第16話 国王にしか見えない景色がある


 そのまま夜通しオッサンの愚痴に付き合わされる気がしたのでどんな言い訳をして帰ろうかと思い始めたその時、不意にオッサンの話題が変わった。

 どうやら愚痴を言うためだけに俺を呼び出したわけじゃなかったらしい。


「それはもう済んだことだ。今更愚痴を言っても始まらん」


「いや、めちゃくちゃ愚痴ってただろ。今」


「うぐ……問題は、婚約した後の話だ」


「あと?問題も何も、誤解も解けて、エリーシアも無事にロリコンに嫁ぐことになって、みんな万々歳だろうが」


「お前、ロリコンって……一口に妻に迎えると言っても、二人以上となると序列が生じるだろうが」


「そりゃ、侯爵ご令嬢のエリーシアが第一夫人で、貴族の養子の体裁は取り繕っちゃいるが元は平民のハイリアが第二夫人――で済んでたら、わざわざに俺に相談したりしないよな」


「ああ。別室で待機してもらっていたハイリアにも確認を取り、そういう方向で侯爵との話がまとまろうとした時、エリーシア嬢が異議を唱えてきた。すでにハイリアとの婚約を公に発表した以上、自分が第一夫人の座を奪うことはできないと言ってきた」


「そりゃあ、また……」


 筋は通っている。

 ハイリアとの婚約が先である以上、そこにエリーシアが大貴族の権力を振りかざして覆せば、その後のハイリアの人生は、貴族社会で後ろ指をさされるものになるだろう。

 だが、昼間の一騎打ち騒ぎの顛末は、俺達や黒鉄の虎以外にも、貴族との縁が深い四大騎士団が見届けている。明日、いやすでにこの夜の間に、貴族の間で話題となっているはずだ。

 そこにエリーシアが第二夫人だと発表すれば、騒動の再燃では済まなくなるかもしれない。


「まあ、全部オッサンが悪いんだけどな」


「俺が謝って済むのなら、いくらでもそうする!だが、これは女同士の問題だ。困ったことに、エリーシアの考えに感化されて侯爵が翻意しているから、周囲の説得で外堀を埋めることも難しい。一刻も早くエリーシアとの婚約を発表して、騒動の終結をアピールせねばならんのだが。なあクルス、何か名案はないか?」


 そう言われた俺は、腕を組んで考える、ふりをする。


「……なあオッサン」


「なんだ!?もうアイディアが浮かんだのか!!」


「俺、永眠の森に帰ってもいいかな」


「は……?」


「何を馬鹿な、って思ってるかも知らんが、けっこう切実な問題なんだぜ。サーヴェンデルトに来る前に一応フランチェスカ様に断っちゃいるが、そろそろ帰らないとヤバいと思うんだよな」


 何がヤバい、とはあえて言わないでおく。

 もちろん、俺達がフランチェスカ様に怒られる(それ以上の断罪もありうる)という意味でもあるんだが、それはそのままサーヴェンデルト王国にも当てはまる。

 俺達『銀閃』という窓口を王国が失えば、交渉事が面倒くさくなったフランチェスカ様に見捨てられ、その内目覚めるだろうボクト様に滅ぼされる危険だって出てくるんだよな。

 もちろん、俺もそこまで状況が悪くなる前に帰りたいし、もっと言えば、ハイリアの命の危険がなくなったことだし、オッサンの愚痴のような問題に付き合うつもりはないのだ。


「ちょ、ちょっと待て!!お前ら、俺達の婚儀に参列せずに帰るつもりなのか……?」


「は?当たり前だろ。王族の婚儀なんて、一通りやるだけで何日かかるか分かったもんじゃないだろ。さすがにそこまで付き合うほど暇じゃないぞ」


 掃除の仕事も忙しいんだ、というセリフは、心の中だけに留めておく。

 俺としては大真面目だが、その大変さをオッサンが理解してくれるとは到底思えなかったからだ。


「っ……!!わかった、三日、いや二日待ってくれ!それまでに、残った問題に完全に目途を付ける!だから頼む!!」


「ま、まあ、二日くらいなら」


 もともと、帰路の準備のためにそれくらいの日数は必要だったので、承諾しておく。


 ……まあ、オッサンの鬼気迫る迫力に押されたのも否定しないが。






 その後の二日間の俺達銀閃の四人はというと、特に予想外のことが起こるわけでもなく、本当に言った通りに永眠の森へ帰るために費やした。

 もちろん、別行動だ。


 俺は物資の買い込みの他に、ボクト様とフランチェスカ様へのお土産を探したりしたし、ランディは万が一を考えて俺にお使いを頼んだ上でずっとオッサンの私邸で過ごしたし、ミーシャは趣味の自分磨き(肉体的な意味で)に余念がなかったし、マーティンは聖術関連の書物を閲覧するために王立図書館に通ったし、全くもって波風の立たない時間だった。


 波風が起きたのは、二日後のことだ。主に俺にだが。


「頭を下げるのはやめてほしい、クルス殿。そなたはもはや、私の民ではないのだから」


「陛下、仮にも一国の王が、元とはいえ平民相手にそれは……」


「マルス叔父、これは非公式の場だ。堅苦しい挨拶や礼儀は抜きにしてもらいたい」


 そんな感じで、客間にわずかな側近達だけ侍らせ、オッサンに呼び出された俺に話しかけたのは、なんとオッサンが唯一忠誠を誓う人物であり、このサーヴェンデルト王国の統治者、ヨグンゼルト三世だった。


 とりあえず、隣にいる、この心臓に悪い悪戯を仕掛けたオッサンを横目に睨むと、素知らぬ顔でそっぽを向きやがった。

 ……どうやら、エリーシアとの一騎打ちをやらされた意趣返しのつもりらしい。


「クルス殿、マルスニウス叔父を責めないでほしい。一昨日、叔父からこの一件のことで相談を持ち掛けられた時に、解決の手助けをする代わりにクルス殿に会わせてほしいと願ったのは、外ならぬ私なのだから」


「陛下自ら?」


「それについては後で説明するとしよう。まずは、残っていた問題の始末からだ」


「残っていた?つまり、もう解決したということですか?」


 国王の話しぶりから、あまり悠長な会話をしている余裕はなさそうだと思った俺は、オッサンに睨まれるのを無視する形で、率直に言葉を返す。


「うむ、迅速に解決するには、私自ら乗り出すのが一番だと思ってな、早速マルス叔父とオルドレイク侯爵との会談の場を設けた」


「結論から言おう。俺の第一夫人はハイリア、第二夫人をエリーシアとすることで、話がまとまった」


「ちょ、ちょっと待った。それじゃ、オルドレイク侯爵の面目が丸つぶれになるって話だったんじゃ……」?


 俺の疑問はもっとも、ていう顔をしてる国王とオッサンだが、決して冗談を言っているわけじゃないらしい。


「そう、この問題の核心は爵位の差だ。ハイリア嬢が養子に入る貴族家は子爵、それに対してエリーシア嬢の実家は言うまでなく侯爵家。対等どころか、王族夫人の序列が逆転することなど、サーヴェンデルト王国においてあってはならぬことだ。ならば、どちらかの爵位をもう一方に合わせるしか無かろう」


「そこで陛下は、今回の騒動の発端であるオルドレイク侯爵を男爵に降格させることを決定した」


「は……?」


 一見すれば、やらかした責任を取らせる正当な処分に思えるが、それは王国にとって悪手だったはずだ。

 サーヴェンデルト王国は先の政変で、それまで権力を握っていた二大派閥が失墜している。その是非はこの際置いておくとして、総体的な国力が大きく落ち込んだことだけは間違いない。

 その二大派閥が抜けた穴を埋めるために、数少ない王宮派の大貴族のオルドレイク侯爵の協力が必要不可欠、という話だった。

 そのオルドレイク侯爵が、男爵という下級貴族に降格となると、二大派閥の生き残りの貴族が息を吹き返し、王国の体制は再び混乱に陥る危険が一気に高まる。

 そうなれば国王もオッサンも困るどころじゃないだろうが、永眠の森の人族担当でもある俺としても歓迎すべからざる事態になるだろう。


 そんな思考が顔に出ていたか、国王は笑みを湛えて言った。


「クルス殿、今回降格とするのは、オルドレイク侯爵家ではないのだ。あくまで処分を受けるのは現当主――いや、昨日隠居届を受け取ったので、元オルドレイク侯爵家当主、と言うべきであろうな」


「元?ということは……」


「今後、オルドレイク侯爵家は嫡男が引き継ぎ、これまで通り王国の柱石として働くことになる。前当主は、表向きは隠居、その長年の功績を讃えて私が一代限りの男爵位を授け、実際は新当主を補佐して王国を陰から支える、という形を取ったのだ」


「前当主が分家になるという異例の措置だが、前例がないわけじゃない。そして男爵となった父親にエリーシアがついて行くことで、すべて丸く収まるというわけだ。もちろん、前当主とエリーシアには快諾してもらっている」


 そう言って、国王の話をオッサンが締めくくった。

 これで、ハイリアとエリーシアの実家の格差は逆転、夫人としての序列問題も解決というわけか。


 しかし、全くもって、実に不合理なことに、残った事実はたった一つだ。


「結局は、とんだ親バカもあったものですね」


「ふふ、ふははははは!!まさしくその通り!!マルス叔父も私も見誤ったのは、たかが末娘の恋の成就のために前オルドレイク侯爵が家運が傾くほどの情熱をかけるとは思っていなかった一点にある!」


「『あれほどの情熱的な求婚をやってのけたのだ、もちろん、マルスニウス様もエリーシアにこの程度の愛情を注いでいただけるのでしょうな?』と、昨日言われたばかりなんだ、思い出させるな……」


 ちょっと印象が変わるほど大笑いして見せた国王と、げんなりした様子で額に手をやるオッサン。

 全て収まるところに収まったようで、俺も安心して永眠の森に帰ることが出来そうだ。

 と思ったところで、俺はごく単純な疑問にぶち当たった。


「ん?でも、この話を俺に聞かせる意味なんてないんじゃないですか?むしろ、サーヴェンデルト王国の隠したい事情であって、陛下とグランドマスターとの間の秘密にしておけばいいのでは?」


 さすがに国王相手にオッサン呼ばわりも何なので、馴染みのある役職名を使って二人に問いかける。

 だが――


「いや、必要だったのだ。言ってみれば、前オルドレイク侯爵より、マルス叔父よりも、クルス殿、そなたに聞かせることが何よりも肝要だったのだ」


 そう言った国王の笑みが、一層深くなった。


 ……知っている。

 これは表情通りの感情では決してなく、むしろ内に湧き上がる強く激しい何かを覆い隠すための、仮面の表情なんだと。


「今回、事の顛末を聞いた私が最も恐れた事態とは何か、クルス殿には察していただけるだろうか?」


「そりゃあまあ、オルドレイク侯爵家かグランドマスターが失脚か死亡して、サーヴェンデルト王国が再び混乱すること、でしょうか?」


「いいや、違う。私が最も恐れたもの、それはクルス殿の主、魔王ボクト様の怒りに触れることだ」


 いやそりゃ大げさだろ、という言葉を何とか飲みこむ。

 国王の話がまだ終わっていないと思ったからだ。


「サーヴェンデルトの中での騒ぎごときで国王とあろう者が何を弱気な、とクルス殿は思われるであろうが、国王だからこそ、今の王国が実に危ういバランスで成り立っていることを承知しているのだ。その王国に、マルス叔父はボクト様の配下をいともたやすく王国内に引き入れた」


 そう言った国王がちらりとオッサンを見る。

 当のオッサンは身じろぎもせずに、黙って国王の言葉――糾弾を聞いている。


「無論、マルス叔父にはマルス叔父の、差し迫った事情があったことは承知している。また、クルス殿達『銀閃』に頼るしか道がなかったということもな。だが、手段と犠牲さえ選ばなければ解決の方法はあったところを、今王国が最も触れてはならない永眠の森に自ら手を出した、マルス叔父の罪は大きい。それこそ、死の瞬間まで王国のために尽くしてもらわねば許されることはないほどにな」


 その言葉を聞いて、内心ほっと息をつく。

 まさか処刑という最悪のケースはないだろうと確信は持っていたが、今オッサンを断罪する愚を、国王はよくわかっていたようだ。


「ヨグンゼルト三世はなんと小心者か、と笑ってくれて構わない。だからどうか、サーヴェンデルト王国には何の異心も乱れもないと、魔王ボクト様に伝えてほしいのだ、クルス殿」


 案外、国王という存在は、俺達地べたをはいずり回る平民と同じ視点を持っているのかもしれない。

 そう、言葉にできない感想を持ちながら、俺は国王に頷いて見せた。

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