第6話 ほのかに香る死
「忘れ物はない? 怪我も大丈夫? 王都までの道は整備されてるけど魔物も時々出るからね。気を付けるんだよ」
小さな集落の小さな宿屋。その玄関にて。
この数日ですっかり顔馴染みになった宿屋の女将さんが、ルミの身体を隅々まで確認していく。人口に乏しい集落であること。ルミの姿が若い少女であること。本人の気質がお節介好きなこと。
様々な理由が重なった結果なのだろうが、元の世界のホテルなどではとても考えられない対応だ。
「大丈夫ですって。見ての通り、準備万端ですからっ!」
だが悪い気はしない。大袈裟な動作で力こぶを見せつけようと腕を曲げ、そんなもの微塵も現れない細腕に辟易とする。なんであろうと、元気であるアピールはできたはずだ。
「そうかい。じゃあ達者でね。故郷に帰れるように祈ってるよ」
「……はい」
ルミの事情を全て話しているのはアベルだけだ。この場限りの関係性になる彼女には、ルミが遠く離れた故郷から何かしらの事故で転移させられてしまったと、嘘の説明だけをしている。魔法や魔術の存在するこの世界では、人間が大陸の端から端まで瞬間移動することも、珍しい程度だと疑われることはなかった。
心優しい彼女にそんな嘘をついていることは罪悪感を刺激する。本来は男性だと黙っていることもそうだ。けれど悪戯に話したところで、話がややこしくなるだけだろう。第一、そうしたところで何も解決しない。
「俺も世話になりました。ただ治療費は本当に……」
「若いのが気にするんじゃないよ。困ったときはお互い様さ。それよりも、男ならその子をしっかり守ってあげな」
「……もちろん」
アベルは女将の言葉に、何やら曖昧な表情で頷いた。
ちらりと一瞥してくる切れ長の瞳をルミは努めて無視する。元男、現少女の身として扱いを困らせている自覚はあるが、ルミにはどうしようもできないのだ。
「よし。なら出発だ。なるべく俺の近くから離れないように」
「はーい」
木の柵を超えて、二人は集落を後にする。気の抜けた返事になってしまったが、油断するつもりはない。ルミが足を引っ張りさえしなければ、アベルが魔物や悪魔などに負けることもないだろう。
細心の注意を払いながら、二人は王都への道を歩き始めた。
☆ ☆
天候は晴天。少々暑苦しいが、熱中症などを恐れるほどではない。見晴らしの良い平原では外敵からの奇襲も可能性は低く、そもそも地平線の先まで大型の獣は見当たらない。
つまり平和だ。細心の注意が緩んでいくのを感じる。あくびが零れてしまいそうだった。
「ふわぁぁ……」
「寝るなよ?」
「え、なに? 歩いたまま寝るとでも思われてる?」
「そんな感じの雰囲気だぞ」
あんまりな評価にジト目で睨みつける。いくら想像と違って長閑な散歩道だったとしても、危険だと言われている場所で眠りこけるほど阿呆ではない。
「悪い悪い。まあ、本当に危険な時は言うから、それまではいくらでものんびりしててくれ」
「なーんか馬鹿にしてない?」
「気のせいだ」
少しずつお互いの性格を理解し始めたからだろうか。或いは本来のルミが同年代の同性だと知ったからだろうか。アベルは当初よりもずいぶんと気安い態度を取ってくるようになっている。
正直、年下の少女として明らかに守るべき対象と扱われるのはむず痒かった。友人のような距離感で接してくれるのは非常に助かる。尤も同年代の男性──“真雪”の身体のままだったとしても、非戦闘員の庇護対象なことに違いはないのだが。
「あんたの世界って、どんなところだったんだ?」
「どうしたの? 急に」
「いや、ずいぶんと物珍しそうに歩いてたからな。……こういう風景はそっちにはなかったのか?」
あまりに代り映えせず、すぐに飽きてしまったものの。アベルの言う通り、村を出た当初は大自然の真っ只中で景色を楽しんだものだ。
「うーん、そうだね。ないことはなかったけど、僕の生活圏内じゃ自然なんてほとんどなかったなぁ」
大学進学を機に、大学近くの安アパートで一人暮らし。ルミは──真雪はそんな珍しくもなんともない生活をしていた。首都圏に入っていたこともあり、目に映るものなど鉄筋やコンクリートの人工物ばかりだった。
街道を除き人間の手などほとんど入っていない大自然。利便性を求め続け自然を排斥した大都会。どちらが良いかは甲乙付け難い。
「王都を直接見ないとわからないけど、たぶん生活水準は僕がいた世界の方が……いや僕の住んでた国の方がだいぶ高いと思うよ」
「ずいぶんと発展してるんだな。それだと村での三日間とか野宿はしんどかったんじゃないのか?」
「うーん、ないものは仕方ないし別にそこまでストレスはなかったよ。そりゃあ温かいお風呂とかは恋しいけど」
文化レベルの低下による不便は、想像よりも順応できている。上下水道なんてものはなく、井戸から水を汲まなければならないのは大変だったが、肉体の性能が良いおかげで問題にはなっていない。
水道も王都など栄えている都市であれば整備されているとのことだ。技術の歴史などは知らないが、この世界の文明は見た目よりも現代に近しい時代まで進んでいるように思う。
「そんなことよりも身体の方だよ! ぜんっぜん、慣れない! たまに足の長さを勘違いして転ぶし!」
適当に腕を掲げながら愚痴る。こればかりは順応できる気がしなかった。
朝起きるたびに、自分が女性になってしまっていることに驚いてしまう。ちょっとした段差でも歩幅を見誤って躓いてしまう。何より着替えや水浴びの度に、視界に映る女性の裸体にどぎまぎしてしまっていた。
周囲の人間が女性扱いしてくることにも違和感を覚えずにはいられない。
「俺は女性になった経験なんてないからわからないが……」
「自分で動かしてる身体と、視界に入る身体が一致しない感覚かな。たまに他人の視点を借りてるような気分になってくるんだよ」
「……精神的にきつかったら、愚痴ぐらい聞くからな。元に戻る方法もあんたの友人と一緒に探さないとか」
「ありがと。本当に頼りになりますねっ」
「おいやめろ。なんで急に猫を被り出すんだ?」
実にわざとらしく、アベルの胸に手を付きながら上目遣いに見上げてみれば、青年はあからさまに狼狽えて見せた。女性経験には乏しいと思われる。それはルミも人のことは言えないのだが。
「せっかく可愛い女の子になったんだし、まあ使えるものは使わないと」
「……あんた、本当に身体の変化に戸惑ってるのか?」
「それはそれ。これはこれってわけで。アベルだってこんな可愛い子に甘えられたらまんざらでもないでしょ。男だからわかるよ」
「中身が男だから問題なんだ。裏が透けて見える」
懐疑的な視線はケラケラと笑って誤魔化す。女性になったことは受け入れがたい。けれど“ルミ”が可愛らしい少女であることはまた別の話だ。
一時的なものとはいえ、恵まれた容姿をただ放っておくのは実に勿体ない。
「はぁ……ルミは何というか。大人しそうなやつだと思ってたが案外、愉快な性格をしてるな……」
「つまらないよりはマシでしょ?」
「騒がし過ぎても面倒だからな?」
人生は楽しく生きようがルミのモットーだ。解決すべき問題であろうと、今すぐにどうにもできないのならば、ある程度は楽しむ余裕も必要だろう。
「髪を切らなかったのも同じ理由か」
「うん。せっかくロングが似合ってるんだから、切るのも勿体ないしね。維持するだけでも大変だって思い知らされたけど……」
世の女性には頭が上がらない。水で汚れを流し、乾かすだけでも重労働だったというのに、更に手入れなどが必要なのだろう。それを毎日と。凄まじい労力だ。
「あーあとさ。王都についたら……」
「…………」
「アベル?」
先ほどまではしっかりと返してくれていたアベルの言葉が聞こえない。不思議に思い見上げれば、彼は張り詰めた表情で街道の先を睨みつけていた。
悪魔の時と同じだ。冗談を交える余裕などない、危機が迫っているときの表情。そんなアベルを前に、ルミもおふざけを引っ込める。
「血の匂いだ」
「血の……?」
「人間でも嗅ぎ取れるぐらいだ。数が多い。こんな街道の近くに獣の群れは来ないだろうから……恐らく大勢が怪我してる。それもかなり重症で」
血の匂い。重症。自然と悪魔との死闘が想起される。
死が身近に迫ってくる命の奪い合いだ。それが再び、そう遠くない位置で巻き起こっている。どうすれば良いのか。縋るようにアベルを見上げれば、彼もまた葛藤しながらルミを見下ろしていた。
「……大きく迂回する。危険は避けるべきだ」
「えっ、でも」
「いいから。行くぞ」
それがアベルにとって最善の選択ならば、きっと素直に従うことができた。けれどたった数日の付き合いでも。横顔を見上げただけでも。悔しさを噛み殺そうとする表情を見れば、それが苦渋の決断だったのは明白だった。
当たり前だろう。アベルは初対面のルミを迷うことなく保護し、自身を囮にして悪魔から逃がそうとする男性だ。感情表現が苦手でも、その内にあるのは強い正義感だと、嫌でも理解させられる。
そんな彼が怪我人を避けようとしているのは、ルミがいるからだ。多少動ける程度の素人。そんな人間を連れて危険には飛び込めない。誰かを保護する前に、既に保護した少女に安全を提供する義務があると考えている。
「僕は、どこかに隠れてるからさ」
「…………ルミ」
「助けたいなら、助けに行かない? 何もできないけど、足手纏いにはならないようにするから……」
ルミには何もできない。ちょっと高い運動能力を授かっただけで、ほとんど見た目通りの少女以上のことはできない。
けれど、そんなルミのせいで、アベルが助けられたはずの誰かが、命を落としてしまうのは嫌だった。助けられたかもしれないと、アベルが気に病むのを見るのは嫌だった。
この先で倒れている誰かも、既に助けられたルミも、順番が違っただけで同じ困っている人間なのだから。
「……絶対に隠れてろよ」
「うん」
「俺がどうなろうと、合図するまで絶対に出てくるな。危険を感じたら街道を真っすぐ歩けば王都につく。わかったな?」
「うん、絶対に守る」
お互いの意思を確認するように、しばし見つめ合う。しばらくして、アベルの方から視線を逸らした。
時間が惜しいとばかりに、二人は歩き始める。
「様子を見てくる。怪我人がいるなら回収するから、ルミは街道を少し逸れたところで伏せていてくれ。何かあったら大声で助けを求めろ」
「りょーかい」
そう言い残し、優しい青年は駆け出した。
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