第1話 おしゃべり好きなウサギ

1. 数少ない友達


大学2年生になった私は外の蒸しかえるような暑さにやられ、干からびたカエルの如く食堂の隅っこにあるテーブルに突っ伏していた。



「何やってるのよ。ほら、これでも飲みなさい。」



声の主から奪い取るように受け取り、それを、喉を鳴らしながら飲み干した。水分の失われた体に冷たい液体が細胞の一つ一つに行き渡っていく。



「あ゛あ゛あ゛~。生き返る~。」




「もう、おっさんみたいなことして。一瞬ビールでも渡したかと思ったじゃない。」



私をおっさん呼ばわりする彼女は空栞 稜くうかんすみ。私の数少ない友達の1人だ。彼女は私をおっさん呼ばわりするように思ってことを口にするタイプで誰にでもそんな感じだった。だからなのか彼女は男女ともに人気があり、私とは真逆の人だ。それにしても、おっさん呼ばわりされるとさすがに傷つく。



「別にいいですよ、おっさんで。」



「不貞腐れないの。ほらこれあげるから機嫌治して。」



そう言うと、手に持っていたアイスの袋を開け、半分に割って私に差し出してきた。



「ふん。こんなんで機嫌が治るなんて思わないでよね。・・・うーん‼冷たくて美味しい。」



「タナは単純でいいわね。まあ、そこが楽でいいんだけど。」



「ん?なんか言った、“しおちゃん”?」



私はアイスに夢中でしおちゃんが言ったことが右から左に流れていった。そんな私を見て、しおちゃんはただ微笑んでいる。



「美味しそうに食べるなって言ったのよ。それにしても、“しおちゃん”って呼び方なんかまだ慣れないわ。」



私はそんなことを言うしおちゃんに半目で見つめる。アイスを頬張りながら。



「もう一年も経つのに。慣れてくれてもいいじゃん。・・・嫌って言われても絶対にやめないからね。」




「いや、別にやめて欲しいわけじゃないけど。なんかこうむず痒いというかなんというか。名前呼びがほとんどだから。それにちゃん付で呼ばれることもそんなにないし、それにそこからあだ名をつけるなんて思わないじゃない。あなたってセンスが独特よね。」



目の付け所が違うとは言われたことはあるけど、そんなに独特かな。“栞”から取ろうと思う人なんて他にもいそうなのにな。まあ、なんとなくそう呼ばれたことがないんじゃないかなとは思ってはいたけど。


何か誰も呼ばないあだ名をつけたかったのだ。名前を聞いた時ピンときてそう呼んだら、案の定しおちゃんは驚いた表情をしていた。内心しめしめと思っていたのは内緒だ。



「うーん、そうかなぁ。そうだとしても、しおちゃんには言われたくないな。苗字の“棚”で呼ぶなんて。こっちこそそんな呼び方されたのは初めてだよ。」



まあ、そもそもあだ名で呼んでくれる友達も少ないので、なんとも言えないのだが、それにしてもである。



「そうかしら。可愛いと思うんだけどな。まあ、いいわ。それにしてもタナはもう少し女の子らしい恰好してみたら?」



私の言い分はどうでもいいらしく話題を変えてきた。この話題苦手なんだよな。人を見てオシャレだな。可愛いなとは思うけれど、自分のことになると無頓着であまり気にしたことはなかった。


何なら何着か同じ服を買ってそれをずっと来ていてもいいくらいだ。ちなみに今はデニムの黒っぽい長ズボンに無地の白いシャツを着ている。アイスも食べ終え口寂しくて残った棒を咥えながら答える。





「うーん。私はいいよ。それに私が女の子らしい服なんて似合わないし。ほら、しおちゃんが来てるみたいな水色のオフショルダーに白い短パン何て絶対に私には似合わないよ。」



「そんなことないわよ‼」



なぜかしおちゃんは今までで大きい声をあげ、身を乗り出してきた。危うくアイスの棒を飲み込んでしまいそうになる。



「ちょ、ちょっと落ち着いて、しおちゃん。周りの人に迷惑だよ。」



私の言葉に冷静に取り戻したのか体を元の位置に戻し座る動作をする。それにしても、改めて見ると、オシャレだなしおちゃんは。服装が夏の青空みたいに涼しげで、それでいて露出した部分は健康的でいやらしさなど微塵も感じられなかった。仄かに色気は感じられたけど。



「ごめんなさい。でも、絶対に似合うと思うわ。今度一緒に服買いに行きましょう。」



「ははっ。時間があったらね。」



「もう、絶対行く気ないでしょ。」



バレたか。まあ、わかるように言ったんだけど。


「はあ・・・あっ‼」



私の反応に気を落としたのか俯いたかと思ったら、驚いた声をあげた。何事かと思いしおちゃんの視線を追うとそこには腕時計があった。



「ごめん。私もう行かなきゃ。」



「えー‼さっきの講義でわからないところ聞こうと思ってたのに。」



さっきの講義とは、しおちゃんは受けなくていい講義なのだが暇だからという理由で一緒に取ってくれている司書向けの講義だ。なりたい私がわからなくてなりたいと思っていないしおちゃんの方がわかっている。なんという理不尽。それにしても、暇とはいっていたけど最初あんまり乗り気じゃなかったので、てっきり付き合ってくれるのは一回だけかと思っていたのに毎回付き合ってくれる。


不思議に思い、おそるおそる聞いてみたら“私もそう思ってたんだけど、意外と面白いし、それに今後役に立ちそうって思ったんだよね。だから、後ろめたく思わなくていいよ。私のためでもあるし。”という答えが返ってきた。それならばいいのだけど。まあ、私にとってはわかる人が一緒に受けてくれて有難いと思うばかりだった。




「後でね。・・・私いいこと思いついた。ふふふっ。」




そう言葉を残して駆けていった。何か嫌な予感がする。それに、あの笑い、私には悪魔の笑いにしか思えないのだが。そんなことを思っていると何か忘れ物でもしたのかしおちゃんが吐息を漏らしながら言った。



「はあ、はあ。言い忘れてた。あんた今日もこのあとあそこに行くんでしょ。行きたいって人が“ラシクオン”で待ってるから行ってあげて。目立つ人だからすぐわかると思うわ。じゃ。」



「えっ⁉ちょっとしおちゃん。」



驚きから私は立ち上がり、手をしおちゃんに向けてしまう。ただ、その手は行き場もなく何かを捕まえることはなかった。



「もう、勝手なんだから。人見知りの私には厳しいよ。」



それでも、私は“ラシクオン”に向かう。何だかこっちに視線が集まっているようでここにいるのが気まずかったからだ。それに待っている人の連絡先も知らないし、ずっと待ちぼうけにさせるのは忍びない。


歩き出して、ふと思う。そういえば、待っている人の特徴教えて貰ってなくない?と。私は唯一しおちゃんが残していったヒント、“目立つ人”を手がかりに探すしかない。




「せめて性別ぐらい教えてくれたらよかったのに。しおちゃんのバカ。」



しおちゃんがいないことをいいことにバカ呼ばわりする。それを聞かれていたらもう勉強を教えてくれなくなってしまうだろう。慌てて見回すがしおちゃんの姿はいなかった。安堵したのも束の間、視線を感じる。


おそらく私の姿が怪しかったのだろう。日陰を歩きながら、キョロキョロしている姿は。無意識に足の回転が速くなる。じりじりと暑く、セミの声が煩わしく感じながらも私は急いだ。色々なものから逃げるように。

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