4 サヨナラ狭間よ

悟る力

 ビルのエントランス。

 ぴくりとも動かない受付を横目に、エレベータの『↑』を押すと、即座にドアが開いた。小さな箱に乗りこんだあと、最上階に至るまで、沈黙で息苦しくなった。

 到着音の末、目前に現れたのは、見上げるほどの仰々しい木製の扉だった。ふちが金属で補強された両開きの扉の横には、ちょこんとカードリーダーが設置されている。

「いかにもな扉」

「たぶん鍵は、アタシたちが持ってるこの――」

「ドッグタグ」

「うん、この二枚のうちどちらか正解のハズ。現世に戻るならやっぱり」

「なにも彫られてない、無地のほう」

 同時に頷いたあと、ザノメエリカはファスナーからボールチェーンをちぎり、タグを右手に取るとリーダーに通した。ほどなくリーダーのランプが青く光り、解錠音が小さな一間に鳴り渡った。

「正解!」

 その笑顔は、無垢な子供そのものだった。

 一緒に取手をつかみ、せーので開扉かいひすると、先は霞立かすみたつ無彩色の世界が広がっていた。うっすらとコンクリートジャングルも見える。

「行こっ!」

 すぐのあと、意気揚々と飛びこんだ小さな体。春夏冬もそれに続こうとしたが――


「あっ――」

 突然のインシデントは、春夏冬の反射によって危機感を増した。

 春夏冬は咄嗟に、目前で自然落下してゆく小さな体に手を伸ばし、ぎりぎりのところで細腕をつかんだのだ。どういうわけか、扉の先には地面がなかった。ただただ、灰と白が広がるだけの虚空こくうだったのだ。

「やばっ……! 手、手ぇ! 両手でつかんで!」

 真っ白になる頭。

 春夏冬は渾身の力で少女を引き上げようとしたが、その体はどんどん重くなってゆく。どうも、重力とは別のベクトルによって、小さな体が引っ張られているようだ。だらりと垂れた右手から二枚のドッグタグが落下し、霞の都会へ消えてゆくと、ザノメエリカは、普段から見せていた余裕の表情で、首を小さく横に振っていた。

 彼女がなにを伝えたいか、容易に理解できる。

 が、そんなもの、どれだけ強いられても承諾できない。

「やだっ!」

 どちらかの女が、嘆きを口にした。

「大丈夫」

 もう片方の女が、悟りを口にした。


 別れはほんの一瞬。

 両手から感触が消え、苦しみも消え、引力も重力も感じなくなった。

 自分が少しでも楽になった、と感じた途端――春夏冬は声もなく叫んでいた。

『狭間での現実』を、『遠くなってゆく肉体』で初めて感じた。


  大事なのは自分を許す力さ。それが前に進む力だよ。

  無事に戻れたらさ、アタシの本を手に取ってほしいな。もち新品だで?


 救えない者も居る。

 これは言い訳だろうか。

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