。だが印税なりそういった収入があるとするなら、藤田は一体何に金を使っていたのか? 無課金で「気ままにカーバンクル」には挑んでいたようだし。貯金もあったと藤田の母の証言もあった。単純にケチ――割とありそうではある。あるいは印税が思った以上に入ってこなかったために締まり屋になった……この可能性もあると志藤は考えていた。

 とにかく藤田が何に金を使っていたのか? という疑問に対しては借りてきたスマホに手掛かりが残っていれば……

「永瀬さん、社に戻りますか?」

「それがですね。他の先生の用事が発生しまして」

 二人で調べることになりそうだと考えていた志藤の思惑は外れてしまった。

「まさか原稿とるために缶詰、みたいな話じゃ無いんですよね?」

 そのせいか志藤は思わず嫌味を並べてしまう。しかし絶好調の永瀬は気にすること無く、あっさりとこう返してきた。

「そんなわけ無いでしょ。基本はネットにあげていたものを加筆修正なんですから。一から立ち上げるってわけでは無いですし」

 ああ、そうなるのか。と志藤は思わず胸の中で納得の呟きを漏らす。だがすぐに首を捻った。

「いや、そんな事ってあります? 実際は……」

「ネット小説からだと、どうも意思疎通が難しいんですよ。今回、発生した用事もその方面でして……それにどうしたって書き下ろし要素は必要ですし」

 あっさりと前言を翻した永瀬。一体どういう思惑があるのか。いや単純に「聞いてくれるな」みたいなことなのだろう。志藤は今度こそ納得し、再び新たな疑問に行き当たった。いや疑問というか……

「藤田さんも、そういった仕事はこなしていたわけなんですよね」

 そんな当たり前の結論に志藤は何処かしら虚しさが漂ってしまう事を感じていた。

 実際、二冊の本を上梓したわけであるから藤田もまた仕事をしていたはず。それなのに母親はそれを一向に認めず、また本人もソシャゲに夢中であり、ネット上の言い争いにも夢中であったらしい。これでは「なるようになった」としか言い様が無い。ハンドルで軽快にリズムを刻んでいた永瀬の指もすっかり大人しくなってしまっていた。さらに申し訳なさそうに、こんな事を口にした。

「……大城戸さんも随分、その……手こずっていたみたいで」

「ああ、それで就職を勧めたりをしてたんですね。何となく、それは……」

 わかる気もする――とまではさすがに志藤も口には出来ない。明日は我が身、と受け止めてしまうのは卑屈すぎるだろうか? しかも、こうなってしまうと藤田の母の言葉が的を射ていたようにも思えてくる。そうなるとさらに志藤は心理的に沈み込んでしまうのだ。さらに自分の気分とシンクロさせるように志藤は座席に深く沈み込む。背の低い志藤は、それでもう座席の懐に抱かれたようにも見えた。さらにそれと同時に半ば独り言めいた言葉を呟いく。

「……今回の訪問で、少なくともあのお母さんはスッキリした思うんですよ」

「そうで……すね。何だか随分混乱していたようにも見えましたが」

 独り言に応えてくれた永瀬の言葉に志藤も頷いた。確かにあの母親の言動に整合性は無かった。それは志藤も感じていたが、それ以上にそれを追求する気力も湧いてこなかった。人間何もかも理屈にあった行動をするわけでもないし、それよりもまず……

「それでも子供のやってきたことを知ってスッキリしたんでしょうね。それだけは間違いないんでしょう。子供の行動について、ある程度は納得して――そして改めて突き放す」

「ああ、それは……そんな事になりますか」

 永瀬が律儀に応えてくれるが、いつの間にかフロントグラスを覆っていた夕闇が永瀬の表情を隠していた。それはつまり自分の表情も隠されているということ。志藤はそれに甘えて、再び呟く。

「これって……調べていってもいっても誰も得しないのかも……」

 今度こそ永瀬からの反応は無かった。

 そして「秋の日はつるべ落とし」の例えの通り、あっという間に夜の帳が降りてきた。ヘッドライトが闇を切り裂いて行くが――志藤が感じていた鬱屈は切り裂かれそうに無い。

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