話す力

 十五日目。

 春夏冬あきないは立つだけの気力がなくなり、ザノメエリカ宅でうなだれた。

「ちかれた。あしたやろう」

「せっかくだし、アッキーのこと教えてちょーよ」

「自分語りはニガテ……先にエリカちゃんのこと教えてよ」

「アタシねえ……」と、同じように少し渋り、ザノメエリカはファスナーについたドッグタグを掌に乗せて、春夏冬に見せてきた。


  ERICA CANALICULATA / FEMALE

  6 MAY.

  BLOOD TYPE:Rh(-)O

  AREA EAST

  02-01-00115


 タグには、春夏冬とはだいぶ異なる表記があった。

「なぜか『エリカ・カナリキュラタ』なの。なんで学名やねん」

「血液型、マイナスなんだ」

「そうそう。実際それで死んだの、血の在庫なくて。だははは!」

 輸血が必要なほどの自殺とは? この手の少女には、自愛なんて概念はないだろうし、聞くだけ野暮である。――いや、自分が行なった行為を差し置いて、いけしゃあしゃあとザノメエリカを評価してしまい、すぐに愚考を恥じた。

「……いやさ、アタシこれでもプロとして本を出してたんよ。十四ん時にティーンの賞を取ってさ、十五で一般公募でも賞をもらったの。つっても、過ぎた栄光よ」

 少女の過去を聞くなり、春夏冬は面食らってしまった。心のどこかで『軽視』が働いていたのだ。中学生で自殺を図った少女の生い立ちなんて高が知れていると。だがザノメエリカは、春夏冬の年齢より十歳も若い頃に実績を上げた博識だった。

 では、なぜその年に命を落とすような妄動もうどうにいたったのか? 感情が錯綜しすぎて、うつむいてしまった春夏冬。嫉妬か、不満か、侮蔑ぶべつか。

 OLの感情を割るように、コンコン――二度、ノックが聞こえた。

 伏し目がちだった顔を上げると、

「あー、そういや人が来る約束だったわ」

 あぐらをかいていたザノメエリカは、中年女性さながらに「あー、よっこいしょっと!」と、掛け声に合わせて立ち上がり、玄関へ向かった。


「チッスチッスでーす。あれ、ネコちゃんひとり?」

 春夏冬の目が玄関へ向く。

 クリームのワイシャツの上にネイビーのジャケットを羽織り、グレーのスラックスを合わせた壮年が立っていた。男は茶色の革靴を脱ぎ、一緒にグレーのキャスケットを脱いで、シルバー寄りの白髪をあらわにした。左手には、ブレスレット代わりにドッグタグをつけている。

「エリカのところへゆくから、とこわしくんにも声をかけたんだがね」

 なにより目を引いたのは、男の肩に乗った、白いマンチカンだった。ザノメエリカの言う『ネコちゃん』とはそういう意味なのだろう。

「あんにゃろう、付き合いワリぃから。それより、この子がアッキーだよ」

 狭い部屋が一気に賑やかになり、

「あ、えと……丸岡春夏冬です。よ、よろしく……」

 春夏冬は、知らない親戚に囲まれた子供のようにどもってしまった。

「これはご丁寧に。ワシは彦根ひこねねこづな。エリカとは同期で、南区在住だで。なんともまあ、狭間に似合わんまともな子だね」

「やろ? アッキー、間違えて来たんじゃない?」

 褒められているのか、貶されているのか。なにより春夏冬の心の中では、

『ネコちゃんって、アンタの名前かい!』

 というツッコミを乱発しているので、軽い会釈で特殊な世評を誤魔化した。

「でも、図ったのは事実だから」

「なんでアッキー死んじゃったの?」

 しかし、一瞬で懐に飛びこんでくる少女である。

 ベッドの足元で畳まれた、春夏冬用の布団に尻からダイブしたザノメエリカは、両足をばたつかせながら笑顔で死因を聞いてくるのだ。

「いや、生活に疲れて、困窮して……。でも、探し物が見つからなくて、それで……わたし、検索を続けて……!」

 聞かれたからには答えないと――! けれど、ザノメエリカとねこづなに自分を知ってもらおうとするたび、頭にノイズが走って言葉に詰まってしまった。

「あ、ゴメン。嫌なことは馬鹿正直に答えんくてイイよ? 新入りちゃんって久々だからさ、アタシ興奮しちゃって」

「……エリカちゃんたちの話をして?」

 春夏冬は吐息交じりに、ザノメエリカの情報を求めた。

 他人の話を聞いているほうが、よほど楽だ。

 他人が歩んだ人生に耳を傾けていれば、自分の汚点を忘れられる。

 他人に共感していれば、それだけで――


「アタシさ、賞をもらったまではイイんだけど、リアルでは誰からも認めてもらえんくって。メンヘラ化からのリスカ体験したら、思いのほか刃物が切れ味バツグンだったの。そのままRh(-)不足で合掌よ。対するネコちゃんはだもんねー」

「あぁ、ワシもプロとしてやっていたんだがねえ。ある日、首吊りのネタを欲して、自ら考察していたら、うっかりセルフ絞首刑こうしゅけいになったでのう、ハハハ」

「だははは! 考察中に絞殺とか、ネコちゃんマジで鉄板ネタだで。担当さんからしたら怪現象すぎでしょ。しかも部屋に居たこの子まで一緒に来ちゃってさ」

 からから笑うザノメエリカはベッドから下り、カーペットで正座しているマンチカンの頭を撫で回した。両者の脳ミソは、春夏冬とは別のベクトル、あるいは別次元にあるのかもしれない。

 不意に、春夏冬の身体が疼いてしまった。大人少女も、温厚壮年も、現世ではプロの小説家だったという話を聞いて。

 春夏冬のような、たまにWebで文字をつづるアマチュアとはわけが違う。ページビューの数で一喜一憂し、小説用アカウントを作って、それらしいことをつぶやいているだけの自称小説家とはわけが――

 では、ふたりはどのような作品を現世に残してきたのだろう? 喉から手が出るほど、その体験談を聞きたかった。

 けれど、そちらに興味を傾ければ最後、意識は『小説』に持っていかれる。執筆を禁止されている以上、関連する話題が危ないのは承知している。


「時にエリカよ、本日は何用かな? 決して、四方山話よもやまばなしで呼んだわけではあるまい」

「え? あぁ、それね……」

 ねこづなが本題に切りこむと、家の主が煮えきらない態度を見せた。しばらくマンチカンの頭や頬や喉に、華奢な指を走らせたあと、

「なんつーか、アタシさ……この世界から、脱したいと思ってんのよ」

 教師に怒られる子供のような面持ちで、ぼそっと真意を語ってくれた。ねこづながもくしているので、代わりに春夏冬が「逃げられるの?」と、幼い顔を見据えた。

「それを確かめたくて、あん時ビルに居たの。まあ結局、ビルの最上階にはカードキーで施錠されたドアがあるだけだった。モタモタしてるうちに関係者に捕まって、こわっしーに迎えに来てもらったわけ」

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