第50話 今、伝えなきゃいけないこと

「な、何がどうなって。って、本当に薬師寺さんはその」

「すみません。今まで騙していて」

 まだ頭を抱えてきょろきょろとしている桂花に、法明は申し訳なさそうな顔をする。しかし、その顔が桂花には迷子になって困っていた時に柔和な笑みを浮かべていた彼とだぶっていた。

 あの時、桂花はあれを笑顔だと思ったが、あの時の彼も実は困っていたのではないだろうか。

「あの、あの時助けてくれたのって、その、本当に薬師寺さん本人なんですか」

「はい、私です」

 あっさりと回答が得られて、桂花はそのままふにゃんっと身体の力が抜けてしまった。ばったりと畳の上に寝そべってしまう。

 ああ、そっくりなはずだ。まさしく同じ人物だったのだから。そして、年齢が合わない理由は相手が薬師如来だったからだなんて。ああもう、今までの悩みはなんだったの。

 畳にばったりと倒れた桂花は、自分の鈍感さに恥ずかしくて死にそうだった。

「あの、その、失望させて、しまいましたよね。仏である私が薬剤師と咄嗟に嘘を吐いただけだったなんて、がっかりですよね」

 しかし、次に聞こえてきた言葉で倒れてなんていられなかった。がばっと起き上がると、恥ずかしそうに目を伏せている法明の顔がある。その顔にはありありと後悔が滲んでいて、桂花はびっくりしてしまった。

「なんで失望なんてするんですか。私、あなたのおかげで薬剤師になろうって決めたのに。あなたにもう一度会いたくて頑張ったんですよ。こうやって本当に薬剤師であるあなたと再会できたというのに、どうして失望なんてしなきゃいけないんですか。嘘じゃなかったじゃないですか」

「――」

 起き上がるなり大声で叫ばれた言葉に、法明は目が丸くなる。その顔に、やれやれと後ろのギャラリーが呆れているだなんて、もちろん気づいていない。

「私、あなたにもう一度会いたくて頑張ったんですよ。本当にもう苦手な科目が多くて大学受験は大変だったし、薬学部の勉強は大変だったし。もう本当に、何度も何度も駄目かもって思いました。でも、それでもあなたに会いたい一心で頑張ったんです。だから、晴れて薬剤師になったと思って、しかも憧れの人に似ている人がやっている薬局があってラッキーと思って、頑張った甲斐があったって、本当にそう思ったんですから。たとえあの人じゃなくても、憧れた人のそばにいる気がして、とても嬉しかったんです。それがまさか同じ人だったなんて。もう驚き過ぎて心臓が止まるかと思いましたよ。でもまあ、入ったら入ったで漢方薬に苦戦していますけどね」

 そこまで一気に捲くし立ててから、桂花はじっと法明の顔を見る。互いの顔がどんどん赤くなるのが解る。でも、 今この場で絶対に伝えなきゃいけない言葉がある。そうしなければ、後悔する。その確信があった。

「私、あなたのような薬剤師になりたいんです。あなたがあの時の憧れの人だというのならば尚更、あなたに認めてもらえる薬剤師になりたい」

 法明の目を見つめて、真っ直ぐに伝える。すると、ただでさえ大きく見開かれていた目がさらに大きくなり、ぽつりと一粒の雫が零れ落ちた。

「えっ、あれっ、これは」

 しかも一粒零れたそれは、堰を切ったようにぽろぽろと零れ始めて、法明はようやく自分が泣いているのだと気づいた。こんなこと、もちろん初めてだ。薬師如来として存在する自分が自分のことで涙するなんて、あり得ないはずだった。それなのに、涙が勝手にどんどん溢れてくる。

「なんで、僕が」

「もう、どうして薬師寺さんが先に泣いちゃうんですか」

「ご、ごめんなさい」

 桂花の指摘に謝りつつも、彼女が未だに薬師寺さんと呼んでくれることにほっとしてしまう。それで気づいた。

自分がどれだけ彼女に拒絶されたらどうしようと心配していたことに。だから、告白できなかったのだという事実に。もうその気持ちに嘘は吐けなかった。法明にとって桂花は誰よりも大事な人だ。だからこんなにも苦しく、そして嬉しく思う。溢れ続ける涙に、自分がどれだけ桂花のことを考えていたかを知らされる。

「こんな僕を受け入れてくれて、ありがとうございます」

「な、何を言っているんですか。当り前じゃないですか。それより、あの時の飴の作り方、教えてくれますか」

 恥ずかしくなった桂花は、取って付けたように気になっていた飴のことを話題に出した。それに、覚えてくれていたのかと法明はますます笑顔になる。

「もちろんです」

 にっこりと笑う法明の笑顔は、今までのどの笑顔よりも人間らしかった。こうして無事に告白を終えた法明に、陽明も本当に不器用なんだからと苦笑してしまう。だが、今はこうして和んでいる場合ではない。

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