第2話 ハンド

時刻は七時四十五分。



私が目的とする駅の到着時間。



車内にこの駅のアナウンスが流れるその直前まで、私は毎日毎日、チカンを繰り返される。



「夏海、おはよう」



教室に入って、親友の岸部恭子からそう声をかけられると、私はようやくホッとした笑顔を見せる。



「おはよう」



朝の挨拶をしながら、教室の真ん中の席に座る。



恭子は胸まである茶髪をポニーテールにして揺らしながら、



「今日も出た?」



と聞いてきた。



「あぁ……うん」



恭子にだけは、毎日繰り返されるチカン被害を打ち明けている。



「誰なんだろうね、全く! 気持ち悪い!」



まるで自分のことのように怒ってくれる恭子に、私は軽く苦笑する。



確かに、毎日毎日気分は悪い。



けれど最近、それが気持ち悪い、という思いから少し離れて行っていることに、私自身気づいていた。



電車通学を始めた一日目から今日まで絶え間なく続くチカン行為。



最初の頃はショックで誰にも話せずに、一人で泣いてばかりいた。気持ち悪くて、思い出しては嘔吐を繰り返したこともある。



「駅員さんは何とかしてくれたの?」



恭子の質問に、私は俯き、答えられなくなる。



数日前、何度も続くチカンに私ではなく恭子が耐え切れなくなり、駅員さんにすべてを話ししてくれたのだ。



その時の恭子はまさに仁王さまのような顔をしていて、止めようとしても止められるものではなかった。



恭子は私から聞いていたすべてのことを話し、駅員さんも今まで気づかなくて悪かった、と頭を下げるまでしてくれた。



「車内の見回りを、強化してくれたよ」



無理矢理笑みを作り、声を絞り出す。



嘘ではない。本当に、ラッシュ時の車両を頻繁に見回ってくれるようになり、私を見かけると笑顔で会釈をしてくれたりしている。



「それでも、つかまらないんだぁ」



残念そうに天井を仰いで言い、



「相当なやり手だね」



と、付け加えた。



「そうだね」



私の声は風の音で消えるほどに小さくなる。



おかしいよね?



見回りを強化してくれたんだよ?



私は毎日七時十五分から七時四十五分まで、ずっとチカンにあってるんだよ?



毎日毎日、見ているはずなんだ。



私がチカンに合っているその瞬間を、見ているはずなんだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る