第34話・メイドの誕生 後編

 古武道はきらいじゃなかった。

 自分から進んで始めたわけじゃなかったけれど、自分の意志でやる、やらないを選べるようになった頃には、もう自分がこれをやることで大人たちが喜んだり戸惑ったりするのが分かって、それで余計に楽しくなったのかもしれない。


 友だちがいた。

 お嬢さまみたいに黒髪のきれいな女の子だった。

 いつも男の子に絡まれて、泣かされていた。だから自分は、その子のことを守らなくちゃと思って、男の子たちをぶった。

 そしたら怒られた。顔が腫れるくらいに、自分も殴られた。なんで?女の子を守ろうとしたらいけないの?

 自分がいっしょうけんめいに練習している技は、ひとに使ったらいけないらしかった。意味がわからない。自分や、自分の大事なものを守るために使う技じゃないのか、これは。


 従姉妹は自分よりもずぅっと強かった。何度かかっていっても転がされてしまってた。それがイヤだったか、というとそんなことはなくて、いつか倒してやる、ってその度に思い、従姉妹にそう言うととても楽しそうに笑っていた。

 だから、自分の練習していることは無駄だとは思わなかったのだ。


 従姉妹は道場に来なくなった。なんで?と聞いたらもうやめたから、と言った。

 意味がわからなくて、目標にしていた存在が急に消えて、誰かを守るためでもない技を練習する気も失せた。


 そんなとき、街に出たら、不良同士がケンカしているところに出くわした。

 誰も止めようとしない。ケンカはほっとけ、と言っていた。警察を呼ぶ声もあったけど、二人はそのうち本気になって殺し合いにさえなりそうに見えた。

 だから、止めた。どっちも地面に転がして、もう止めろ、と言ったらビックリしたような顔でこちらを見て、女のくせにやるな、と言われた。少し、うれしかった。やってきたことが認められたような気がしたからだ。


 従姉妹が本当に止めてしまうと聞いた。

 大人たちは残念がっていた。技を継ぐ者がいなくなる、と母親は困ったようだった。

 ときどき自分を引き連れて、京都とかの親戚に会いにいった。別にイヤな思いはしなかったけれど、もうそんな時代じゃないのだから、と皆が言っていたのがムカついた。自分のやってきたことに意味は無い、と言われたみたいだったからだ。

 なんだか、街で会った不良たちにまた会いたくなっていた。


 母親と、あるいは時々父親と、ケンカするようになった。

 母親は武道をやってたわけじゃないけど、その価値を誰よりも大事にしていた。わたしのことを自慢の子だ、とも言っていた。とても辛そうに。

 だから、もう止めた方がいい、って二人に言った。初めて親に逆らった気がする。なんだかびっくりした顔で、髪を撫でていた。そして、この髪が悪いのか、って、きっと何も考えずに言ったのだろう。

 わたしは、苦しそうな顔をしている母親を睨んで、家を出た。


 街で会った不良と仲良くなった。

 話をしてみれば結構気の良い奴らだった。家のこととか親のこととか、愚痴みたいなものを聞かされた。自分も同じようなものだと言ったら、そんなに強いんなら何だって出来るだろ、と羨ましそうに言われた。

 強くなるために強くなったわけじゃない、と話したら、寂しそうに、もうオレたちに構うな、と言われた。何でだろう。


 最後に親とケンカしたのは、中学を卒業する頃だった。

 街の不良たちとよく会っていたのがバレて、そんな髪色をしているから誤解されるのだ、と言われて、自分がこんな髪に産んだくせにふざけるな、ああそうか、そういえば自分は拾われっ子だったもんな、と言い返したら怒られた。親父には思い切りぶん殴られた。何年ぶりのことだか分からなくて、ムカつくより懐かしさの方が勝ってたように覚えてる。


 高校に入っても最低限の勉強だけして、ダラダラしてた。

 技のことはすっかり忘れて、でも時々絡まれてケンカになったときは体の方が覚えていたから相手にもならなくて、そのうち遠巻きに怖がられるだけになり、なんとなく三年間が過ぎて、家を出たくなった。


 勘当された。

 まあ親の立場にしてみれば当然だろうと思ったから、何も言わなかった。家を出ることにしたけど、親からはあまりにも振る舞いが酷ければ連れ戻す、と言われたくらいだった。


 東京に来て、昔勝手に武道を止めてわたしの前から姿を消した従姉妹を頼った。

 テメェがいなくなったお陰でこのザマだ、と文句を言うと、困った顔で「ごめんね」と言われた。かえってこっちが悪いことをしてるような気分になって、こちらも困ってしまった。


 仕事にメイドってのを選んだのは…誰かを守ったり、世話をすることが根本的に好きだったからだと思う。

 実際にやってみるとそれだけじゃない、って気付かされて、その分いろんな仕事を覚えることも出来たりした。

 それから、職場のコーハイとかに慕われて、テキパキと指示だしたり店長の無茶振りから同僚を守ったりするのは、そこそこ楽しかったかもしれない。




 「…ま、あとはお嬢さまが大体ご存じの通りです。テキトーに働いて、てめーの至らなさからクビになって、お嬢さまに拾っていただいて。そんで、今は結構…しあわせに暮らしてます」


 話し終えた頃にはとっくに夜も更けていた。

 日付こそまだ変わっていないが、普段ならもう寝る頃の時間だ。


 多分、一通り告解は済ませたと思う。今まで話していなかったことが罪だとは思っていないが、篠が向けてくれた心から目を逸らしていたことは、確かに過ちだっただろうから。


 「…幻滅、しましたよね?」


 肯定されるのが怖かったけれど、そう言わずにはおれない。

 仕方ないな。また、住むところと仕事を探さないと。短い期間なら仁麻のところに転がり込んでもいいかもな。


 「麻季」


 お嬢さまの声は、重苦しかった。言いにくいことを言おうとしているように思えて、身を固くして続きを待った。


 「辛かった…?」


 そのお嬢さまの口から出た言葉は、意外だった。気遣うような、優しい響きだったから。


 「…別に辛くはなかった、です。ただ、あたしは誰かとか何かとか、守れるものがあってもそうすることが出来なかったのが歯がゆくて、でも今は…お嬢さまを守る、お嬢さまの暮らしを守る仕事が出来て、とても嬉しいです。料理とか家事はまあ、ひとりでぶらぶらしてるときに覚えて、美味いもん食うの好きでしたから。中坊の頃につるんでた連中にも食わせてやったりしてましたし。あとはまあ、仁麻んとこに転がり込んでた時分に覚えたりとか……あの、お嬢さま?」


 ふと顔を上げると、篠の指が顔の前にあった。何をされるのかと待っていたら、目の下をその指で拭われた。

 顔から離れたその指先には、水の雫があった。


 「泣かなくてもいいよ。麻季、わたしはあなたがいてよかった。あなたがいるこの生活と、あなたのことが大好き。ようやく、あなたはたどり着けたんだよ。あなたは、わたしに会うためにいろいろと、遠回りしてきたんだよ。そして、わたしにそう思わせてくれるあなたのことが、わたしは、大好きです。麻季」

 「…え……あ、お嬢……さま?」


 泣いているのか、自分は、と思う間も無く、篠の顔が寄せられてきた。

 あれ、と思ううちに気がついたら、唇を重ねられていた。

 一瞬焦ってそれから、やわらかいな、と思ったら、それはもう離れていた。


 「麻季、好きだよ。だからこれからもよろしくね、わたしの、メイドさん」


 そして、頬を朱く染めて微笑みながら、篠はそう言ったのだった。

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