第31話・お嬢さま、決意する

 篠の部屋のベッドは、麻季の部屋のものほどでないにしても、一人で寝るには充分以上の広さがある。

 そのベッドの上で、就業時間の終わったメイドは私服で胡座をかいていた。外出時のヤンキースタイルではないにしても、紺のスウェットに薄手のパーカー、それもグレー一色のもの、というしゃれっ気皆無のナリである。


 「…どういうことなの?」


 そんな姿を学習机(といってもどっかの社長さんが使っていそうな固くておっきな机だが)のチェアに腰掛けた篠が、見ようによっては睨んでいる、とでもとられそうな目付きで見つめて言った。


 「あンのババァが言ったことなら心配しなくてもいーすよ、おじょーさま。あたしはあんな家に戻るつもり、ねーですから」


 一方、勤務時間外のメイドはいつもよりいくらかぞんざいな口調で、お嬢さまの懸念みたいな問いかけを一笑に付す。


 「そりゃあ麻季がわたしのことをほっといて実家に帰っちゃう、なんてことあるわけないって思ってはいるけど…でもわたしの心配してるのはそういうことじゃなくってね。麻季、お母さんとかお家と上手くいってないの…?」

 「えーとお嬢さま。上手くいくとかいかないとか、あのババァとあたしの間にそんなことは一切関係ねーんで」

 「そんな言い方しなくてもいいじゃない……お母さん、なんでしょう?」

 「不本意ながらまあ血の繋がりだけはありますが。ガキん頃に血液検査してハッキリしてますね、その点だけは」

 「そんなこと言ってたわね、そういえば……って…あ…」

 「はい?」


 なんでお嬢さまは自分の血縁関係なんかにこうも口を挟むのだろうかと、不快感よりむしろ好奇心的な心理で、麻季は身を乗り出してたりした…のが災いした。

 

 「麻季のうそつきっ!」


 立ち上がって怒鳴った篠の剣幕に驚き、名にし負う紛う方無きヤンキー娘は気圧されて仰け反った。というか、胡座を解いて尻餅をついたみたいな格好になった。


 「あの、お嬢さま。あたし別にお嬢さまにウソなんか一つもついてないんすけど…」

 「だって前に、仁麻さんにいろいろ吹き込まれて帰ってきたわたしに言ったじゃないのっ!ご両親の仲が悪いのかって聞いたら、別に悪くないって…全然違うじゃない!お母さんとあんな冷たい会話になるなんて、そんなの、そんなの……」


 …一言一句覚えているわけではなかったが、確かに麻季もそれっぽいことを言ったような気はする。確か、グレていたのかと聞かれて自分にそのつもりはない、とか。あるいは、両親の関係を問われて、自分くらいの歳で親にべったりくっついているとかあり得ないと一般論を述べたりとか。


 「………うーん」


 確かにウソはついていないが、正直に白状したというものでもない。責められて弁解の余地が微少レベルで存在する、というくらいのものか。


 「あのですね、お嬢さま」

 「………何よ」


 涙をこらえたやぶにらみ目で、今度こそ間違い無く睨まれていた。


 「関係がいいとか悪いとか、そーいう表現も出来ない関係ってのも、世の中にはあるんすよ。あたしとあのババァ…あー、まああたしの親父と言えなくもない男もそうですけど、アレらとあたしの間はもー、無関係、って関係しかねーんです。少なくともあたしはそのつもりですし、ババァもそのつもりです。だから、別にお嬢さまにはウソなんかついてません。関係は確かに悪くはねーんすから。良くもねーですけど、それがまあ、無関係、ってことなんで」

 「麻季のバカっ!!」


 え、なんで、と思う間も無く飛んできた英和辞典を、上半身だけを横にずらして避けた。そして篠も別に当てるつもりは無かったのだろうが、顔色ひとつ変えずに躱されてしまうと面白くはないらしく、次弾装填、みたいな感じで机の上で手の届く範囲に何かないだろうかと、麻季から視線を切らずに腕を振り回していたのだけれど。


 「ちょっ、おじょーさまストップストップ!もの投げるのは危ないですって!」


 辞書くらいならともかくコンパスだのカッターだのが飛んできてはたまったものじゃない、と、麻季はベッドから降りて篠を止めに入る。今どきの女子高生の机にコンパスなぞあるのかどうかはともかく。

 まあ幸いにして篠の机は整理整頓が行き届いて…いるのは普段麻季が片付けているからだったが、ともかくこれ以上何かが飛んでくるようなこともなく、いきり立つお嬢さまをなんとか宥めて話の続きが出来るようになると、再びベッドに腰掛けて、いきなりバカ呼ばわりされた件について釈明を求める。麻季だって、いくら篠が相手でもいわれなく罵倒されて心楽しむワケでも無いのだ。


 「…だって、わたしが同じように家に一度帰ってこい、って言われたときは、麻季は両親と話し合ってこい、って言ったじゃない。麻季だって同じようなことになってるのに、自分ばっかり…」

 「…あー、そりゃあ流れだけ見ればそうかもしれませんけど、お嬢さまとあたしでは事情は違いますよ…お嬢さまのご両親は、話だけ聞いたあたしにだって、ちゃんとお嬢さまのことに心を配っているのは分かりましたもの。家を出たいと仰ったお嬢さまに、ちゃんと住むところをご用意されたり。あたしはそういうのもナシで、身一つで東京来て、まあ従姉妹の助けはありましたけど、なんとかやってきたわけで」

 「………」

 「あとですね、あたしが実家と縁切ったのって、そのー、やっぱこのナリがあるわけでして」


 と、篠から見てもキレイにまとまっている金髪を指で梳きながら、麻季は続ける。


 「実家の本家って、関西でも今では結構な名家っつーか旧家扱いされててですね、あー別に関係が悪いってわけじゃねーです。で、あたしの実家は、本家を武力で守るみたいな家系で、今でも古武道の技を後生大事に守ってて、で、本家には頭上がんなくて。親父は自衛官やってて全国飛び回ってるんで家にはほとんどいなかったんすけど、その分ババァが家のこと取り仕切ってて、本家との折衝なんかもやって。んで、あたしのことはまあ、その家業っつーか、そういうモンを継承するのしないのでいろいろ揉めまして」


 それで中坊の頃からずっと親には反発して、話し合いもしましたけど埒が明かなくて、今に至るっつーわけです。

 そう締めくくり、もう言うことは無い、とばかりに自嘲的に微笑んでいた。

 篠はそんな麻季の微妙な笑顔を見てられなくなり、麻季が自分にかけてくれたような言葉を返してあげられる自信も無く、ただ黙って俯き、手元を睨んでいることしか出来ないのだった。


 「…話はこんなとこっす。まあババァにあー言われたことで何も変わったりしませんて。また明日から、あたしはお嬢さまのお世話をするだけです」


 それから、時間過ぎましたけどお風呂の支度してきますよ、と静かになった篠に声をかけ、麻季は部屋を出て行った。

 取り残された篠には、納得のいかない思いがある。

 自分は、麻季の助言に背中を押されて親と向き合った。それで、思っていたよりもずっと簡単に、言葉を重ねることが出来た。そうしたら、頑なに在ったものが解けていったように思う。


 「…話くらいしないと、何も分からないじゃない」


 そう呟いてはみたが、自分と麻季の間に違いがあるとすればまさしくそれなのだろう。

 きっと麻季は子供の頃から、満たされていないものを親に問うていたのだろう。そんなことさえ避けていた自分と違って、麻季ならそうしていたに違いない。

 それでも麻季に対して何かをしてあげたいと思うのは、今まで求めてばかりいた想いに何か変化が生まれた証なのだろう。

 麻季は言っていた。自分が麻季に向ける感情は、母に愛されなかった記憶のない篠が、それを埋めようとしているからだ、と。けれどそれは、完全ではなくとも満たされたようには思う。他ならない麻季の言葉に押されて。

 そして残った、麻季への思慕が何に根ざすのかを考えると。


 「やっぱり、わたし麻季のことが好きだ。麻季にだって幸せになって欲しい。わたしの言葉と行動で麻季を幸せに出来る、わたしにやれることある…よね」


 うん、と力強く一人頷く。

 少なくとも、麻季を助けたい自分の話を聞いてくれる、言葉をかけてくれるひとは何人もいるのだから、と。

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