第8話

 伊邪影は一人、吸ってしまった催眠ガスのせいでもたつく足を必死に動かして工場から離れていた。


 忍者装束の上から羽織ったジャンパーのおかげですれ違う民間人に怪訝そうな目で見られることはあっても問答無用で通報される事はない。


 油断した。まさかアイツに仲間が居たなんて。いや仲間と言うか、即席の協力者が出来た事は聞いていたけれど、そいつがまさか忍者ガジェットを使うなんて予測出来るはず無いじゃないか。


 そもそも協力者とやらは共同で作戦に参加した奴らが片付ける算段だったのに。幾ら天才の僕でもこんな不利な状況では失敗する事だってある。今回はそのたまたまの一回が実戦で起きてしまっただけだ。


 やがて影はこの街の忍者の拠点にしている一軒家にたどり着いた。鍵は万能マスターキーでしか開けられないその家には、忍者ガジェットの予備こそ無いが薬ならある程度備蓄してある。


「その覚束ない足取り、失敗したのか」


 家の鍵を開けて中に転がり込んだ影を待っていたのは、リーダーの冷たく呆れた声音だった。


「失敗したさ。でも僕のせいじゃない!まさかアイツら、民間人の協力者を取り逃すなんて思いもしなかったんだ!」

「現場指揮官は忍者のお前だ。私はお前に任せた、お前は私に任せろと言った。その結果がこれだ」

「邪魔が入っただけだ!もう一回やれば…」

「失敗するのは一度だが、失われるチャンスは一度ではすまない。作戦とはそう言うものだ」


 読んでいた書類を机に投げ捨て、リーダーは影に薬を差し出した。影はその薬を飲み、歪んでいた視界が少しづつはっきりし始めるのを感じた。


 しかし頭もしっかりしてくる中でふつふつと湧いてくるのは、逃げ出した紅とその紅を掻っ攫っていった謎の協力者とやら。


「あの娘の協力者、確認出来たのか?」

「顔は見えなかった。でも男だ」

「その程度か?よくもまぁそれで天才などと煽てられたモンだ。婆さんも、孫を贔屓し過ぎだな」

「婆ちゃんは関係無いだろ!!」

「関係あるさ。お前は、当代当主の孫だからな。その分の期待も背負って天才だなんだ名乗ってたんじゃ無いのか?」


 リーダーの言葉に反論出来ずに俯くしか無い影。ちゃんと味方が動いてくれていればこんな事にはならなかった。声には出さないがもう一度自分に言い聞かせる。だがそんな影をリーダーは呆れたような、つまらなさそうな顔で見下ろしていた。


 彼らが落とすまでの忍びの郷の運営は、国会ならぬ忍会と呼ばれるチームが取り仕切っていた。五人以上の仲間と引退の決意を固めた忍会議員一人から推薦を受けた十八歳以上の忍者で構成された、定員十名の忍会と彼らを纏める郷の長の十一名。それが忍びの郷を動かす全てだった。


 あくまで民主主義的に選ばれる忍会議員はともかく、郷長の選出方法は実力主義だ。郷長は忍会の暴走を単独で鎮圧可能な実力を持った忍者が選ばれる仕組みだ。


 そして現在の郷長は伊邪家の長老、伊邪忍しのぶ。クーデターに参加した伊邪影の祖母だった。


「才能はあっても経験不足、という事だ。娘の追跡を大蛇に任せ、お前は郷の監視に回れ」

「もう一度やらせてくれ!この汚名を返上したいんだ!!」

「チャンスはそう何度も転がってる物では無いと言ったばかりだ」

「郷になんか戻りたくねえよ!!それに郷にはまだ婆ちゃんだって居るんだろ!!」

「当たり前だ。あの婆さんの監視はお前が適任だと判断したまでの事」

「アンタ、俺を郷の外に連れ出してくれるって言ったじゃないか!!だから婆ちゃんやみんなを裏切ったんだぞ!!それを…」


 不意に影の視界が揺らぐ。吸ってしまったガスの後遺症のせいか飲んだ薬の副作用か。だが次の瞬間硬い床に背中を打ち付けられて、ようやく影はリーダーの蹴りで叩きのめされてしまったと理解した。


「あれだけ騒げたんだ。ガスの効果はもう切れているな?」


 畜生、とうめく影を冷たく見下しリーダーは影を踏みつける足を退けた。


 影は悔しくて、悔しくて目元がじんわりと熱くなる。目の前のこのリーダーは昔は忍者だったと言う事くらいしか知らないが、とっくの昔に引退したのだから大した事無いと思っていた。一瞬にクーデターに参加した大人二人がやけに持ち上げるのを聞いて、内心下らないと笑っていた。なのに負けた。


 おまけにさっきは水入りがあったとは言え、後輩の女にも負けた。今日一日で二度も、見下していた相手に負けた。負けてしまった。


「まぁ落ち込むな。才能はある」

「いま言われてもどう返せばいいか分からねえよ…」

「そ、そうか」


 しかしその癖、影が悔しげにしていると突然慰めてくる。一体どう言うつもりなのか、影が苦々しく睨みつける。だが男はなぜそんな顔をされるのか分からないと言った顔で手を差し伸べた。


 影はその手を払い除け自力で立ち上がった。才能があるって言うなら、この人の手を借りたりなんてしない。それはもう意地でしかないのだが、影はその事に気付いていなかった。


「とりあえず今は郷に戻るぞ。捜索はこちらの警察に任せ、我々は本格的に日本政府との取引の準備を始める」

「了解」


 その言葉とともに二人はセーフハウスを後にする。リーダーの運転する車に乗り、隠された忍びの郷へのルートを辿って走る中で影はふと思い出した。


「なぁ、アンタこっちの世界に家族が居るんだろ。そいつらには会って来たのか?」


 リーダーは微かにハンドルを握る手に力を込めた。


「さあな」

「会えないのか?」

「そう言う訳じゃ無い。会わないだけだ」

「ふーん…」


 せっかく外の世界に居場所があるのに、なぜこの男はわざわざあんな退屈な忍びの郷に帰って来たのか。影は怪訝そうな顔でリーダーの横顔を見つめ、リーダーは鬱陶しそうに咳払いをする。


「そんなに忍びの郷が退屈だったか?」


 いきなりそんな当たり前のことを聞かれて影はむしろ困惑した。


「当然だろ。来る日も来る日も修行ばっかなくせして、聞かされる話は年寄り共の外の世界での武勇伝ばっかりなんだぜ。やれ爆破テロを事前に阻止しただの、ハイジャックされた飛行機に飛び移って犯人を捕らえただの、外国のスパイとの諜報戦だのさ。そりゃ昔ならワクワクして聴いていられたさ。でも、どんだけ修行して成績よくても、十八までは外の世界に行くための試験すら受けられないし、受かっても任務が無ければ郷から出られないんだ。そんなのおかしいだろ。俺は、もっと自由に外に出たいんだ。それなのに…」


 影の言葉を聞いてリーダーは薄く笑っていた。その事に気付いた影がムッとした顔で口を閉じる。


「なんだよ、薄気味悪く笑いやがって」

「いや何」


 リーダーはそこで口を閉じ、言うべきか言うべきで無いか迷う様な素振りを見せた。


「君が思うほど、こっちの世界は面白くは無いが、と思っただけさ。最も、逆の立場だったら忍びの郷は刺激的な世界に見えると思うが」



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