第33話・メイドの誕生 前編

 「何の用だよ、親父。つーか今何処にいンだっての。ババァの手綱くらいしっかり握ってろ。こっちに押しかけてきてえらいことになってンだよ」

 『今何処にいるかは言えんな。関東にはいるが。淑子のことなら知らん。昔から好き勝手に飛び回るヤツでなあ…』


 ヒトのことが言えるのかテメェは、と言いかけて言葉を呑み込んだ。自衛官という職種が全国を転勤する仕事だとは理解していたし、そもそもどうせ言っても無駄だと、とうの昔に諦めていたからだった。


 『ま、今日電話したのは淑子から聞いたからだな。どうだ、一度帰って来ないか。こっちも今の仕事が一段落ついたんでな、地元勤務を申請してしばらくは自宅住まいにしようかと思う』

 「ヤクザな商売しやがって…ったく」

 『自衛隊がヤクザな商売か。違いないな』

 「皮肉も通じねえのかテメェには。つうか全国の自衛官に謝れ」

 『言ったのはお前のほうだろうが。まあいい。で、今週末に帰ってこられんか?』

 「仕事があんのにそう気軽に帰れるか。あと勘当したのはそっちの方だろ。ババァは勘当を解くとか言いやがったけど、あたしにそのつもりは無ェ。家族団らんなら勝手にやってろ」

 『いいとこのお嬢さんのお世話をしてるんだっけか?お前は昔っからひとの世話を焼くことが好きだったからなあ…死んだ母さんが聞いたら喜ぶぞ…』

 「夫婦揃って同じようなネタ使い回してんじゃねェよ。そんなふざけた話がしたいんなら切るぞ」


 正直、電話を切るより先に麻季の方がキレそうだった。

 そしてとどめを刺したのは、父の最後の一言だったりする。


 『麻季』

 「…ンだよ」

 『恋でもしたか?声に色気が出てきたぞ。ううむ、あのガサツな娘が恋とはなぁ…』

 「死ねクソオヤジ!」


 終話ボタンを押さずにスマホを投げ捨てて通話を切った。その際にカラカラと豪快な笑い声が聞こえたのが余計にムカついた。


 「…あンのジジィ、余計なことばかり言いやがって…クソ、恋だのなんだの……恋とか……恋、かあ………って、あーもーっ!モヤモヤするっ!!」


 我に返るとメイド服のスカートをがに股で押っ広げながら、ドスドスとスマホを回収に行くが。


 「…あ」


 ごっついスマホケースが当たったダイニングの壁が、少し凹んでいた。


 「ヤベ…お嬢さま帰って来るまでに直せっかな…」


 いくらなんでも壁紙剥がして修繕して貼り直すだけの時間はない。時間と道具さえあれば直せるのかというと、その自信はあったりする。




 「ただいまー」


 お嬢さまが帰宅したのは九時も回った頃である。

 風呂の支度も済ませ、就業時間も過ぎたから私服に戻っても良かったのだが、お嬢さまを迎えるならこっちの方がいいかと、麻季は着替えずにいて、メイド服のままお嬢さまを出迎えた。


 「おかえりなさい、お嬢さま。遅かったっすね」

 「んー、話が長引いてねー。ちょっと話あるけど、いい?」

 「?改まって何なんすか。別にいーですけど、ウチのババァのことなら聞きませんよ。あの話ならとっくに終わってます」


 こう言っておけば篠ならしつこく言ってはこないだろうと思っての一言だったのだが、篠は少し考えてから、正直に言う。


 「最終的にはお母さまの話にはなるかもしれないけど…もうちょっと麻季のことが知りたくてね。お茶煎れて?お土産買ってきたから。はい」

 「おー、甘玄堂のチョコパイドーナツじゃないすか。魚肉ソーセージとかじゃなくて良かったです」

 「なんで留守番しててくれたメイドへのお土産が魚肉ソーセージなのよ…」


 魚肉ソーセージを知ってるお嬢さまもどーかと思いますよ、と言いつつ、麻季はお嬢さまの脱いだ靴を綺麗に揃えてから後に続いていった。




 「で、話というのはね」

 「はあ」


 部屋に入るなり早速…ではなく、お嬢さまの指示で麻季は私服に着替えていた。

 つまり、メイドとしての麻季とする話ではない、という宣言なのだろう。

 お茶は買い置きのアッサム。紅茶に関しては麻季の趣味で取りそろえてあり、洋菓子には必ずこれ、と決めている。

 そしてダイニングのテーブルの上、お皿に盛られたチョコパイドーナツを間にして、主従はめいめいに紅茶の香気を楽しんでいた。

 …のだが。


 「麻季のことが知りたくって」

 「それさっき聞きましたけど。今さらあたしの何をお嬢さまに話すればいーんすか」

 「割とね、肝心なこと聞いてなかったなー、って。ね、麻季。なんでヤンキーなんかやってたの?」


 ピタ。

 ふたつめのドーナツに伸ばしかけていた手が止まる。

 一瞬躊躇。そして麻季は考え直して手を引っ込めた。


 「なんでと言われましても。親とか世の中がクソつまんねェって以外にグレる理由ってあるんすか?」

 「グレた自覚はない、ってこないだ言ってたじゃない。一般論でごまかさないで。麻季がなんで、お家のこととか放ってしまったのか、わたしは知りたい」

 「…あのですね、お嬢さま。いくらなんでもそれは踏み込み過ぎってモンすよ。使用人の過去なんかいちいち気にするものじゃ…」

 「だったらこないだの麻季はなんなのよ。わたしとの関係は雇用契約上のものだ、とか言っておきながらわたしの家庭関係にあれこれ言って。僭越ってものじゃないの、それは」

 「…メイドが主の問題を気にかけるのは当たり前のことじゃないすか」

 「主がメイドの問題を気にかけるのはおかしいことなの?」

 「少なくとも雇い主が雇われ人にすることじゃないです」

 「わたしは麻季のことが好き。好きなひとのことが気になる。これでいい?」

 「……あの、お嬢さま。その件については、お嬢さまがあたしに向ける感情とかそーいうのは、親の愛情の代わりにしてるものだ、って言ったでしょう?お嬢さまも納得されたと思うのですが」

 「麻季。わたしは、あなたに背中を押されて親と向き合った。何があったのかは…そのうち教えてあげられると思う。でも、少なくとももう目を背けようとも思わないし、実家の父と母も、わたしと一緒に実母の墓参りに行ってくれるって言った。わたしは嬉しかった。そして、麻季のことを想った。麻季、わたしはあなたが好き。恋しているって、はっきり言える」

 「………」

 「これでもわたしの聞きたいことが、言いたいことが、ただの使用人に向けた言葉だって言い張る気?ね、麻季。答えて」

 「……………っ」


 親父はなんというタイミングでなんという図星を付いたことを言ってくれたのだ。

 恋でもしたか、って?してるに決まってるじゃないか。こんなにかわいくて、目を離せなくて、自分なんかのことを気にかけてくれて、いつもこの子のために何が出来るか、何をしようかって自分に考えさせてくれて、そして自分を惹きつけて止まない存在がいつもいつも近くにいるのだ。こんな素敵な子に抱く感情、これが恋でなくて、一体何が恋だと言うのだ。


 そんなことを気付かれないように、俯きながら思った。


 「麻季」

 「ひぅっ?!」


 逃さないから、という意思を込めて、篠はテーブルの上に置かれた麻季の手を握り、体を伸ばして下からのぞき込んできた。

 目が合う。逃げられない。もうだめだ。絡め取られた。自分は、浅居篠っていう年下の女の子に、こんなにも参ってしまってる。

 そして、観念した。

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