雨.2
玄関前に立ち、チャイムを押しても何も反応がない。どの部屋にも電気はついていなくて真っ暗だった。
直接聞いたことはないものの咲良は雨が好きではないと思う。美澄さんから聞いた話を含めても、外出しているとは考えにくい。
寝込んでいるのか、もしくは他の理由があって、真っ暗な家の中で一人いるのかもしれない。
まさか開いているわけがないと思いながらも玄関扉のドアノブを掴む。すると、あっさりとこちら側に扉が動いて少しの間呆然としてしまう。
咲良の家族が鍵を閉めないで行くわけないし、咲良自身が開けておいたのだろうか。疑問が頭を駆け巡るけれど、取り敢えず中へ踏み入る前に呼びかけてみる。
「咲良、いる……?」
返答はなく、静寂が続く。雨音だけが私の耳に響いてくる。
鍵が開いていたとはいえ勝手にずかずかと上がり込むのはしのびなくて、扉を閉めると再び名前を呼んだ。
「咲良――」
その時、ガタッとリビングの方から物音がした。しばらく待つと、咲良が猫みたいな体勢でこちらに顔を出す。その頬には涙が伝い、いつから泣いていたのか瞳が赤くなっていた。
驚き慌てて駆け寄ると、咲良は丸くなって膝に顔を埋める。
「見ないで……」
微かに震える咲良の手に、そっと自分の手を添える。今すぐ抱きしめたかったけれど、さすがに濡れた服のままは躊躇われた。
瞳が潤んだまま、少しだけ顔を上げて私を見た咲良は、ゆらゆらとした足取りで自室へ行ってしまう。しばらくして、バスタオルと以前貸してもらったものと同じ部屋着を手にして戻ってきた咲良は、それを私に押しつけるように渡した。
「菜瑠美が風邪ひくの、やだ。あったまってきて」
掠れた声で言うと、そのままその場にうずくまる。
「分かった。すぐ咲良の側に行くから待ってて」
こくりと頷いたのを見届けると、私は言葉通り手早く済ませて咲良の側に戻ってきた。咲良は先程と同じ状態のまま、名前を呼んでも顔を上げてはくれない。
ゆっくりと床に膝をつく。そのまま咲良を抱きしめた。今の私には、これぐらいしかできない。泣いている理由は、咲良から言ってくれるまで聞かない方が良いと思ったから。
しばらくすると、咲良の手が私の腰に伸びてきてすがりつくように抱きしめ返される。そして、堰を切ったように泣き出した。子供に戻ったみたいに、悲しみを吐き出すように。
「私の、せいなの……」
涙声で絞り出すように言葉を紡ぐ咲良。安心させるようにその頭を撫でる。
「小さい頃、お母さんが倒れた時、私何も出来なかった……」
「それが、今日の日付……?」
リビングにかかっていたカレンダー、今日の日付には雨マークが描かれていた。多分咲良が描いたものだろう。再びこくりと頷くと、咲良はまた、ぽつりぽつりと当時のことを話した。
「幼稚園へ行く前、突然、お母さんが倒れて……近所のおばさんが来てくれるまで、私何も出来なかった。それからお母さん、入院することになって、お家で会えなくなったの。その日は雨が降っていて……だから私は雨が苦手」
初めて会った日。雨が降る中咲良の瞳が潤んでいるように見えたのは、思い過ごしじゃなかった。咲良は雨が降る度その日のことを思い出してしまっていたんだ。
しかも、毎年この日は誰にも頼らずに、一人でさっきまでみたいに泣いていたのだろう。
私は未だしゃくりあげる咲良を更に強く抱きしめた。咲良の悲しみを私が半分もらい受けることが出来たなら……そんな想いを込めて。
「無理して悲しまないようになんてしなくて良い。だから……だからさ、咲良が悲しい時、誰かに側にいてほしい時、絶対に私が駆けつける。側にいる。咲良が一人で悲しまなくていいように」
咲良はそっと顔を上げて赤く泣き腫らした瞳で私をじっと見る。
「菜瑠美、一緒にいてくれるの?」
「うん」
大きく頷くと、咲良はそこで初めて表情をほころばせた。その途端、咲良のお腹から空腹を知らせる音が鳴る。
「……今日何も食べてない?」
咲良は頷くと、首を傾げた。
「不思議。去年も、その前も、泣いてればお腹空くことなんてなかったのに」
「取り敢えず、何か食べよう?」
「……でも、何も食べたくない気分。プリンなら、食べられそうだけど」
本当はもっと何か栄養のあるものを……と言いたかったけれど至近距離で、甘えた瞳で見つめられては頷かざるを得ない。
咲良は私が冷蔵庫からプリンを見つけて取り出す間も、私の身体を離さないままだった。スプーンは同じ体勢のまま自分で用意すると、再び私を上目遣いで見る。
「菜瑠美、食べさせて」
どうやら私は咲良の、この瞳に弱いようだ。「分かった」と即答すると、沙綾に指摘された変な顔にならないよう表情だけは冷静に保つ。
咲良の部屋に移動してプリンを食べる間も、咲良は一秒たりとも私から離れなかった。
「咲良、くっついたままだと食べにくくない?」
「だって……今は、菜瑠美からちょっとでも離れたくない」
「咲良が良いなら別に良いんだけど……」
咲良が天然でする上目遣いにどぎまぎしながら、咲良の口元へプリンを運ぶのは中々心臓に悪かった。頭を冷やしに行きたくても、相変わらず咲良の手は私の背中に回されたままで――。
「咲良、さすがにトイレまでは……」
私が言わなかったら中にまでついてくる勢いだったけれど、渋々といった様子で一旦離れてくれた。
そんな風にずっとくっついたままで、気づけば外は暗くなっていた。
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