第10話
「朝食はパン派じゃ無ければ良いけど」
「用意して貰って我儘言う程子供に見える?」
「さっきまでの君を見てるとね」
「むっ…」
一言多いな、と紅が顔をしかめたのを見て螺厭が微かに笑う。しかし気づかれない様にとすぐに笑いを引っ込めると、螺厭も椅子に座る。
いただきます、と二人揃って朝食を食べ始める。螺厭が用意した物は少し冷めていても紅が満足出来る味だった。別に批評するつもりは無かったのだが。
「それにしても、無警戒に食べるんだな。毒とか薬盛られるとか想像していないの?」
ふと螺厭が口を開いた。口いっぱいに炊きたてご飯を入れていた紅は首を傾げる。まさか、そんな事も考えていない忍者がこの世に居るとは思えない螺厭だったが、紅はご飯を飲み込みながら微笑んだ。
「大丈夫よ。あなたの事信じてるから。それに、もし万が一薬仕込まれたって、私の奥歯には忍者ガジェットの浄化親不知が仕込まれてるのよ。薬なら大体口の中にあるって訳」
「へえ、ほんと便利だな」
「便利だけど、仕込む時はめちゃくちゃ痛いし、怖いし。痛かったら右手上げて、なんて言ったくせに、右手上げても容赦しないし」
「歯医者みたいな話だな」
生まれてこの方、一度も歯医者のお世話になる経験をしたことの無い螺厭には残念ながら想像もつかない恐怖だった。とりあえずこれからも歯を大事にしようと決心が付いた頃、紅は最後の一口を飲み込み両手を合わせていた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様。それで、君は一体何?」
「何って何。忍者について?それとも、私の事?」
「どっちもかな」
ニコリと笑う螺厭に、紅は少し考える様な動作を見せる。一応、忍者の事は最高機密。外部の人間に漏らせばそれだけで重罪で、郷からの追放もあり得る。だから外部の協力時を作る様な事態に陥る事は忍者にとっては恥。まぁその手の漫画を読んでないわけではないけれど。
ふふ、と笑う紅を不思議そうに見つめる螺厭。得意げに胸を張る紅に、思わず視線が下に下がる。紅自身、自慢の抜群のスタイルの良さは思わず螺厭の視線を誘導していた。ただ見られたいわけでは無い。
「私の話、聞く気ある?」
「あ、あるある。教えてよ、君の事」
結構露骨に表情を変える螺厭に、紅がふーん、と半笑いで口元に手を当てた。
「まぁ良いわ。教えられる範囲で教えてあげる」
頭の中で学校で習った歴史の授業の講義と、テスト前に読み耽った教科書の中身を頭の中で整理していった。
「そうね。元々忍者の歴史は戦国時代。その頃は貴方が知ってるように、各地の戦国武将達が他の武将達の情報を集める為の傭兵達だった。別にその頃は忍者ガジェットとかは無くて、ただの情報収集能力に特化した傭兵を集団でしか無かったんだけど、江戸時代の終わり頃に、私達の祖先の忍者のコミュニティがある特殊金属を発見したの」
「特殊金属?」
「鋼鉄を軽く上回る硬度を持つ鉄でありながら、羽のように軽く一定の環境下において粘土の様に加工し易く硬度を変化させ、また加工を終えれば何千度もの高熱にも耐え抜き、おまけに加工の際にエネルギーを発生させる特性まである夢の金属よ。それが私達が使う忍者ガジェットの素材、忍鋼」
紅は微かに胸を張り、どう?と螺厭を見た。結構分かり易い説明だと自分では思っているのだが、肝心の螺厭は口元に手を当てて指でトントン、と叩いていた。
「それってアレかな?アダマンチウム?いや、どっちかって言うとヴィヴラニウム?忍者ってのはワカンダだったの?」
「映画の話じゃないわよ」
「あ、知ってるんだ」
「忍びの郷にも映画館くらいあるわよ。ちゃんと郷の方で配給会社に料金も払ってるって聞いてるし」
因みに外の世界にあるフロント会社が、架空の映画館の名前で上映用フィルムやデータを買い取り郷での興行収入分もしっかりと送金している。だがまぁそれは関係の無い話である。
「全くもう。話を戻すわね。加工技術とそのエネルギーの抽出技術を、忍びの郷は江戸時代の終わり、大政奉還の頃に完成させたの。けどその頃誕生した明治政府は江戸幕府との関係が深かった私達の祖先を嫌ってて、自分の身を守る為に、表向きは姿を消すしかなかった」
「時代の流れ的にはさもあらん、て話だな」
「最初は落ち着くまで待つつもりだったらしいけど、いざ表に戻るには忍鋼の技術は危険すぎたから、二度の世界大戦を傍観し、日本政府が諜報部を求めるタイミングを見計らって日本政府と接触したのよ。あくまで忍者達の独自性を保つ為にね。今じゃ忍者は日本政府に限らずありとあらゆる国家の諜報機関から派遣を依頼される立場にまでなったのよ」
あくまで秘密裏に、しかし確実に任務を遂行する世界最強にして世界最高峰の情報特務機関にして、表には出ていないが日本国内に存在する独立国家とも呼べる存在。それが忍者だ。
「分かった?」
「何となくね。要するに昔から居るガッチャマンみたいなもんでしょ」
「アニメの話にされるとなんだか複雑だけど…」
「それで、その忍びの郷が裏切り者に襲撃された。おまけに日本政府との協定が崩れた。踏んだり蹴ったりだな」
「でしょー」
ぐてーっと机に突っ伏す紅。郷を脱出して早くも一週間、警察に追われてしまってろくに街を出歩けず、なんとか見つけた大人の忍者も既に手が伸びた後。各所のセーフハウスは使えるはずもなく、なんとか確保した食料も底を付き、もうどうにもならないと絶望していた時に螺厭と出会った。
視界を上げてこっちの様子を伺う螺厭を見上げる。それなりに整った顔立ちと、何を考えているのか微妙に分からない目つき。だけど影のある目の奥には確かに、紅を心配しているような輝き。
「ねえ、今度はあなたの事教えて?」
「ん?」
「私ばっか教えるの、ズルイ。それに、私もあなたに興味あるな。ほんのちょっとだけだけど」
紅の上目遣いに戸惑うように視線を逸らす螺厭。机を立ちなにかを迷うように水を飲む。紅が不思議そうにその背中を見つめる中で、螺厭はやがて小さく頷いた。
嫌なら話してくれなくても良いよ、と紅が言おうとした瞬間だった。水を飲み干したコップを置いて振り向いた螺厭の顔はさっきまでの笑顔では無く、言いたいような、言いたくない様な、二つの感情が入り混じった独特な顔をしていた。
「親父は新興の医療機器メーカーの社長で、ほとんど家には居ない。だから六年前に母さんが死んでからはほぼ一人暮らしさ。さっきの、親父の昔からの知り合いって繋がりもあって、隣でブティックやってる瑠璃子さんに面倒見てもらってるよ」
「へえ、それで結構良い暮らししてるのね」
「年頃の男子高校生には夢のような暮らしさ。口うるさい親は居なくて、毎月の初めにはこの机に小遣いの五万入った封筒が置いてあってさ。笑っちゃうだろ?」
「笑えない」
私のお小遣いは月一万なのに。とブスッと口を尖らせる紅。まぁそう言う話ではないんだけど。
ただ十代の夢のような生活を送っているのに何処か枯れたような笑顔を浮かべる螺厭を見れば、少なくともお金に困らない事だけでは幸せにはなれないのは何となく分かった。
螺厭はコーヒー豆と紅茶のお茶葉を並べて見せてくる。紅がコーヒーを見ると、螺厭はポットのお湯を調べ始める。その背中を見つめてふと紅は改めてリビングを見渡す。
大きめのテレビに、幾つかの写真立て。そしてソファに放置されていた医療関連の雑誌。螺厭のお父さんの仕事の関係で置いてあるのかな、と紅がそれを手に取り、そして凍り付く。
「え…」
その表紙に写っていたのは、紛れも無く忍びの郷を襲った裏切り者。一週間前からずっと紅の脳裏に焼き付いて離れなかった顔。
なのに、なのに。その医療雑誌の表紙に大きく書いてあった名前は–––––––深南雲、弾。
心臓を掴まれたみたいな痛みと、肺が締め付けられた様な感触。何で、どうして。もしかして、知らない?知ってる訳が無い。彼は、螺厭はあんなにも良い人で…。
螺厭は気づいた様子もなく、コーヒー豆をパックに入れてゆっくりとお湯を入れていく。
「ま、ゆっくり自由に過ごしてくれて良いよ。普通の一般人とはいかないけど、君らの言う外の世界の暮らしを見物してみたらどうかな?俺は別に、見られて困るものは無いしね」
自分は紅茶の茶葉の準備をしながら、螺厭は紅の方を見ないままでそう言った。紅は激しく震える全身を必死に堪えながら、そうねと出来る限り平静を装いリビングを出る。
リビングの戸を背に胸に手を置いて深呼吸。これは遂に見つけた事態を改善する手掛かり。幸運だったと思わないと。そうこれは幸運。偶然出会った螺厭が黒幕の親類だっただけ。それ以外の何があると言うんだろう。まさかここに連れて来られたのが罠だと?そんなの有り得ない。
意を決して歩き出す。確かに寝ていた部屋に戻れば、忍者ガジェットは全て手を付けられずに置いてあった。安心してクナイと手甲を装備して、万能マスターキーを手に書斎に向かう。
開ければそこには幾つかの医療関連の本。しかし机に備え付けられた高性能パソコンを見つけた紅は、手甲からUSB接続コードを伸ばし接続。有りあらゆるデータが手甲から目に仕込んだコンタクトレンズ型のディスプレイに表示される。
「やっぱり…」
いきなりここに調べに来られるとは思っても見なかったのか、忍びの郷のあらゆる情報がそこに入っていた。同時に海外の傭兵達への連絡の履歴に送金記録。日本政府に対して行った様々な情報操作や協力要請と、その返礼金として渡された気の遠くなるような金額を見て、紅は思わず唇を噛む。
ここに残されているのはこれまでの作戦の情報ばかり。これから先の計画案に関しては奪った忍者ガジェットや忍鋼の取引の約束だけ。しかも具体的な日時は残されていない。ならばと思ってスキャンをかけても、隠し扉や隠し棚の検索結果はゼロ。残念だけどこの家に、これ以上の手掛かりは無い。
本当に?
「調べ残しは、忍者の恥…」
見られて困るものは無いと言っていた。その言葉を信じていない訳じゃ無い。だけど忍者として、手掛かりの可能性が一つでもあるなら調べないと。
書斎の隣が紅が寝ていた寝室。そしてその隣が螺厭の部屋なんだろう。万能マスターキーを差し込み、ガチャリと音を立ててドアを開ける。そしてそこにあったのは…
「それ、何だと思う?」
「ッ!?」
不意に肩越しに声をかけられた。思わず飛び上がって構える紅を、螺厭はさっきまでの優しい笑顔を嘲笑に変えて紅を部屋に閉じ込める様にドアを後ろ手で閉める。
「これは、無線傍受機…市販の奴を改造した奴ね」
部屋のど真ん中に堂々と置かれていた無線傍受機。それを使えば警察の無線を盗み聞き出来る。その隣には何箇所かに印が書かれた地図。そのルートは紅が警察に追われていたルートとほぼ同じ。
「私の動向、探してたの?昨日の遭遇は、偶然じゃ無かったって事!?」
「だったらどうする?」
「アンタ、一体何が狙いなのよ!!」
クナイを構えて震える切っ先を突きつける。それを何の感情も湧いていないような顔で見下ろしていた螺厭は、ふとニヤリと笑った。
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