第11話 ある中国人を警察まで迎えにいった話

2021年12月初めのこと。

Twitterを見ていたら、泰葉の「フライディ・チャイナタウン」という曲がタイムラインに上がってきました。初めて聞いた曲でしたが、サビの部分のボーカルの高音と「ッカー!」っていう音、あれって何だっけ、打楽器のアレ、ヴィブラスラップ? その組み合わせにぐっときちゃって、その勢いで泰葉のベストアルバムを通販しました。

令和に80年代の曲を買うとは。なんだか過去にタイムスリップしたような不思議な気持ちです。



届いたCDを聞きながら寒い部屋でミルクティーを飲んでいたら、ふいに昔のことを思い出しました。冬……中国……ミルクティー……そして警察。なんだかそんな出来事があったような。社長が逮捕された件をエッセイに書いたので、それで警察関係の記憶の扉が開いたのかな。



そういえば、あの日もとても寒かった。




――


これは今からずっと昔の話。私がまだ大学生のころのこと。


ある冬の深夜1時すぎのことでした。


自宅でプラスチック製の湯たんぽを抱きしめて寝ていたら、私の携帯が鳴りました。こんな夜中にかけてくるようなヤンチャな友人はいないので、なんらかの緊急事態、それも悪い知らせであろうと思い、きゅっと心臓が縮まった気がしました。トラブルはいつだって電話から始まるんだよなあと思いながら、通話ボタンを押しました。



「〇〇警察署ですが……」

ほらもう、やっぱり悪い知らせじゃん!


「中国人のAさんをご存じですか」

知ってますけど、Aさんがどうかしましたか。


「えっ、本当に知ってるんですか!」

どういうこと?


「今、Aさんはうちの署で取り調べを受けておりまして」

ええー、Aさんって真面目な人なのに、一体何が!? もしや何かの事件に巻き込まれたとか!?


なお、Aさんの個人情報保護のため、性別、年齢等は伏せさせてください。


「ゴオルドさんでしたっけ、今から署に来ていただいて、AさんがAさんだって証明してくれませんか」

ん? 何言ってるのかわからない。ちょっと疑わしい気持ちになってきた。あなたは本当に警察の人? これってイタズラ電話ですかね? 

(警察署からの電話って末尾が0110なので、番号を見ればすぐ本物の警察からの電話だとわかったはずなんですが、この当時は夜の不動産の仕事をする前の私ですので、そんなことはまだ知りませんでした)


「本当に警察ですよ。それで、Aさんが頼れるのはゴオルドさんしかいないって言うんですよ」

私しかいないって、そんなはずないと思うなあ、在日中国人のネットワークすごいもん。頼れる中国人がいっぱいいるはずだけどなあ。QQでしたっけ、なんかそういうSNSみたいなのでつながっていて、例えば隣に座る中国人に「困ってるんだよ」なんて話をしたら、5分もしないうちに遠方に住む中国人から「困ってるんだって? 大丈夫?」って電話がかかってくるような、そんなイメージがあるんですけど。


なんか怪しい電話だな……。


疑問に思いつつ、とりあえずさらに詳しく話を聞いてみることにしました。


警察(?)が言うには、Aさんが車上荒らしをしているとの通報を受け、警察はAさん宅を訪問したそうです(話の初めから既によくわからない)。

Aさんは車上荒らしをしていなかったが(なんでわかるの?)、在留カードもパスポートも持っていないと言うのだとか(いや、持ってるはずだよね)。

これは不法滞在ではないかという新たな容疑がかかったので、署まで同行してもらった……とのことでした。


よくわからない話ですが、間違いなくAさんは私のバイト仲間で、ちゃんと正規の手続きをして日本に留学している人ですと私ははっきり言いました。だって同じ大学に通っているし、大学内でも会ったことあるもん。不法滞在ってことはないはず。


「でも、在留カード(当時は別の呼び方だったかも。覚えてない)を持っていないっていうんですよ。本人が言うには、職場のロッカーに置いてあるっていうんです。そんなの嘘だろうと言ったら、それを証明できる人がいるから電話してくれと言い出しましてね。どうせでたらめの番号だと思ったら、本当にAさんを知っている人が電話に出たので驚きました。それで、申しわけないんですけど、ロッカーから在留カードを持ってきてもらえませんか」


えっ、それ、明日じゃだめですか。今って深夜1時ですけども。外はすごく寒いし。


「明日でもいいですけど、それだとAさんには留置所に一晩泊まってもらうことになるのですが」

ああ、それは気の毒ですね。


「そうなんですよ、可哀そうですよね?」


「……」

「……」



ええ~。

もう、しょうがないなあ。

「あ、ロッカーにはパスポートも置いているそうですので、それも一緒に持ってきてくださいね」

はいはい。


私は寝ている上司を電話で起しまして、平謝りして職場のカギを貸してもらい、ついでに車も借りて(免許はあるけど車は持ってないのね、まだ学生だったし)、Aさんのロッカーから在留カードとパスポートを持ち出し、警察署に向かいました。


警察署には、本当にAさんがいました。本当に本物の警察からの電話だったんですね。実はまだ少し疑っていたんですが……。ああ……。やっぱりマジのやつだったかと残念な気持ちになりました。


刑事さんはカードを確認し、そして私とAさんを会わせて、私が間違いなくAさんだと答えると、Aさんを釈放してくれました。



身柄を解放されたAさんは、ショボーンとしていました。



署から出て、車で来ているから家まで送るよと伝えると、Aさんは「お世話になりました」と言いました。

本当ですよ、寝てたところを起こされましたよと私が笑いながら言うと、「すみません」と。


駐車場に向かう途中、自販機の前を通ったので、あったかいもんでも飲みましょうと誘い、私はミルクティーを、Aさんはコーンポタージュ缶を買いました。


助手席に座り、しょんぼりした姿勢のまま、ちびちびとコンポタを飲むAさん。

うーん、どうも元気がない。

まあ、警察で取り調べを受けたんだから当然かなあと思っていたら、Aさんが「私は車上荒らしはしてないです」とぽつりと言いました。

そうでしょうねえ、なんでそんな誤解をされちゃったんでしょうね。

「刑事さん、通報があったって言ってました」

ああ、そういや、そんなことを言ってたっけ。

「中国人が嘘の通報をしたんだと思います」

えっ、なぜ?

「私、中国人だけど少数民族だから、中国人から嫌がらせを受けているんです、もうずっと長い間」


Aさんはしょんぼりしたまま、私にパスポートを見せながら、ぽつりぽつりと己の出自について語ってくれたのでした。個人情報なので、そのへんは割愛します。



しかし、当時の私は中国について何も知らず、日本で仲良くしている中国人が私の知る中国のすべてだったため、そういう出身による差別があるということを知りませんでしたので、Aさんの話はにわかには信じられませんでした。私の知る漢民族の人たちは、モンゴル系の中国人や韓国系の中国人とも仲良くしているように見えたし、台湾の人とも仲良くしていました。とても出身で差別をするとは思えませんでした。まあ、そんなの私の言い訳に過ぎないんですけども。

でも、世の中いろんな人がいますよね。日本人にもいろんな人がいるように、中国人だっていろんな人がいる。差別をする人はどこの国にもいる。



それなのに、当時はAさんが言うこともあまり深刻に受け止めず、在日中国人の間でAさんが孤立しているようだと、その程度の認識しか持てませんでした。

Aさんが言うには、自分はたくさん嫌がらせを受けており、在留カードとパスポートを職場に置いているのも、自宅に置いていたら盗まれるかもしれないからだそうです。それって考えすぎなのでは? と当時は思いました。日本で暮らすストレスで気持ちに余裕がなくなっているのかもしれない、そう軽く考えてしまいました。


そもそも嫌がらせをしてくる人って誰なんですか?

「わかりません。中国人なのは間違いないです。家に手紙が来るんです、「中国に帰れ」って書いた手紙が。張り紙されたりとかもありました」

それって日本人が犯人ってことはないんですか?

「中国語で書かれていたので……」

ううーん。中国語が堪能な外国人(日本人も含む)って可能性もゼロじゃないのでは。わざわざ中国語で書いた手紙を送りつけてくるなんて逆に怪しい気もするけどなあ。



Aさんが嫌がらせを受けているのは確かのようでした。

だけど、これって本当に差別問題なのかな。そういうのではなくて、ストーカーなのでは?


そんな私の内心が伝わってしまったんでしょうか、今回のお礼にと食事にお招きされて、それがAさんとプライベートな話をした最後となりました。もしかしたらAさんには私が漢民族をかばっているように見えたのかもしれません。



Aさんはその後、起業するとのことで仕事をやめ、それっきり縁が切れてしまいました。



そして、最近、テレビなどで新疆ウイグル自治区の問題が報道されているのを見て、ああ、Aさんは今どこでどうしているんだろうかと、元気でいるだろうかと、心配になり、また、悪いことをしたなあと、信じてあげられなくて悪かったなあと後悔の気持ちで胸が痛むのでした。


実はAさんがウイグル族出身だったかどうかはわかりません。本当に薄情な話なんですが、Aさんがどういう出身なのかちゃんと聞いたのに忘れてしまったんです。本当にもうね、私は恥ずかしい、言葉もないです。

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