2 変人ばかりだ狭間は

棲む力

「アッキーには教えたげる。ここは、現世げんせ彼世あのよの狭間だよ」

 ビルを出てこわしと別れると、ザノメエリカは先ほどの答えをすんなりと口にした。

「狭間? じゃあ、まだギリ生きてるってことか」

「プラス思考だねえ。ちなみにビルを正面に北だから、方角は覚えとくと良いよ」

 春夏冬あきないは頷きながら、ドッグタグをスカートのベルトに提げ、案内人の小さな背中を追った。


「狭間は、絶えず雲に覆われた廃墟の世界。時間の概念は、あるんだかないんだか。だからアタシは、寝て起きたら一日って数えてる」

「ペンネームの件なんだけど、『ザノメエリカ』ってのはエリカちゃんの?」

「うむ。民は全員、現世で自殺を図った作家たちなの。だはは、因果だねー」

 こんなあどけない少女や、真面目な風貌のメガネ男子が命を絶とうとするなんて、現世はやはり地獄である。

「でさ、重要なのは狭間のルール。ここには本がないだけじゃなく、執筆が禁止されてる。これを守らないと手が融けて、脳ミソがボロボロに崩れていくよん」

 ザノメエリカがゆったりと語ってくれた事項は、小説家にとって『考えること』を制されてると言っても過言ではなかった。

「禁断症状が出る人、解放されて喜ぶ人――色んなのが居たっけな」

 ほどなくビル地帯を覆う漆喰壁しっくいかべが見えてくると、ぽつんと簡素な門が迎えてくれた。ちょっとだけ腰をかがめて潜ると、ビル地帯から見えていたスモッグが晴れて見通しが良くなった。


 居住区は無風で、暖色のタイルと見紛うほど、舗道に紅葉もみじが散乱していた。

 西区の中央には四角い建物があり、老朽化した煙突からは煙が立ち上って、雲と同化している。地面の暖色以外に彩りが見当たらない町は、万物が無彩色で構成されていた。

 立ち並ぶ民家も廃屋同然で、屋根が壊れた住まいも多く点在している。あばら家なんてマシな部類だ。

 また、飲食店や食料品店の入口には有刺鉄線が張られており、そこを利用しようとする老若男女は、器用にワイヤー部分を避けて出入りしていた。ワンシーンのみを切り取ると、ゾンビ映画である。

 ――ここには日常があった。狭間の日常が。

「西区には、火葬場と大きな墓地があるよ」

「やっぱ、ここでも人って死ぬの?」

「故意ならね。でも寿命の概念はないよ。特に西区は、死体エンカ率が高め。ちなみに南区には病院、こわっしーやアタシが棲んでる東区には養老院があるよ」

「北区は?」

「あそこ寺院があるから、坊さんが棲んでるのかな。近寄ったことないな」

 狭間もまた、現世と同じで死にまつわる施設が多い。人間である以上、切り離せない概念だが、自殺を図った者にさえプッシュしてくるか。


「アッキー、タグの番号は8998だっけ? この辺なんだけどなあ」

 廃墟をどれほど歩いたか。草木よりも、道に転がる変死体の数が多くなってきた西区の場末。ザノメエリカが電柱の数字を確認しながら、

「あった!」

 声高に指差した先に建っていたのは、あちこち破損した木造平屋建だった。

 雑木の中に憚るように存在しており、室内は昭和何年から引っ張ってきたのか、こたつ、仏壇、日本人形、掛け軸、エトセトラ。まともな状態なら良家だが、これでは敷地が広いだけの古き良き幽霊屋敷だ。

「いや、ボロっ! 鍵とはいったい……。ウチに泊めたげようか? アタシ、何年もDIYのたくみやってっから、まあまあ綺麗よ?」

「エリカちゃん何歳?」

「図ったのは十五。で、こっちは三十一年目だったかな?」

 ザノメエリカは、サンダルのまま春夏冬邸に上がり、散乱しているゴミを足で小突いては、腕を組んで苦笑いを浮かべた。

「え、じゃあ四十六歳ですか? あ、エリカさん……泊めてもらっても良いですか」

「だはっ! タメ語でイイし! まあ、落ち着くまでウチに居なよ。リフォームするなり、仕事探すなり、ダラダラやりゃ良いさ」

「こんな荒廃世界でも仕事すんの? 地獄じゃん」

「お金の概念はないし、お腹は空かないよ」

「最高じゃん」

「でもさ、人ってそれだけじゃあ気が狂っちゃうの。取り上げられた人間味を、なにかで補おうとする。要は『ごっこ』だよ。お買い物ごっこ、お食事ごっこ、お仕事ごっこ――小説の中もそんなモンっしょ。どうせフィクションだし」

 ぞっとする話だ。

 良い歳をした大人たちがとくにも、とくにもならない行いを狭間で続けているのか。


 いったん、西区での居住を諦めた春夏冬は、その足で東区にあるザノメエリカ宅へと向かった。東区は、花が散りきった亭々ていていたる桜の木が、中央から町を見据えている。東区の地面は、どこもかしこも桜の花びらで覆われていた。無論、ここも廃屋ばかりが並んでおり、桜以外のオブジェクトに色はない。

 ザノメエリカ宅は五坪ほどの狭小きょうしょうな平屋で、屋根や壁や床、あちこちに修繕した跡があったが、居住という意味では充分に機能していた。一間ひとましかない家の中央、ローテーブルを挟んでガールズトークしていると、

「ふぁぁ……この狭間でも、眠気はやってくるのか……」

「生物はなぜ寝るか――その辺、未だに解明されてないから」

 急激な眠気に襲われた春夏冬は、会話中に意識が途切れていた。


 二日目。

 こそばゆさで起床すると、頬には一枚の桜の花びらが乗っていた。

 どこから飛んできたのだろう?

 テーブルを挟んだ向かい側には、ザノメエリカが仰向けで寝息を立てていた。

 起床してすぐ、時間の感覚を失っていることに気づいた。

 この日は、死体を見ないようにして西区を歩き、自宅を少し片づけた。


 五日目。

 ひたすら考えてた。

 空腹が来ない、お金は要らない。結論――働く必要がない!

「理論上はね。けど狭間の連中は、なんもしないと小説を書きたくなっちゃうさがさ」

「狭間での『生きる』とは……執筆を忘れること?」

「大体ぴんぽーん」


 七日目。

 西区のハローワークに行ったら、入口が木板もくはんで封鎖されていた。

 幸い、ロケットランチャーが撃ちこまれたような横穴があった。

 瓦礫がれきを踏みながら建物に入り、破けた求人をあさり、仕事を紹介してもらった。

 対応してくれた職員は、淫靡いんびな言葉でセクハラをするハゲオヤジだった。

 現世では官能小説家で、特殊性癖だったに違いない!


 十日目。

 裸一貫はだかいっかんで、西区の葬儀場の面接に向かった。はずなのに、

「――丸岡さん、小説、書きたくありません? 実は、ここだけの話、文字を書いて生計を立ててる人、この世界に、割と居るんです。見たところ、あなた、まだ若い。熱意が冷めないうち、ぜひうちの会社で、執筆の手伝い、してみません?」

 前門には、テーブル越しの怪しい面接官。

 後門には、出入口を固める怪しい面接官。

「け、結構です……」

 宗教勧誘は、いとも容易く行われるのだと、狭間で初めて知った。

 溜息の回数が増え続ける最中、なにやら外が騒がしくなり始めた。

「開けんかいゴラァ! いてもうたろか、ボンクラどもが!」

 ほどなく春夏冬が軟禁された部屋のドアが蹴破られ、ドスの利いた巻き舌と一緒に、へこんだ鉄パイプをぶん回す、ジャージ姿の少女が突入してきた。

「ウチの若いモンに、ようこないなことしてくれたのう? オドレら、どう落とし前つける気じゃ! ひとりひとり脳天ブチ割んぞボケナスが!」

 壁、机、椅子、あらゆるオブジェクトどころか、人間までも破壊してしまいそうな少女は、元気いっぱい暴れ回っている。

「松本様のお連れ様とは知らず、大変申し訳ございませんでした!」

 結果、面接官を装った連中は、ザノメエリカに土下座で謝り倒し、事なきを得た。

 この狭間の力関係がイマイチわからない。

「エリカちゃんが狭間を破壊してる説濃厚」

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