4.天使の絶叫

 第1コーナ、後ろは見ない。駿は旋回Gを振り切り猛加速。続くS字へ殴り込む――と。

 背後に。

 違和。

 コースに白。モータ車。力任せのライン取り、コーナリングで詰めてくる。

 上り勾配、カーヴを攻める、後方視界に白一つ。旋回後半、加速の域が尋常でない。

「モータの本領発揮ってか!?」

 逃げるクロ。迫る白。進路はクリア。地力と地力のせめぎ合い。


 ピットの向かい側、観客席がさらに沸く。

「こいつがモータ車の本性か」監督がモニタ、モータ車の追撃に顎をしごく。「あいつ、電力を総動員するつもりだな」

「モータ車のキャパシタ電池?」麗が同じくモニタを睨む。「さっきのピット・インでフルに充電できたでしょうね」

「そしてモータってのは、」監督の声に警戒色。「電力ぶち込んだ分だけトルクをひねり出してくる」

「つまり、」麗が監督へ眼を向けた。「今の加速力は天井知らず?」

「電力が有り余ってるからな」監督が首へ手をやった。「なりふり構わず、ってセンもある」

「ということは、」麗が細めて眼。「モータに負荷が?」

「そういうことだ」監督の無線へ声を向けて、「駿! 事実上の1対1だ! このさい効率は無視して構わん、ペースを上げて上げまくれ!!」


 カーヴの群れを衝き抜けた。クロはバック・ストレートへ。

 ギアを落とす。アクセル開放。エンジンが軽やかに吹け上がる。加速。ギアを掻き上げなお加速。パワー・バンドで天使が歌う。

 迫って背後。白い影。無音。逆襲。追いすがる。

 加速はモータの十八番と言われる。大電流で無理矢理地を蹴り放ち、小型軽量の質量配分に物を言わせて、強引とも見える立ち上がり。

 減速ポイント。クロのギアを叩き落として2段。エンジン・ブレーキ――のその背後。

 拡大。白。間が詰まる。遮二無二距離を詰めてくる。

 無視した。コーナ。インを攻め――、

 抜けた。ギアをなおも落として加速。全開。引き離す。


「くっそ!」監督がモニタへ毒づいた。「無茶やりやがる!!」

「なりふり構ってないわね」麗の表情も難しい。

「とは言え、」監督が腕組み、そのまま指を踊らせる。「今さら引っ込む手はない。あっちも尻に火がついてる。恐らく大火事ってとこだろう」

「大火事?」麗の小首が描いて怪訝。

「あっちのスポンサ・ロゴを見てみな」監督が底意地悪く笑って、「総合電機に官製ファンド、大口がレースを見ちゃいねぇのさ。勝てなきゃ責任どうこうだとか、夢のない話が透けて見えるね」

「ああそれ」麗も苦く口をゆがめた。「ま、私も見てきたものがあるとだけは」

「譲る気でも?」挑むように監督。

「まさか」即答、麗。「だからロマンに走ってるのよ」

 携帯端末、出資達成率は緩やかながら伸びている――68.3%。

「じゃあ突っ走ろうぜ」監督の頬に不敵の色。

「いいわね、それ」麗にも不敵。

「駿!」無線へ監督。「喜べ! 相手はすっかりトサカにきてる。煽れ! 自滅へ追いやるぞ!!」


 駿の頬に悪い笑み。「言われなくとも!」

 猛減速、シケイン突入。クランク形状を最短でパス。抜けて加速、最終コーナへ。

「この喧嘩、」駿がアクセル開放。「買った!」

 高く、雄々しく、澄み渡る。最終コーナからなお加速、瞬発力はロケットさながら。モータ車を引き離してホーム・ストレート、クロは歌声も高らかに衝き抜ける。歓喜の渦が後を追う。

「さあ来い!」減速ポイント寸前まで攻め、駿は一転して減速全開。インを衝く。

 後方。沸点。モータ車。加速。全速。突っ走る。


「正念場だな」声低く監督。

「正念場ね」麗もつられる。

 モニタ向こう、もはや様相は一騎討ち。クロが馳せる。モータ車が競る。後続はすでに視界の外。

「実質、」監督が息を軽く継ぐ。「3番手に神経向けてる余裕はない」

「『この際2位はないと思え』、」麗が示して携帯端末、「あなたの言葉よ」

 出資が眼にも見えて伸びていく――76.4%。

「『優勝するか破滅かだ』、ってな」監督が回想を巡らせながら、「肚が決まってるんならそれでいい」

「あとはひたすら彼次第かしら」麗がモニタ、クロの疾走へと眼を投げる。

「こっちが気を抜いちまったら始まらんよ」監督が一つ肩を鳴らした。「ピットの士気もレースのうちだ」

「そうね」腑に落ちた顔で麗が頷く。「何かできることは?」

「檄でも飛ばしてやってくれ」監督がサイン・ボードを示して、「サイン・エリアから直接」

 ピット・ロードを横切れば、ホーム・ストレート脇のサイン・エリアへ赴ける。

「直接?」麗が自らへ指。「私が?」

「救いの女神だ」監督が笑む。「あんたの励ましが一番強い」


 最終周のバック・ストレート、駿の背後――スリップストリームにモータ車。白。吸い付く。離れない。

 気圧の谷で勢いを乗せれば、速度限界はそれだけ上がる。ここでクロの馬力は空気と拮抗、さらなる加速は手札にない。

 が。

 コーナへの進入ラインを譲る気はない。ただし姑息な手を使う気もない。何より勝負は熱く燃えてこそ華。

 飛び出した。モータ車。なお加速。横並び。直線終端、減速ポイント――来た。ギアを落とす。全力ブレーキ。身を引き剥がさんばかりの慣性力。タイアが軋む。限界は近い。

 の。

 大外。

 を――。

 抜いた。モータ車。鼻を出す。

「まだだ!」

 まだ姿勢は乱れていない。コーナのイン側、ピークを――、

 越えた。アクセル。絶叫。全開。タイアが地を噛み――損ねる。

 咄嗟、アクセル調整――すんででタイアが踏み留まる。加速。追撃。後を追い――気付く。白い背中が遠くない。

「向こうもヘタったか!」

 アクセル開放。パワー・バンド。速度を稼ぐ。猛追。スリップストリーム、意地で張り付く。

 追い落とす機会はもう多くない。シケイン向こう、最終コーナからチェッカ・フラグまで距離はない。

 賭けた。粘る。シケイン前。最終減速を遅らせる。減速。並ぶ。鼻先が外から抜け――かけたところで。

 違和――。

 膨らむ。モータ車。タイアに悲鳴。かわす。駿が反射の修正舵。尻が流れる。当ててカウンタ。前輪のグリップを意地でも残す――そこへ。

 流れた。モータ車。接触――横腹。

 ここで効いて質量差。軽い相手は重いクロに弾かれ、盛大なスピンに陥った。

 しかし駿も無事とはいかない。保ったはずの平衡を崩されては、やはりスピンを免れない。

 抜いてクラッチ、当ててカウンタ。

 コーナ外縁、緩衝タンクへ横から尻。派手に飛び散る水飛沫。


 ホーム・ストレート、その音はサイン・エリアの麗へも届いた。

「!」

 歓声が、驚愕の色へと濁る。

 麗も見た。水飛沫。その大元、緩衝タンクの傍らに――、黒い影。

「――!」

 呑んだ息が冷たく青い。


 我に返った。

 頭を一振り、駿は気を取り直す。

 ――耳にまだ駆動音。

「行ける……か!?」

 眼に計器が――しかし映らない。

「くそ――監督!!」

 沈黙――無線が反応を返さない。

「電装系――水か!!」

 ギアを1速へ。クラッチを繋ぐ。

 まだ――動く。

 希望はある。稼いだ優位にまだ残り。探るように開けてアクセル、クロが息を吹き返す。


「――動いた!」

 麗の声がかすれて洩れる。

 黒い影はコースの方向へ。だがその動きがまだ頼りない。

 麗が口を開き――かけて自覚。息が震える。唇がわななく。

 首を一振り、思い切る。ここでうろたえてはいられない。

 意識して息を繰り返す。次第に大きく、少しづつ深く、

 そして、

 声を、

 限りに――、

「駿――!!」

 そこへ、遠く――オーケストラ。V12勢の存在感。


「行け!」祈るように駿。「行け!!」

 コースへ復帰したところでギアを2速へ――途端に異音。ギアを抜く。

「ギアが歪んだか!」

 クラッチを合わせ直して1速、そのまま速度を引っ張り、3速へ――また異音。

「畜生!」

 ギアを抜いてまたも1速――その視界へ影。真横。


「動いた!?」麗も捉えた。「モータ車が!?」

 クロの横、白い影。ただしこちらも精彩を欠く。 

 咳を交えた天使の声が、負けじと音階を駆け上がる。観客席の声が色付く。

「勝って!」麗がサイン・ボード、『Come on!!』の一言とともに声。「駿――!!」


 駿が反射、アクセル一杯。回転数をレッド・ゾーンへ追い立てる。わずかに優位、だが保たない。

「入れ!」

 最後の希望、いきなり4速。

 入った――。

 クラッチ。繋ぐ。低回転。エンジンの機嫌が傾いた。なだめるように回転を伸ばす。白が再び視界の端へ。

「伸びろ!」

 なお伸ばす。ホーム・ストレートへ。白い影が流れて後方――そこへV12のオーケストラ。近い。

「耐えろ!」

 後ろは見ない。さらにアクセル――ギアに変調。

「保て!」

 すかさず5速へ。だが迫ってV12。

「行け!!」

 チェッカ・フラグはすぐ間近、しかしV12もまた至近。

 賭けた。踏んだ。天使が叫ぶ。大加速――と同時に違和が差す。咄嗟。クラッチを切っ――たところでギアが逝く。

 慣性――至近にチェッカ・フラグ。

 快音――背後にV12。

 駿に執念――ただ前へ。

 そしてフィニッシュ・ラインを――踏み越える。


 駿がクロを、残る惰力でコース端へ。ピット側、サイン・エリアへ寄せ――たところで気が付いた。麗が両腕を、千切れんばかりに振っている。

 近付き――通過。惰力は第1コーナに届かない。軽くブレーキ。クロが停まる。

 そこで気付いた。轟雷――もかくやの拍手喝采。それが留まる気配を見せない。

 眼を観客席へと上げる――総立ち。うち一人と眼があった。破顔一笑。拳が上がる。連鎖。伝播。沸騰――。

 そこで知る。意を悟る。この興奮が赴く先。ふと振り返る。サイン・エリアの人影の上、近付くサイン・ボードがある。

 いわく――『Win!!』


 サイン・ボードの主――覗いた姿はやはり麗。

 無線はきかない。肉声も喝采に呑まれて届かない。

 もどかしげに懐から携帯端末。その一端が覗いた。『9』。上一桁。

 駿の眉がにわかに曇る。「……届かない……!?」

 気付かず麗が端末を引く。続いて『0』。駿が唇に歯を立てる。続いて見えた。『2』――が吹き飛んで『3』。それからコンマ。続伸中。

「――900%!?」

 面を上げて麗が破顔。サイン・ボードを小脇に抱えて手を空け――、

 宙へキス。投げた先には駿がいる。

 喝采が、ひときわ大きく、高く響いた。


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