第25話

 最後の段ボール箱がトラックの荷台に積み込まれ、螺厭は十年以上過ごして来た我が家を見上げる。瑠璃子さんの家の隣とは言え、都心の一等地に一軒家ともなれば恵まれていた立場だと改めて思う。だがそれも終わりだ。


 忍びの郷、忍者。一般には知られる日は永遠に来ない大事件が終わって早二週間。最初の一日は誰にも会えないままどこかの部屋に軟禁され、迎えに来てくれた瑠璃子さんに連れられて郷を出て下山した。勿論紅には会えなかった。


 弾は少し遅れて郷を出て今は拘置所だ。実際の容疑は表に出せないから、一応表向きは不法取引と武器密売の容疑で逮捕、いずれ起訴されるだろう。弾も罪を認めているが、実際の犯罪からして事実上の終身刑になるだろう。


 今回の事件の解決に一役買ったと自負している螺厭だが、その代償として螺厭はたった一人の家族を警察に突き出す形になってしまった。まぁ最初は一緒に死んでやるかくらいのものだったし、ある意味儲け物ではあるが。


 だが弾の会社である2MCの経営権や株など、元々持っていた資産の殆どは失うことになり、この家はそのついでに売り払う事に決めた。


 一応幾らかの貯金と会社からの手切金。そして家を売って得た金で当面、と言うか一人で生きて行く分には十分な金は残された。そして何より日本政府との取引で、この家に住んでいた深南雲螺厭と言う男はもう存在しない事になった。非公式の証人保護プログラムと言うやつだ。


 トラックが出発し、外された深南雲の表札を手に家を最後に見上げた。優しかった母さんの思い出。親父との長かった確執。瑠璃子さんと作戦を練った日々。紅と出会い、共に過ごした夜。もう二度とこの家の敷居を跨がないと思えば大切な思い出も、過ぎて仕舞えば忘れるようなことも一瞬で蘇って来た。


「お別れ、だな」


 リュックを背負い螺厭は家に背を向けた。もう振り向くつもりも理由も無い。そうして歩き出す螺厭の前から不意に懐かしい匂いがした。


「これからどうするつもりなの?」

「君か…!!紅!!」


 隠蓑マントでずっと身を隠していた彼女は、忍者装束では無く普通の洋服を着ていた。少し見慣れないその格好に見惚れて一瞬言葉を失う螺厭に紅は恥ずかしそうに自分の体を抱きしめる。


「会いに来てくれたのか?」

「まさか。アンタがスッた分身投影装置の送信機返してもらいに来たのよ」


 そう言われてあぁ、と思い至った螺厭がズボンのポケットを探る。借りただけだから返すつもりだったが、そのチャンスが無いままに別れてしまったのだ。


 小型のカメラとマイクを紅に手渡す。紅はちょっと螺厭を睨みながらそれを受け取るとため息を吐く。


「それで?貴方はこれからどうするの?生きてくアテがあるならイイけど、詐欺師にでもなられたら責任感じちゃうし嫌なんだけど」

「なんで人の将来設定に詐欺師が入ってくるんだよ。失礼じゃ無いか」

「散々から人の事騙しておいてよくもまぁ…」


 紅の脳裏によぎる散々すぎる犯歴の数々。許されるならこのまま殴り殺してやりたいくらいの怒りが込み上げて来たのか拳を握りしめる紅。しかし螺厭は特に気にしていないのか、気の抜けた笑顔を浮かべて紅の肩をポンと叩く。


「安心しろ。ヤバイ情報の幾つかと、港一つ吹っ飛ばした訳だしな。どうせこのまま一生軟禁生活で飼い殺しって所かな。それこそ詐欺師にでもなれたらそっちの方が幸せだったさ」

「何よそれ…納得行かない」

「それに元々、これから先の人生の目算なんて立ってなかった訳だしな。これからどうするかは、今から考えるよ。どうせ時間はたくさんあるんだ。それに、君だってこんな風に外に出て良いのか?忍者ってのはあんまり外の世界に関わったらいけないんじゃなかったか?」

「アンタの持ち出したガジェット回収しに来たっつってんでしょ…!!」


 今度は遂にブチギレた紅が螺厭の顔面にアイアンクローをかまし、ミシミシと音を立て始めた自身の頭蓋骨の悲鳴に螺厭が必死にタップする。


 全くもう、と螺厭を放しコンクリートの地面に蹲る螺厭を冷たく見下ろす紅。結局最後までこんな奴だった。余計な一言が多くて、時々明らかに悪意があって、嫌味ったらしい言い方ばっかり。なのになんでこうも…。


「私達忍者も変革の時代よ。いつまた若い忍者や追放された忍者達が裏切るか分からないし」


 現役の郷長の孫の影が裏切った事は郷長の心境にも変化を与えた。勿論悪事を働いた以上捕らえられた影は郷から出られない。それが罰だ。しかし一度起きて仕舞えばまた次を想定しなくてはならない。


 今回は忍びの郷側も日本政府側との協力関係の維持を怠ったのも原因の一つではあるし、今後は忍者達が生き延びる為には郷外部との接触は避けられなくなってしまった。勿論ガジェットや忍鋼はしっかりと忍者で管理していくが。


「日本政府との取引で、忍者の一部を警察や自衛隊に出向させる事が決まったの。勿論一般には極秘でね。これまでは選ばれた数人しか郷から出られなかったけど、これからは結構大勢の忍者が外の世界で活躍する時代が来るわね」

「じゃあ、君は?」

「私?私は…」


 言い淀む紅に螺厭は気づいた。確かに忍びの郷は変わるし、外の世界に飛び出すことも可能になった。だがそれと個人的な関係は別の話。忍者として外部との過度な人間関係を築く事は掟で禁じられている以上、紅はもう二度と一般人である螺厭に会いにくる事は出来ない。今日会いに来たのだって実は相当無理をして来ているんだろう。


「…そうか。元気で」


 ならせめて明るく別れよう。この出会いが悲しいものでは無く、多少なりとも楽しい出会いだったと胸を張れるように。


 だけど螺厭の顔は無理矢理笑おうとして引きつってしまっていた。笑顔になんてなれるはずが無かったのだから。


 紅はそんな螺厭に近寄り、抱き締め、唇を重ねた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか、お互いに分からなかった。ふと思い出したように二人は離れ、紅は微かに赤くなった顔で微笑んだ。


「また会いましょ。螺厭」

「…あぁ。また」


 それだけ言い残し、紅は隠蓑マントのスイッチを入れて姿を消す。螺厭もまたリュックを改めて背負い直し歩き出した。


 最後に一度だけ紅がいるはずの方をしっかりと見つめ、螺厭は自分の行く先を見つめて歩き出す。


 またいつの日か、必ず会おう。その言葉を胸に二人はそれぞれの道をひたすらに歩き続けていた。



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