第9話

 紅が目を覚ますと、そこは知らないベッドの上だった。寝心地の良い布団に心地良い温度の空調。何日かぶりの熟睡で頭がぼんやりする。それくらいの居心地の良さだった。


 うまく働かない脳でこれまでの自分を思い出す。確か任務の途中で空腹と疲れで倒れてしまって、追手に追いつかれて、そこで彼に助けられて。


 そこまで思い出した所で紅はむくりと起き上がった。寝ぼけ眼を擦り、ベッドを降りる。それなりに上質なカーペットが敷いてあって足の裏に暖かい感触が走る。本棚には医療関連の本が並んでいて、机の上には写真立てが。見れば美しい女性と、可愛らしい男の子が笑っていた。しかし一緒に写っているであろう父親の部分だけが、分かりやすく破られていて顔が分からなかった。


 その写真立てを手にして、ようやく紅は思い出す。そうか私は写真の彼、深南雲螺厭に助けられて、家まで送ってくれる途中で彼の背中で意識を失ったんだ。


「本当にここまでしてくれるなんて…」


 返せるものなんて何も無いのに、助けてくれて、ベッドまで貸してくれて。それにパジャマまで…パジャマ?


 ふと気づいた。忍者ガジェット一式と一緒に着ていた忍者装束が無い。ついでに確認すると履いてたパンツも違う。


 顔が真っ赤に染まってつい蹲ってしまう。目をぐるぐると回し、羞恥の余り絶叫したくなる。が、声が出ない。頭を抱えてカーペットの上でのたうちまわる。


 まさか、まさか、まさか。見られた?着替えさせられた?上着だけならともかく下着まで?彼が?あの誠実そうな彼が?でも服は濡れてたし、何日も履かざるを得なかったパンツだし、変えたかったのは事実だし。でもあの誠実そうな彼がそんなこと。でも年頃の男子は獣だって郷のみんなが。


「起きてる?」

「うみゃああああッ!!?」

「猫?」


 床のカーペットの下で転げ回る紅を見て螺厭は思わず呟いた。その様子に余計と紅は赤面し、自分の身を守る様にベッドまで駆け込み布団に包まった。


 螺厭はそんな様子のおかしい紅に首を傾げる。昨日に出会ったばかりの頃は少なくとも会話は成り立った気がするのだが。


 布団で顔を隠しながら少し潤んだ目だけを出して紅が見つめてくる。睨んでいるのなら睨まれる理由が思いつかないし、ただ見つめているだけなら余計と紅がおかしくなったとしか思えない。


「と、とりあえず。朝食は作ってるからな。準備が必要そうだし、後で下に降りてくれよ」

「は、はい…宜しく、お願いします…」


 どんどんと消え入る様な小さい声になっていく紅に首を傾げる螺厭。そしてちょっと失礼と声をかけて部屋に足を踏み入れると、紅がベッドの上から飛び起きて窓の所まで走って逃げ出した。ペットを飼った経験は無いが、飼い始めた初日のペットはこんな感じなんだろうかと螺厭は思った。


「じゃあ、下で待ってるから」


 最後にもう一度首を傾げ、螺厭は部屋を出て行く。閉じられた扉を見つめ未だに顔の熱さが冷めない紅はパジャマの裾を引っ張りながら、よろよろと立ち上がるのだった。




 トコトコ、と動揺が足音から伝わってくる様な音と一緒に紅はリビングに降りてきた。パジャマ姿のまま、しかしもじもじとそのパジャマを気まずそうに触りながら姿を見せた紅を遂に螺厭が指差した。


「一体何?」

「だ、だって…だって、私の服と下着、どうしたのよー!?」

「服と下着?あ、ああ。そりゃ、濡れてたし、汚れてたし。着替えさせたさ。それが?」

「それが、じゃないわよ!!私が寝てる間に…」


 かああ、とこれまでの顔がまだ普通だったかの様にさらに赤面して行く紅。まだ赤くなる余地があったのか、と螺厭が感心するほどだったが、誤解を解いておかないと話が進まない事は目に見えていた。


 ふう、とため息を吐くとスマホを開いて誰かを呼ぶ。すると一分と経たないうちに中年の女性が玄関のドアを開けて入ってきた。


「螺厭、その子目を覚ましたって?」

「瑠璃子さん」


 姿を見せた中年女性、瑠璃子は面倒見の良さそうな笑顔で紅を見つめる。しかし紅の顔が真っ赤なのに気づいて怪訝そうに螺厭を睨む。


「アンタ、まさか何かこの子に手を出した?そんなことする子じゃないとは信じてるけど、まさか…」

「まさかじゃないって。ほい、隣に住んでる瑠璃子さん。世話してくれる家族が居ないんで、小さい頃から世話になってる。で、君を家に連れて来たらもう寝てたから、瑠璃子さんに頼んで服と下着替えて貰って寝かせたって事。納得?」

「…ほんと?」

「本当。ついでに君の装備は君が寝てた部屋にあるから。そっちも誓って手をつけてないよ」


 螺厭の言葉を受け入れるのに、紅は暫く考える時間が必要だった。何度も何度も頭の中で言われた言葉がリフレインし、そしてこれまで紡ぎ上げて来た目の前の青年、深南雲螺厭の人物像と一致するのを確認すると、再び力が抜けてその場にへたり込んでしまった。


「ふぁあああ…」

「どうしたの、この子」

「さあ?」


 自分の思い込みと察しの悪さが憎い。紅は涙目になったのを必死にごまかしながらそう思った。


 それじゃあね、と一度帰って行く瑠璃子。その背中に手を張りつつ、螺厭は手早く二人分のご飯と味噌汁、そして程良く焼き上がったばかりの焼鮭を並べて行く。その間紅はずっとリビングの入り口で蹲っていた。


「立てる?」

「…もうちょっとだけこのままにさせて…お願い…」


 そう言って三秒くらい黙っていた紅は、最後にもう一度ため息を吐くと、疲れた顔で椅子に座った。



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