第51話 空気読めよ!

「おいっ、ここを脱出するのが先だ。最後まで馬頭観音様に任せきりにすると、それこそ大日如来に現世での開業を取り上げられるぞ。自分であの遠藤に引導を渡してこい」

「あっ、そうでした」

 法明はごしごしと白衣の袖で涙を拭うと、すくっと立ち上がった。そして、ちょっとだけ恥ずかしそうに桂花へと視線を向けたものの、覚悟を決めたように白衣を脱ぎ捨てる。

 それと同時に、先ほどのようにかっと金色の光が法明を包み、次に現れた時には、将ちゃんよりも美しい異国の衣装を纏った姿になっていた。顔もいつもよりもきりっとして精悍で、しかし柔和な印象を与える顔に変わっていた。髪も長くなって、いつもの法明とは全く違う。でも、桂花の目にはちゃんと薬師寺法明だと映っている。薬師如来の姿になろうと、法明は法明だ。

「綺麗」

 しかし、見惚れてしまうのも事実で素直な感想が桂花の口から漏れる。すると、そんな異なる姿になったというのに恥ずかしそうな顔をする法明だ。まったく、仏様だと知っても全く仏様らしくない。やっぱり目の前にいるのは薬剤師で穏和な薬師寺法明そのものだ。

「さて、これはあんたの案件だ。ここでのことは自力で終わらせてくれ。馬頭観音まで召喚したんだからな。十分に協力したぞ。この先は、俺は高みの見物をさせてもらう」

 にやりと笑って将ちゃんを解放した陽明は、こっちは任せろと指を立てる。それに法明がぐっと指を立てて返すのだから、まるで盟友だ。桂花はそんな二人にくすくすと笑ってしまったが、これで総ては解決する。そんな気がしていた。




「くっ。さすがは明王にも分類されるお方。力が半端じゃないですね」

「そういう主も、人間にしては歯ごたえがある。さすがは平安の時代から長々と魂を現世に存続させられるだけのことはあるわい」

 馬頭観音と紫門の戦いは熾烈だった。互いに宝剣と錫杖をぶつけ合い、合間に法力と呪術で戦う。そんな戦闘で互角に張り合い続けている。

 しかし、いくら現世の人間とは違う存在に区分されるとはいえ、何の神格も得ていない、さらに陽明の対として定義されているだけの紫門には不利な戦いだ。陽明相手ならば最大限に出せる能力も、少しばかり制限されてしまう。そもそも、相手は仏なのだ。倒すことが出来ない。それは必死に法明を追い出そうとしていたことからも証明されている。

「こうなったら」

「させぬ」

 まだ残る呪詛の欠片を使って桂花への呪いを発動させようとしたが、馬頭観音が気づいて宝剣をそちらに振るった。しかし、それが攻撃の隙になる。

「発」

 その隙を目掛けて、紫門が錫杖を振り上げる。どす黒い靄を纏った錫杖が、馬頭観音のわき腹に襲い掛かろうとする。

「ぬっ」

 不意打ちに馬頭観音の動きが遅れた。倒すことはできないが、傷をつけることは出来そうだった。

「させねえ」

 しかし、それが届く前に別の刀に阻まれた。その横槍を入れた相手に、紫門は苦々しいと舌打ちをする。

「月光菩薩。あなたがここにいるということは」

「ええ。僕もいますよ」

 いつの間にか、紫門が呪詛のために用意した部屋には多くの人ならざるモノたちがいた。その中心に立つのは、この現世から最も消えて欲しいと願う薬師如来だ。

「この格好でお会いするのはお互いに初めてですね、道満法師」

「ふんっ。こちらは会いたくもなかったな。薬師如来。天界に引っ込んでおればいいものを、現世で薬剤師だと。ふざけおって。それにその名で呼ばれるのも不快だ。一体どうやって結界を破った」

「それは」

 怒鳴っている相手に正直に告白するにはちょっと間抜けな方法だったので、法明は返事を躊躇ってしまう。しかし、全員の視線が将ちゃんに向いていたので、おのずと答えは知れようというもの。道満と呼ばれた紫門はふんっと鼻を鳴らした。

「あの小娘か。余計なことをしてくれたものだ」

「ほう、なるほど。どういう経緯かは知らんが、薬師の惚れた娘が招杜羅の血を持っていたというわけか。それを通して結界を破ったというわけだな」

 全力でムカついた顔をする紫門とは対照的に、馬頭観音は非常に楽しそうだ。そして、さすがは薬師、嫁選びも抜かりないなと恥ずかしいことを付け加えてくる。

「よっ、嫁って。緒方さんはその、ええっと」

「おや、違うのか。いやいや、主の顔を見ていれば解るぞ。その娘を心から慕っておる。今は違っても遅かれ早かれ結婚するのであろう。なあに、今時、我らも妻帯がいかんなんて堅苦しい考えを捨ててもよいだろう。仏と人間の差なんて大したことはない。元は我らも仏の道を探求する人間だったのだからな。あの大日様も薬師の現世への出店を認めたほどだしな。現世に嫁を見つけたとしても、何も言うまいよ」

 かかっと笑い飛ばす馬頭観音に、法明はますます顔を真っ赤にしてゆでだこのようになってしまう。悪気はないのだろうか、これは恥ずかしいだろうなと、日光菩薩である円は同情した。

「っつ」

しかし、びりっと空気が震える。

「ちっ」

 ああ、何だか拙い流れだな。

 それが錫杖を止めるために紫門の間合いにいる弓弦が感じ取ったものだった。しかし、馬頭観音はそんなぴりぴりした空気なんて感じず、いや、憤怒を常とするせいで読めないと言った方が正しいのかもしれないが、いいことだと勝手に納得している。

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