3 ろくでもない狭間で

抗う力

 現世に未練がある春夏冬あきないは、『逃げ出す』というワードに光明こうみょうを見出した。が、一度は死を望んだ者が現世に戻るなんて、都合が良すぎないか?

「ネコちゃんとは長年連れ添った熟年夫婦みたいなモンだし、話はしておきたくて。もち、無理にくみしなくてイイから」

 熟年夫婦の片割れ――随分と若い奥様は、目を細めて無理に笑っていた。

「ふむ。こわしくんはどう思うかね?」

「彼は……巻きこんじゃいかん」


 現世から引き継いだ感傷と、狭間で形成されつつある感情に挟まれながら、

「世話になってるお礼に、わたしに手伝わせて」

 春夏冬は、無理にでも力になろうとした。

 現世に帰りたがっている春夏冬が、ザノメエリカの話に乗っからない手はない。けれど、ここで取るべき行動こそ、古参の手助けだと自分に言い聞かせた。両者の滞在歴では差が大きすぎるし、彼女の話に便乗するのはどうしても筋違いであると。

「手伝いだけでイイのかえ? キミはどうなの?」

 ふと見据えてきた幼い目には、まるでティーンエイジャー不安が宿っていた。ザノメエリカの問いに上手く答えられず、「うーん……」と明言を避けてしまった春夏冬。以降、会話は盛り上がらず、ぎこちない空気だけが部屋に充満した。それが帰宅の合図だったのかもしれない。

「そろそろおいとまするよ」

「そう……わかった。また来なよ?」

 不満そうなザノメエリカに礼を述べ、春夏冬は一度、西区のボロ屋敷へと戻った。

「現世に戻るなら、そこで必要とされている人間に限る。だから、志半ばで現世から消えた若き秀才が適任に決まってる。主人公はわたしじゃない」

 そう思えるだけで、『大人』になった気がした。

 そう思うだけで、失敗した際の言い訳ができる、と安堵した。


 二十日目。

 春夏冬は簡易ベッドを作成するため、段ボール収集へと向かった。この世界では睡眠だけは避けられない。逆に言えば、寝室さえ作ればあとはどうにでもなる。

 東西をウロウロしたのち、初めて南区へと足を踏み入れた。夏のイメージが強い南区だが、目にした光景はやはり廃墟だった。

 黄色を脱ぎ捨てた向日葵ひまわりたちは一心にこうべを垂れ、舗道を囲むようにうなだれている。たまに数輪、こちらをじっと見ている奴も居た。

 ミンミンと騒ぐノイジーマイノリティ、ストレスに直結する日光、自分ファーストな天気――そういった夏要素が、なにひとつ感じられない風景はただただ気味が悪いだけだった。

 また、すれ違う人々も東西とは異なっている。

 松葉杖をつく者、片目を眼帯で隠す者、猛烈にせき込む者と、やたら『患者』が多かったのだ。その者たちは皆、一様に色がなかった。

 南区の中央には大きな病院が建っているが、それが関係しているのだろうか。そもそも、この世界では怪我をするのか? 病気は治るのか?

 答えが出ない分、考えるだけで恐ろしい。


 使えそうな段ボールを何枚か小脇に抱え、出入口へ戻る途中。

 石畳の舗道には、ペンキの禿げたベンチがいくつか設置されており、そのうちの一脚にこわしと、膝にマンチカンを乗せたねこづなが座っていた。真っ先に気づいたのは青年で、「春夏冬さん」と一言、軽く手を振ってきたので、会釈を返した。

「どうも。おふたりは仲良くサボタージュ中?」

 近寄り様、春夏冬は当然のごとくマンチカンの喉を撫でると、

「エリカさんの件で、ちょっと」

 ふたりは、三人掛のベンチに隙間を空けてくれた。手すりに段ボールを立てかけ、春夏冬は素直に端に座ると、

「そもそも、この世界から脱するって可能なの?」

 タブーと思しき話題に土足でずかずか入りこんだ。

「どこかには出口があるとかないとか。当然、今まで現世に帰ろうとする者はごまんと居ました」

「けれど、『主人公』になれた者は居なかった。しょせん小説家ワシらは裏方だからね」

「執筆、読書を取り上げられた挙句、この世界で命を絶つ者も少なくありません。半面、小説を書いていたことを忘れて、廃墟で楽しく過ごす者も居ますよ」

「ここは、現世で居場所がなかった者たちに人権を与えてくれる。その代償として、自分が書いていた物語を徐々に忘れてゆく場所だよ。ともあれワシは、凋落ちょうらくしていた時期だで、ちょうど良かったのかもしれんが」

 ねこづなは、今でこそスローライフを楽しんでいると付け加えた。執筆の歴が短ければ短いほど、その代償は低そうだ。

「そう、ですか。であれば、やっぱエリカちゃんを助けたい。彼女は、どちらにもなっちゃいけない。わたしが囮にでもなって、彼女だけ逃がせれば――」

「どうしてそこまでエリカさんのために?」

 毅がずれたメガネを直すと、やや強い口調をもって目を見据えてきた。

「彼女は若いうちに死んじゃったし、それにプロなんでしょ? 生産性のある人間こそ、現代では付加価値があると――」

「当然、若い人のほうが価値はある。でも現世では、若さは永遠じゃありません。歳を取らない狭間とは違います」

 春夏冬は、まるで論点が合わない毅に対して懸念を感じた。感情的になった小学生のような口ぶりは、若干の狂気が垣間見える。

「いや、そういう意味では……」

「好きなように恋愛もできない現世なら、よほど狭間の方がマシなのでは?」

 毅は捨て台詞を残すと、「失礼します」と一言。南区から去っていった。


「地雷踏んだ? もしかして毅さん、エリカちゃんのこと……」

「五年前、毅くんがここに来た時、世話をしてあげたのがエリカだった。現世でなにがあったのか、当時の彼は一言もしゃべらなかったよ。それでもねんごろに面倒を見ているうち、徐々に心を開き、なついていったんだよ」

 春夏冬と似て非なる状況ではあるが、彼もまた、ザノメエリカに助けられたひとりだったようだ。

「たかが三十五年、されど三十五年。現世では彼も色々あっただろうね。エリカもワシも、未だにそれは聞いていないが」

「ねこづなさん……」

「思うところがあるかい?」

「毅さんって割と歳いってるんですね」

「そこ?」

 毅が抱く、ザノメエリカへの並々なる思いを意識するのは難しい。

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