第17話 境島署のいちばん長い日15

 鼓膜を突き破らんという咆哮が、フル稼働するパトカーのエンジン音を搔き消す。

 急カーブに後部座席のユリウス達は身体が右側に押し付けられ、また反対側に押し戻される。

 車内がさっと影に入った。

 外を見れば、高い松のトンネルが両側を覆っている。

 ゴルフ場の付近に着いたのだ。ゴルフ場は殆どが松などの背の高い木が周辺に植えられている事が多い。ドラゴンの視界を遮るのにはうってつけであった。

 等間隔に並ぶ松の木が、物凄い速さで後ろに動いてゆく。


「ユリちゃん! 次は!?」


 2車線の細い県道を凄まじいスピードで走りながら、但馬が叫んだ。

 ユリウスが口を開こうとした時、突き上げるような衝撃がパトカーを襲った。


「な、何なになに!? 今の!」


 但馬が目を白黒させながら叫んだ。タイヤが嫌な音を立てて車体が左右に振られたが、何とか立て直す。


「木を風圧で倒す気だわ!」


 エルミラの声に後ろを見ると、パトカーを上空から追っていた飛竜が一際大きく翼をはばたたせ、旋風のようなものを発生させている。

 羽ばたきが大きく早くなり、ボッ!という炎が一瞬燃えるような音と共に、通り過ぎた場所の松の幹が粉々に弾け飛んだ。


「うわっ!!!」


 木の破片が窓ガラスに当たり、ユリウスは思わず顔を覆った。

 エルミラのまずいわ!という声が聞こえ「どうした!?」と但馬が声を上げた。


「もっと速く! お願いします! !」


 後ろを見れば、県道の両側に生えている松の木がドミノ倒しのように倒れてくるではないか。

 これにはユリウスもドラゴンの知能の高さに驚くしかなかった。


「くそ! 班長! 50メートル先を左に!」

「よしっ!!! おわっ!!!」


 金属が悲鳴を上げる甲高い音と共に凄まじい衝撃。頭を下げて!とユリウスが叫ぶとギャリギャリと嫌な音を立ててパトカーの天井が切り裂かれた。


「マジかよ! ヤバイ!やばいやばい!」


 但馬の悲鳴が衝撃音に混じって聞こえた。巨大な爪がパトカーの天井を押しつぶす。ユリウス達はできるだけシートの間に挟まるように身を屈めるしかできない。

 バリバリ、ガリガリガリとパトカーの天井がひしゃげ、容赦なく金属が紙のように破れてゆく。

 後部座席の窓ガラスが飴細工のように砕け散った。

 巨大な口が、牙が、天上の亀裂からぬうと覗き込んだ時。

 ユリウスはハッと我に返り、腰の銃を抜いた。


「エルミラさん! 撃って!」


 エルミラもその言葉を瞬時に理解し銃を抜き、隣の但馬に叫んだ。


「班長! 耳を塞いでください!」

「嘘、何なに、待ってマジで!!!???」


 計10発の乾いた破裂音が響き渡り、ギャア!という悲鳴と共にパトカーは解放された。

 車体全体が潰れているのか、バンパーを引き摺っている様な音がひっきりなしに聞こえる。


「ちょっとこれはヤバいかもしれないよ!」


 ハンドルを切りながら、但馬が言う。

 すると、後ろからサイレンを鳴らしながらパトカーが猛スピードで追随してきた。境島2だ。

 助手席から犬飼が手を振っている。

 ユリウスは先程まで窓があった場所から顔を出した。


『班長! 加勢に来ました!』


 その後ろを、深い青銅色の鱗に覆われた脚と鋭い爪が襲おうとしている。

「危ない!」とユリウスが叫ぼうとした時であった。


 きゅるあああうああああぉおおおおおおおう。


 ずっと大人しかったちびドラゴンがその口を限界まで開き、親の咆哮にも負けない声量で鳴いた。

 流石の飛竜も怯んだのか、その爪は空を切り離れてゆく。

 その隙を逃さまいと、ユリウスは運転席めがけて声を張り上げた。


「但馬班長! スピードを境島2と合わせてください!」

「良いけど……どうすんのよ!?」

「境島2に飛び移ります! 1はもう走行できない! 僕が飛び移ったら安全区域に離脱してください!」

「 ガーランド君、ダメよ!」


 エルミラが首を振る。


「駄目だ。この子がいないと、アイツは収まらない。大丈夫。絶対上手くいく!」


 ユリウスは無線を取り、犬飼に向けて無線を送った。


「ガーランドより犬飼部長、1と2を並走させてください! 今から飛び移ります! 囮役を1から2に移行させますので、飛び移り次第すぐにスピーカーから鳴き声を流してください! 」

≪ハァ!? り、了解!≫


 無線を切ると、ユリウスは大きく息を吐き、そして拉げたドアを開けようとした。が、開かない。

 上空では怒りの咆哮が響いている。時間がない。


「まずい! !」


 渾身の力で歪んだドアを蹴り付ける。軋む音が響くが僅かな隙間が出来ただけで、開かない。

 境島2が1の横についた。時速120を超える猛スピードで県道を走る2台のパトカーなど、映画の中のような光景であった。


「よし、並んだ!」


 但馬が汗みずくになった顔でハンドルを握りながら声を張り上げた。この状態の車を高速で運転し続けるなど神業以外の何者でもない。

 もう一度ドアを蹴り付けようと足を上げると、バキィ!と何かがへし折れる音と共にドアが開いた。いや、引っぺがされたと言った方がいいだろうか。引き剝がされたドアが遥か後ろに吹っ飛んでいくのが見えた。

 ぽっかりとドアがあった場所から見えたのは、後部座席のドアを開けた境島2。その中で犬飼が半身を乗り出していた。


「犬飼部長!」

「先輩! もうちょい寄せてください!」


 犬飼が毒島に合図し、こちらに手を差し出した。


「ユリウス! いいぞ、今だ!」


 咆哮が頭上に響き渡る。

 ユリウスは懐の温もりをしっかり片手で抱き締めたまま、もう片方の手で犬飼の手を掴み飛び移った。


 2台の距離が一気に広がる。

 その間に松の大木が落ちて砕けた。上空から飛龍が掴んで落とした物だった。

 境島2はそのままスピーカーからレコーダーの音声を流しながら、猛スピードで県道を走り始めた。



 一方、境島署の地域デスクでは、杉本地域課長が位置情報システムのディスプレイを見つめながら厳しい表情で無線を聞いていた。


≪境島1が離脱、離脱しました! これより囮役は境島2に移行します≫

「了解。境島から、境島1。但馬係長、ラヴィネ巡査」


 応答はない。

 事務室にいる全員が、固唾を飲んでそのやり取りを聞いていた。


「境島から、境島1。応答してください」


 やりきれない沈黙が、もう一度この場を覆い尽くすかに思えた。


≪ザ、ザザ・・・・ちら、境島1≫

「境島1、聞こえますか」

≪感度不良につき、一方通信。但馬、ラヴィネ共に負傷等無し。PCは全損により自走出来ない状況です。場所は……≫


 その無線を聞いて、そこかしこから安堵の溜息が事務室に響く。

 杉本は一瞬だけ眼を閉じてから「了解、すぐに回収に向かいます」とだけ無線を送った。


 時計を見れば、日没まで、あと2時間を切っていた。

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