13 手紙と樹木

「おはよう、ぎなっち」


 隣に座ったミナミがお菓子を差し出してくる。


「お礼はもういいわよ」


「なに言ってんだよ。受けた恩は死ぬまで恩だぜ」


 あの事件キスから1週間経っても、ミナミはナギに毎日差し入れをした。

 正直、思い出してしまうから、やめてほしかった。


「もう忘れていいから。あたしたちは普通の友だち。いい?」


 半ば自分に言い聞かせるようにナギは言った。

 わかったよ、と苦笑するミナミ。


「パイセンからはもうないの?」


「ない。きっぱり諦めてくれたみたいだ」


「そう、よかった」


 それなら、あの演技キスもやってよかった、とも思う。


『あの、ちょっといいですか……?』


 後ろの席からの声に、ナギは振り返った。

 眼鏡をかけた女子大学生だった。

 名前はわからないが、確か同じ学部だったはずだ。


「はい」


「すいません、大きな声では話せないことなんですけど……」


「はい」


「おふたり、付き合ってるって、ホントですか?」


「はい?」


「そういう噂が流れてるんですけど……」


「はい〜〜〜?」


 当然ながら、そうなるのである。

 ナギとミナミはあの一日、恋人として振る舞った。

 それは講義中でも、例外ではない。

 同じ学部の学生の前で演技をしたのだから、噂というより、自明のこと。

 バカなことをしてしまった、とナギは今さら気付いた。


「いや、違うんだけど……それマジで言ってんの、アサイさん」


 ミナミの言葉にアサイはこくこくと頷いた。

 大きな眼鏡がずれにずれる。

 ナギは手で顔を覆った。

 海外の人が『オ〜ウ』とする、あれ。


「でも、お似合いですし……こう、ミステリアスな感じが良きって……」


「良き、ってなんだ?」


「それに、ワタクシとしても、興味が湧いちゃって……」


「湧いちゃって、とは?」


「女性同士の秘密のお付き合いとなると、ワタクシ、心の樹木が立っちゃうんですよ……」


「それ、ダメな樹木だな?」


「御船さん。本当に北野さんとお付き合いしてないんですか?」


 ナギは首を振ることしかできなかった。もうお手上げ状態だった。

 アサイは興味津々に訊いてくる。どうしようもない。


「違うわよ……そう、違うのよ……」


「時間の問題ですか?」


「違います」


「確かに、すごいラブラブしてた時はありましたが、その時だけで、ここ1週間は距離感も普通だったし……もしかして、おふたりが陰に潜むフェーズなのかなと」


「フェーズもクソもないわよ……」


 なんだぁ、とアサイは肩を落とした。

 明らかに別の意味での「なんだぁ」だった。


 助け舟のようにチャイムが鳴り、講義が始まった。

 ナギがノートを取っていると、後ろから手紙が投げ込まれた。

 古風な伝達手段だ、と手紙を開く。


『もし、本当に恋人だったら、ちゃんと隠してくださいね。その方が、燃えますので』


 ナギは一呼吸置いて、手紙を握り潰した。

 背後から「あぁっ」と小さな悲鳴が聞こえた。


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