13「共闘」(2)


「……デ……デミ?」

 愛しい彼女は彼女そのものの姿のまま、空間の中央に佇んでいた。闇が掃われたその場所は、広い空間が取られており、牢獄と実験施設が混ぜ合わされたような空間だった。ところどころに大型の水槽のような機械が設置されていて、その傍にはおそらく“実験対象”を拘束しておくための檻も設置してある。

 中央には祭壇とも手術用の台とも取れる、心に不安を駆り立てる鉄製の台が無造作に置かれており、その手前で、愛しい彼女がこちらに背を向けて立っているのだ。

 部屋の奥にある一際巨大な水槽にも、壁を這うイースの魔力が届いたのだろう。ゴオンという低い起動音が響き、その水槽に光が宿る。大人が三人くらいは軽く入りそうなその水槽には、歪なカタチをした獣が――目を見開いた状態で漂っていた。

 水槽内を満たす緑がかった液体の中で尚、その獣はまるで驚きで見開いたような瞳でこちらを――エイトを見ていた。何故か感情が読み取れる、おかしな瞳だ。しかしその獣がおかしいのは、瞳だけではない。

「あちゃー、実験はもう成功してるんかいな」

 イースが悪態をつくのも無理はない。その獣は歪だった。まるで御伽噺の幻獣のように、その獣は――継ぎ接ぎされた人工の獣だった。手足は獅子のように強靭に、しかしその頭から尻尾に至るまでの黒色は、山羊のそれだ。四肢の付け根からは黄金の毛に覆われているところを見るに、遺伝子を混ぜ合わせたのではなく、そのままパーツを継ぎ接ぎしたのだろう。歪なカタチに歪められた獣が、驚愕の瞳でこちらを見ている。

「醜悪な獣ですが、それよりも……」

 エドワードの声に微かな哀れみが混じった。目の前の彼女がゆっくりとこちらを振り向く。

「……っ!?」

 彼女の顔は、血に汚れていた。だが、彼女の顔に傷のようなものは見えない。まるで顔面から血みどろの中に突っ込んだように、どす黒い赤の隙間から、緑の瞳がギラギラと輝いている。

 彼女の表情からはまるで、人間らしさが欠落していた。その愛らしい口元から、獣の唸り声のようなものが漏れる。

「デミっ!」

「いけません、エイトさん」

 歪に震える彼女を抱き締めようと駆け出そうとしたエイトを、エドワードが止めた。予想以上に強い力で腕を掴まれて、エイトは振り払うことが出来なかった。思わず振り向いた老人の顔が、辛そうに歪められたからだ。

「こりゃあの子の中にもう、あの子の心は残ってないで。魔力を生み出す器官は心臓やけど、どうやらこの機械でデミちゃんは、心臓をあの獣に盗られてもたんやろな」

 イースが指差すその先には、巨大な水槽に浮かぶあの獣がいた。驚愕に見開かれたその瞳には、どこか懐かしい緑の光が宿っている。

「じゃあ……デミは……?」

「あの子の心臓はあの獣の中や。んでその子の身体は、獣のいらん部分だけ貰ってもう……人間とは言えんやろな」

「人の魔力が心臓に付随しているのは研究結果が出ていますが、まさか心まで盗られてしまうとは……」

「それは私も想定外だったよ……」

 突然、闇の中から声が響き、その声に当然のように獣が――デミが反応した。闇から歩み出るその男を守るように、彼女は獣のような四つん這いの動きで傍へ寄る。

 巨大な水槽の隣に隠されるように設置されていた扉から、この邸宅の主であるフリン・スペンサーが現れた。部屋の光量が彼に反応するかのように強まる。室内の光が青から白へと変わり、彼の傍に控えるデミの姿も鮮明になった。愛しい彼女の手には戦闘用のカギ爪が装着されており、既にその爪からは赤き雫が滴っていた。

「可愛らしい彼女からは、魔力だけを捧げてもらおうと思っていたのだが……」

「魔力……つまり心臓を得るというのなら、素直に命を、と仰れば良いでしょうに」

 皮肉のようにそう言葉を零したエドワードに、フリンはふっと軽く笑った。どうとでも言えと、いうことだろうか。どこか遠くでの出来事のようにしか、今のエイトには思えなかった。彼女は目の前で獣のような息を吐き、それでも彼女のままの愛しい姿で目の前にいるのに……

「こんなえげつないこと、商人風情がやるとは思わんかったわ。とりあえず、もうお前は商人としては終わりやで。その命が終わるかどうかは、これからのお前の態度次第やけど?」

 銀の剣を抜きながら、イースがそう言った。彼も笑っている。フリンは恐ろしい実験を行っていた商人ではある。だが、その戦闘能力はないに等しい。筋肉のつき方は一般人そのもので、とりわけ強い魔力も伝わってこない。それよりも、何故か守るように立つデミの身体から、おぞましいまでの魔力を感じる。

 それをイースもエドワードも察知しているからこそ、フリンの首にはまだ、その剣先が突き付けられていないのだ。エドワードがひとつ咳払いをして、一人前に歩み出る。獣の唸り声が少し大きくなる。

「ひとつ取引をしませんか? 私はデザートローズの陸軍所属の者です。貴方がそこの少女の心を元に戻すというのなら、この特務部隊の男のことは、私が相手を致しましょう。彼の目的には貴方の抹殺が含まれますが、私の目的はあくまでも、合成獣の作成の阻止なので。どうでしょうか?」

「おい、じいさん。勝手なこと言うなや」

「なるほど。私はもう首都の陸軍だけでなく、特務部隊からも狙われる身となったのか……エドワードさんの申し出はとてもありがたいが、もう、一度合成されたモノは戻すことが出来ないのだよ。その場合はどうすれば、私はこの窮地を脱することが出来ると思う?」

「それでしたら、私からはもう……獣を処理するという答えしかお伝え出来ませんなぁ」

 言葉とは裏腹に、エドワードの表情に一切の笑みはない。鋭い漆黒の瞳で捉えるのは、フリンではなくその前で、犬歯を剥き出しにして唸るデミの姿だ。

――やめろ、デミ……そんな獣みたいな声、出すなよ……

 零れ落ちる唸り声とは逆に、エイトは言葉が出なかった。出せなかった。自らの心を言葉にしてしまえば、彼女が本当に獣になってしまったのだと、本当に認識してしまわなければならない気がして。

「特務部隊が動いてもうてる。もう、逃げれへんねんから諦めぇや。せめて本部に移送するまでは、贅沢させたるからさ」

「紛れ込んだのはイースくん、君だけだろう? ならば、この子を倒してからお願いしようか」

 すっと片手を前に突き出したフリンに、エドワードとイースがしっかりと反応する。フリンの合図に呼応して、襲い掛かって来たのは――水槽の中の獣だった。液体の中に囚われていたその身体が突然波打ち、その衝撃によって水槽が崩れ落ちる。

 少し粘性のある緑がかった液体が灰色の上に流れるなか、己の四肢でしっかりと立ったその獣が、怯える瞳で泣きだしそうな咆哮を上げた。その声に身構えるエドワードとイース。そして、獣の唸り声を上げながら――デミが三人の脇をすり抜けて、地上への道を駆け抜ける。

「っ!?」

「追え! エイトくん!! 大事な子なんやろ!?」

「あ、ああ!」

 躊躇しかけたエイトの背中を、押したのは意外にもイースであった。彼は淀みのない笑顔で、エイトに「はよ、行け」と言ってくれた。その笑顔に思わず涙が出そうになったエイトの手を、エドワードが強く握る。

「私も一緒に向かいましょう」

「じいさん、僕を放っといてエエんか?」

「貴方は友の仇です。ですが今は、協力関係なのでしょう。でしたら、親玉の方はお願いします。それと――」

「――この獣の心臓は止めんなってことやろ? 任せえ! 僕の魔力はこういう時のためにあるんや」

「イース! 無事でいてくれよ!?」

「エイトくんこそ。彼女のことはよ、追ってやりや」

 頼りがいのある背中から視線を前に戻し、エイトとエドワードはデミを追って、地上への通路を駆け抜ける。背後から響く激しい戦闘音には耳を塞いでしまいたかったが、それを敢えてエイトは己へと落とし込んでいった。

 これから訪れるであろう彼女とのその時に、どうか自分の心が壊れてしまわないように。どうか彼女の愛しい笑顔が、歪に歪むことがありませんようにと、心に願いを込めながら。

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