第32話・ヤンキーの誕生

 「あらかじめ言っておきますけど。こないだみたいなホラ吹いたら、あの時のおごりの割り勘分、きっちり取り立てますからね」


 と告げながら突き付けた高級ステーキ屋の領収書の金額は、仁麻の顔を青くしてコクコク必死に頷かせるだけの効果はあったようだった。


 「分かってもらえて何よりです。それじゃあ、聞かせてもらいましょうか」

 「な、なにを…?」

 「この状況でまだそういうことが言える度胸は買いますが。ところで麻季のお母さんにうちの場所教えたの、仁麻さんだと聞いてますけど…申し開きあります?」

 「ごめんなさぁい…わたしも伯母さんには逆らえなかったのっ!……篠ちゃん最近麻季ちゃんに似てきた?…」


 ここが本署の取調室だったら、「十九時二十分、容疑者自白」とか隣で調書に書かれていそうな空気を醸し出す、鷺沼のケンタの店内だった。


 「…それにしても伯母さんから麻季ちゃんの行き先訊かれた時に予想はしたけど、思ったより動き早かったわねー」

 「そうなんですか?」

 「だって篠ちゃんちに伯母さん行ったの昨日でしょ?伯母さんからわたしに連絡来たの一昨日だもの。まさかすぐ次の日に突撃するとは思わなかった」

 「そもそも仁麻さんがわたしの家教えなければこんなことになってないんですけど。プライバシーとか個人情報って概念ご存じです?」

 「だから悪かったってばー」


 暮夜、ひとり決意した篠は、早速翌日に仁麻を呼びだし先日の不始末について糾弾することから始めた。

 そしてさっさと精神的優位に立って聞き出すべきことを聞き出し、あわよくばこちらのやりたいことに協力させるところまで持っていこうという心積もりでいるのだが。


 「麻季ちゃんの母親、ってトコに篠ちゃんも思うところあるんじゃない?最近ご両親と仲直りした身としてはー」

 「誰に聞いたんですか、それ…」

 「だってねー、篠ちゃんが麻季ちゃんをどう見てるのか教えたのわたしだもの。お母さんだと思われてるよん、って」

 「………まあ、そのお陰で親に顔見せにいける身にはなったので。仁麻さんはともかく麻季には感謝してますよ、ええそりゃもう」


 仁麻も大概曲者だったので、そうあっさり篠にいいようにされるはずもなかったりするのだ。


 (失敗したかなー…)


 作戦が上手くいかなかったことを悟り、オレンジジュースのカップにささったストローを咥えつつ、渋い顔になる篠だった。

 今日のところは執行猶予だ、と篠の奢りで夕食をとっている仁麻は、チキンフィレサンドを両手で持って囓りつつ、そんな篠の横顔を見ている。椅子に横に腰掛けた篠は必然的にそういう姿勢になっていて、そんなところに余裕の無さがほの見える、歳相応にかわいい女の子という印象なのだった。


 「…なんです?」

 「いやあ、篠ちゃん相変わらずかわいーなー、って」

 「どういう意味で」

 「分かりやすいところと…か……?」


 油断して本音が洩れてたらしい。篠は正面に向き直り、にっこり笑って判決を下す。


 「今日は自分で払ってくださいね」


 篠にしてみれば温情判決のつもりでそう言うと。


 「いやぁぁぁぁぁそれは勘弁してぇぇぇぇ!!……篠ちゃんの奢りだと思って財布の上限超えた注文しちゃったの…」


 実は死刑判決らしかった。


 「税別九百円のボックスも買えない財布ってどうなっているんですか、そこの二十四歳」

 「あ、こないだ二十五になったけど」


 なお悪いわ、と麻季なら言っただろうが、根が素直な篠は、毒気を抜かれた顔で「あ、そうなんですか。おめでとうございます」と言うくらいが精一杯。もっとも言われた方は微妙な顔をしてごにょごにょ口ごもっていたけれど。四捨五入すると三十になる年代に突入して、おめでとうと言われた女心など、ハイティーンの今を満喫する篠に分かるはずもないのだった。



 しばし仁麻が悶絶した後、話は再開した。


 「話がずれまくったわねー。で、何が聞きたいの?」


 自腹の足りない分としてアップルパイを差し出しつつ、仁麻はそう尋ねる。欲張って頼みすぎたのでむしろ丁度良かったりする。


 「実際のところ麻季とお母さんの仲ってどうなのかな、って思って」

 「それは麻季ちゃんがどう言ったかにもよるわねー。何て言ってた?」

 「ええと…」


 と、ここは昨日した話を全部バラす篠だった。麻季に悪いと思わないでもなかったが、なんとなく隠しても意味が無いような気がしたからだった。


 「…って話でして。わたしはその、やっぱり麻季が…ああいえ、なんでもないです、って何ですかその目は」


 話し終えると、仁麻はいわゆる生温かい目、というヤツで篠を見ていた。「やっぱり麻季が好き」とでも言おうとしていたのだろうと思うと自然にそーいう顔になるのである。

 が、ステーキの領収書のことを思い出して慌てて顔を真面目に戻す。幸い篠は怪訝な顔をしたくらいで、特に勘繰りはされなかったようだった。


 「うーん…麻季ちゃんの言い分も誤解だ、とも言い切れないのよね。伯母さんが麻季ちゃんに厳しかったのは事実だし。でも、躾けというか…わたしたちの家が古武道を家業にしているのは聞いたでしょ?」

 「家業って…なんか違いません?伝承してきたとか、そういうものだと思ったんですけど」

 「先代まではね。麻季ちゃんのお父さんが自衛隊でも武道の師範みたいなことしてはいるけど、本当ならね、うちのおじいちゃんの代で、もうそういうのはやめよう、って話になってたのよ。本家もうちもそれは納得してたんだけど…困ったことにねー、廃業しよう、って時になって天才的な使い手の子が生まれてきちゃったのよねぇ…」

 「え、それって…話の流れ的に、麻季のこと…ですよね?」

 「もちのろん。でも半分正解」

 「半分…?」

 「もうひとりいたのよねぇ…どちらかというと才能を努力で磨くタイプの麻季ちゃんと違って、本当の天才が」


 遠くを見つめるような目でケンタの天井を見上げる仁麻を、篠はうさんくさいものを見る顔で腐す。


 「…自分で自分のこと天才とか言うの、図々しすぎません?」

 「でもねー、うちのおじいちゃんと本家の詳しいひとにはそういう評価だったのよね。でまあ、わたしはこういう性格だからぁ、武道とかそういうのはすんごくイヤでイヤで。小さい時は言われるままに修練もしたけど、やりたいこともあったので公務員しながら美大に入って好き勝手してるのでした。めでたしめでたし」

 「まだめでたくないです。麻季はどうしたんですか、結局」

 「…それを説明すると篠ちゃん怒るから言いたくない」

 「そろそろ領収書の出番ですよ?」


 分かってて無駄な抵抗をする仁麻である。


 「……うー、ほんと篠ちゃんも麻季ちゃんの薫陶篤いわねー…えとね、わたしと麻季ちゃんがそこそこ使えることが分かったら、本家が方針変えちゃってね。わたしの方か、あるいは両方に後を継がせようとしたのよね。でもわたしは中学卒業の頃にはもうイヤになっちゃってて。うちの両親も本家とか麻季ちゃん家からは距離置いてたから、結局麻季ちゃんにおはちが回ることも考えられてはいたんだけどぉ…」

 「………」


 なんとなく篠にはそこから先の展開が想像ついたのだが、最後まで話は聞いた。


 それによれば、麻季は最初は自分も後を継ぐつもりで修練は続けていたらしい。それもかなり熱心に。

 ただ、本命視されていた仁麻にその気が無いことが分かると、本家側でも熱は冷めてしまい、話が立ち消えになりそうになったのだ。

 そこで我慢がならなかったのは、麻季の母の淑子だった。

 娘の麻季が自分から後を継ぐと言っているのに、本家の方がそういうことでは許されない、と、かなり強行に本家筋にねじ込んだり根回しをしたりした、というのだが。


 「…結局それでも判断は覆らなかったのよね。古武道を教える道場としてまだ地元では、わたしたちのおじーちゃんが続けてるけど、伯母さんは麻季ちゃんのやりたがってたことを続けさせられなかった、ってそう思っちゃったの。そうしてるうちに、その、ね…麻季ちゃんの髪の色っていうか、外国人みたいに見えるのが本家の総領の気に入らなかったから、みたいな話が出てきてねー…多分根も葉もない噂で、親戚に本気でそう信じてたひとはいなかったと思うんだけど、やっぱり田舎だからかしらねー…麻季ちゃんのこと色眼鏡で見るひとも少なくなくって」

 「………」


 仁麻が篠を見ると。


 「…なんです?」

 「ん、泣き出しちゃうんじゃないかな、って思って。でも大丈夫そうだから続けるわね。麻季ちゃんはね、自分の見た目が他のひとと違うってことを、重荷には思ってなくても家族に対して負い目のようには思っていたの。わたしから見て、だけど。で、ここからが麻季ちゃんを理解出来ないなー、って思ってしまうとこなんだけど……見た目で周りからそう思われるんなら、そう思われる自分になってやろうって。そう思ったみたいなのよね。自棄になったのか何なのかは分かんない」

 「それでヤンキーになった…と?わけわかんないんですけど…」

 「その頃はもうわたしも大学受験だのなんだので忙しくなって麻季ちゃん家とはちょっと離れてしまってたからね。お母さんお父さんと話し合ったりケンカしたりはしたみたい。そりゃあ娘が素行不良になって心配しない親じゃなかったけど、伯母さんも伯父さんも尋常じゃないひとだったから、あまり他人様に迷惑をかけるのでない限りは好きにさせてたみたいね」

 「…あの、それだと麻季がますます捻くれてしまうような気がするんですけど…」

 「普通のお家ならそう思うわよねえ…でもウチは家風としてそういう感じだったとしか言いようがないわねー」

 「そういうものなんでしょうか…」


 首を振って篠は考え込む。

 実家が続けてきた武道を継ぐことに思い入れとかがあって、時代が変わったとかなんとかそういう感じで、周りからは必要とされてないことが分かった。面白くない。だからグレた。そしたら勘当された。


 「…なんか短絡的過ぎません?」

 「わたしに言われてもねー。麻季ちゃんには麻季ちゃんなりの考えがあるんでしょ。考えた末にヤンキー目指した、ってのも破天荒に過ぎると思うけどお」

 「うーん…」


 正直言って理解出来たとは言い難いが、話の取っかかりくらいは掴めた気はする。 

 ただそれはそれとして、篠には納得のいかないことが一つあった。


 「…結局、麻季がグレたのって仁麻さんのせいってことになりますよね。仁麻さんがその、武道?を続けてたら麻季が懸命になる理由もなかったと思うんですけど」


 傍目には理不尽に辛辣とも思われそうな、麻季に感情移入百パーセントな篠の言い分にも、仁麻はそれほど気分を害したようには見えなかった。いくらか苦笑はしていたけれど。


 「そこのところはねー。後ろめたいとこが無くも無いから、麻季ちゃんが家を出たいと言ってきた時には相談にのったのよね。伯母さんとは連絡をとりあいつつだけど。あ、今のは麻季ちゃんには内緒ね?」

 「内緒も何も、多分麻季も気付いてますよ、それ」


 という指摘には、今日で一番ゲンナリした顔をする仁麻なのだった。




 その頃、お嬢さまと夕食を共にする機会を奪われたメイドの方は、というと。


 『いよぅ、娘。息災無事で生きてるようでまことに結構、結構』


 BGMにスーダラ節でも流れていそうな電話口の声に、こちらもゲンナリした顔をしていたのだった。

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