雨.3

「ただいま~」


 玄関から声がして、やがて足音がこちらまで近づいてくる。咲良は私を離さないままドアに視線を向けた。


「お父さん、おかえり」


 咲良のその言葉を確認した後、ドアがガチャッと開く。

 咲良のお父さんは眼鏡をかけていて、想像していた通り優しそうな人だった。その足下から今までどこにいたのか、たろまるがトコトコとこちらに歩いてくる。


「あ、あの、お邪魔してます」


 咲良を引き剥がすわけにもいかず、そのままぺこりと頭だけでお辞儀をした。咲良のお父さんは、私と私から離れようとしない咲良を交互に見比べた後、瞳を輝かせて私に尋ねる。


「あっ、もしかして君が菜瑠美さん?」


「は、はい」


「わ~。最近咲良からよく名前を聞くから、どんな子か会ってみたかったんだ。嬉しいなぁ」


 感激したようにそう言うと、ぽわ~っと音がしそうなほど柔和な笑みを浮かべる。その様子は、咲良が微笑んだ時と重なって見えて、ほっこりしてしまう。


「あの、私……そろそろ帰りますね」


 このままここにいるのは邪魔になるのではないか、そう思って立ち上がろうとしたけれど、咲良の手はがっちりと私を離さない。


「だめ、やだ」


 咲良は子供みたいにそう言うと、お父さんがいる前にもかかわらず更に私をぎゅっと抱きしめる。そんな咲良の様子に、咲良のお父さんは優しい眼差しを向けながら、


「菜瑠美さんと、菜瑠美さんのご両親が良いのなら是非泊まっていってほしいな。咲良もそうしてほしいみたいだし」


 その言葉に咲良は何度も頷く。

 それでも尚、私が躊躇っていると、咲良は再び計算のない上目遣いをして私を見た。


「……だめ?」


 その瞬間、私の中で帰るという選択肢はあっという間になくなってしまった。お母さんに連絡してから泊まらせてもらうことにしたと告げると、咲良と咲良のお父さんは大袈裟なぐらい喜んでくれる。

 本当に良かったのだろうかと思いつつも、西ノ宮家の温かい雰囲気は居心地が良く、あっという間に就寝時間になった。

 咲良の部屋で一つのベッドに二人で寝転ぶ。咲良のお父さんは布団一式を用意しようとしてくれていたけれど、咲良が一緒に寝るからいいと首を振ったのだ。

 時計を見ると、あともう少しで日付が変わりそうだった。


「咲良、もう悲しくない?」


「うん」


 頷くと、咲良は甘えるように擦り寄ってくる。肩口に咲良の髪があたって少しくすぐったい。


「なら良かった」


 自然と咲良の頭を撫でると、至近距離で見つめられる。さっきまでは距離の近さを意識していなかったのに、途端に心拍数が上がってきた。


「菜瑠美、ありがと」


 その後も何か言おうとしていたけれど、もにゃもにゃと聞き取れない言葉を口にして咲良の瞼はゆっくり閉じていった。しばらくして規則正しい寝息が聞こえてくる。

 泣き疲れたんだろうな、そう思いながら腰のあたりまでいっていたタオルケットを掛け直す。咲良の手は寝ていても私を離すことはなく、それを見ただけで何故か愛しく感じてしまった。

 咲良はやっぱり他の友達とは違う。


「好き、なのかな」


 当の本人が寝ているのを良いことに、声に出して呟いた。それに返事をするように、たろまるがにゃあと鳴く。驚いて鳴き声の方を見ると、たろまるはクッションの上でまるまっていた。向こうを向いているから起きているのか寝ているのか分からないけれど、それ以降は静かだった。

 たろまるには全てお見通しなのかもしれない。

 再び咲良の寝顔を見る。側にいて守りたい、守ってあげたい……そんな感情を抱いたのは初めてだった。


「好き、なんだろうな」


 そう呟くと、自分からも咲良と距離を近づける。

 お互いの息づかいを感じられる程になり、すぐに自分の行動を後悔した。これだとドキドキしすぎて眠れないに決まっている。けれど咲良の家へ向かうまでの道中、全力疾走してエネルギーを使い果たしたのか、それから数秒としないうちに眠ってしまっていた。

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