第5話 リーダーは羽黒
羽黒の考え方次第ではこのまま行ってしまう可能性もある。
「問題の発端から話すと昨日社長の家で親戚が集まった。社長には二人の娘がいるが長女婿である圭吾重役に跡を継がせるかという話になったとき、いわゆる継承問題だな、話題として天皇の話が出たそうだ。当然息子がいない社長には跡取りがいないことになるが社長には弟がおり、息子ともども当社とは無関係の食品関連会社に勤めている。多少構成は違うが徳仁天皇と文仁親王と同じような関係になっているんだ。もしこの問題が皇室だけの話ではなく世間一般にも通用することなら、その弟の息子だけでも呼び寄せなければならない。ひどく悩まれた末に今回のメール発信となったわけだ」
ここまでは大水の情報通りだ。たしかに男系に意味があるのなら気にするのは当然。しかし数分前社長はそんなことを力説したのだろうか。確認しようとしたが先に羽黒が身を乗り出した。
「鬼谷次長。そうは言っても昨日の今日でここまで急ぐことはないのでは」
「その息子は現在係員なのだが主任に昇格するという噂が出ているらしい。話を受けてから退社するのは非常識だ」
もう昇格しているのならともかく内示も出る前にそんな情報が飛び交うものなのだろうか。礼二か久史が意図的に持ち出したのだろう。他にも気になることがある。
「さっき怒鳴り込んできたのは次女ですよね。未婚なのですか」
「次女の江留お嬢様は短大を卒業して当社に入ったのだが総務部にいて毎晩遊びに繁華街へ出かけているらしい」
「それでも生活に困らないとはいい身分でーす。こちらは社長に呼ばれただけで寿命が縮まーるというのに」
答えた麦原も言葉通り寿命が縮まっているとは思えない口調だ。
「圭吾重役に跡を継がせるつもりが、つまらない一言でリセットされたことになる」
「鬼谷次長。社長の態度から考えると答を出さなければ我々も処罰の対象になりませんか」
「君たちに任せたのはネットの情報に流されず自分の考えを持っていたからだ。社長が日を区切ったのは仕事を離れる限界が二日だと判断したからだろう。考えてみなくても分かることだが社長とはいえ所詮は日本に何百何千とある中企業のトップと天皇を比較しようとしているんだぞ。普通だったら陛下に失礼だという気持ちが先行するはずだ。言い方は悪いが君たちが何も見つけられなければあきらめるだろう。最終目的は社長に安心してもらうことだから根拠となるものは何もありませんでしたと答えるのがベストだ。歳を召されたので弱気になったのかもしれん。ただどこまで調べたかは聞いてくると思うから社長の前に本をどさっと積んで、これだけ調べましたと言えばいい。二日という短さは逆に幸いだ。これが一週間もあったら何らかの結論は必要になってくるからな」
いつも柔和な笑顔を崩さず落ち着いた物腰と決断の速さで女子社員には圧倒的な人気がある。直接話す機会はあまりないが接しているとその理由がよく分かる。
「なるほどそこまでは分かりました。しかし次長、社長を満足させるに足る資料はどのくらいの量を想定されていますか」
「二日で調べられる量だ」
「それでは抽象的すぎますね、次長。逆に聞きましょう。社長はどの程度の知識をお持ちなのでしょうか」
さっきから気になっているのだが羽黒の発言にやたら“次長”の言葉が入り込んでいる。念を押すつもりなのかもしれないが耳障りだ。
「それは分からない。しかし昨日の言い方だとたいして知っているようには感じられなかった。小泉元首相が召集した有識者会議は把握されているようだったが」
「しかしネットは見ているのではないですか」
「見てはいる。しかし予備知識のない者が急に見たところでそれほど理解が深まるとは思えない」
たしかにそれは間違いではない。
「羽黒くん。今さら断わることはできませーん」
麦原が口をはさむ。
「そんなことは分かっている。問題はどこまでやれば社長が満足するかどうかだ」
「それも分かっていまーす。この三人が全力を尽くせばいいのでーす」
鬼谷は手にしていた三台のパソコンを置いてテーブルの脚に内蔵されているコンセントとイーサネットにコードに接続した。
「他の二台は銀山と麦原が接続してくれ。大型のディスプレイはチャンネルを切り替えればどのパソコンも表示できる。羽黒がCH1で銀山が2、麦原が3だ。他にも聞きたいことがあるかもしれないが時間もないので始めてくれ。進行とまとめは羽黒、君に任せる」
ハアっと大きな声が出た。年齢は麦原の方が上かもしれないが主任の肩書があるのは羽黒だけだ。
「突然言われても何もできませんよ。ここは状況を把握している次長が取り仕切るべきではないですか」
「そうしたいのは山々だが新卒者の入社試験が近いので後はよろしく頼む」
「次長、どちらが大事なんですか」
羽黒が声で追ったが無駄だった。ドアをにらみ付けて視線をこちらに振ってくる。
「二人は業務の移管をしなくていいのか」
「とりあえずやってきました」「突発で休んでーも問題ないようになっていまーす」
不満そうな表情だが一番に来るくらいならその程度の時間はあったのではないか。
「十分ほどで戻るから有識者会議とネットの情報をまとめておいてくれ」
ドアが閉まると麦原が座ってコードを接続し始める。
「言われたことをしましょう。有識者会議のまとめをして下さーい。私はネットで展開されている意見を集約しまーす」
うなずいて自分もパソコンに向かう。エクスプローラーを見ても社内のイントラにはつながっていないから、こちらの作業をしながら仕事をこなすことはできない。
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