14「彼女」(1)
逃げたデミを追い掛ける最中、エドワードはエイトに言った。走りながら、お互いの視線は前を向いたまま。それでも彼の心は、表情は、まるで手に取るように伝わってくる。
「あの子はもう、元には戻らないでしょう。彼女を……いえ、エイトさんのためにも、デミさんのためにもちゃんと言いましょうか。デミさんを殺すのは、私に任せて貰えませんか?」
「……」
エイトはエドワードの優しさに涙が出そうだった。彼は、エイトに手を汚させるつもりはない。その罪を、エイトがこれから抱えるであろう悪夢すらも全て、その手で引き受けようと言ってくれているのだ。
――そんなこと、思わねえよっ!
エイトがこれから抱えるであろう悪夢。『愛する彼女をこの手で殺した』という悪夢を、『愛する彼女を殺した相手』へと書き換えようとしてくれている。人間の心はそれだけ脆く、また、そう『改ざん』してしまった方が、きっとエイトが生きやすいと、『生きる希望がある』と老人は言ってくれているのだ。
心が拒否する今の状況ならば、エイト自身、きっとそう思い込むことも出来ると思った。だが、それはしないのだ。それは自分にとって良くないから。愛する彼女にトドメを刺すのは、きっと自分自身の役目だからだ。
「エイトさん。彼女にはもう人の心はありません。今、こうして私達を引き離しているのも、エイトさんが彼女の身体を追うであろう、そしてそのエイトさんを私が追うであろうという、主の読みによる命令の他ないのです。敵の目的が我々の分断であるとはっきりしている今、私達は早くイースさんと合流する必要があります」
「つまり、イースが危ないって、ことか?」
「ええ。彼もかなりの力量ですが、しかしわざと分断させてくるような相手です。何か策があるのかもしれません。先程の口ぶり、特務部隊が彼だけだと見抜いているようにも取れました」
「そうなのか……わかった。オレがやる」
「エイトさん?」
鋭い漆黒の瞳がこちらを向いた。探るように細められたその瞳に、隠し立てをするようなことはしない。心の奥底まで覘かれるその瞳の前では、どんな強がりも意味がない。
「デミを守れなかったこのオレに、あいつの最期を看取らせてくれ」
「……わかりました。辛くなったらいつでも……エイトさんばかりが傷つくのを、私は許すことが出来そうにありません」
「ありがとう。オレは大丈夫だから。だから……デミが、終わったら……オレのことはいいから、イースの援護に行ってくれ」
「わかりました」
「それと、デミとオレのことは手出ししないでくれ。オレは……あいつはオレをいつも受け止めてくれていた。オレも最後ぐらいは、受け止めてやりたいんだ。男として。だからオレを、甘やかさないでくれ」
硬く握りしめたエイトの拳に、エドワードが手を伸ばしかけたが、その手がエイトに触れることはなかった。手を戻したエドワードは、視線も前に戻して言った。
「男として……ですか。わかりました。どうかその言葉が偽りとならないように、私は見届けさせていただきましょうか」
軽薄そうな笑みを浮かべて笑う老人の漆黒に、足を止めた彼女の後姿が映り込んでいた。
大広間の真ん中で立ち止まったデミの身体が、ふらりと不可思議に揺らぐ。その瞬間、彼女はエイトの首筋に向かってその鋭い爪を翻していた。反射的にエイトは、爪を装備した彼女の腕を手刀で弾き、機動力を奪うために、足にもう片方の拳を叩き込む。
バン、と激しい打撃音が響くが、その手ごたえにエイトは舌打ちしたい気持ちになった。彼女の腕と足は、打撃の衝撃で赤く腫れ上がり、皮膚が浅く切り裂かれている。だが、彼女は躊躇うこともなく攻撃を続ける。そこに人間の恐れはなかった。
凶器を装備したデミに対して、エイトは素手である。いくら傷つけたくない相手だと言っても、彼女の攻撃を捌くためには、ある程度彼女の身体へダメージを与えることは致し方ない。デミの攻撃を凌ぐエイトの戦闘センスは本物だ。デミはエイトに対して決定打を与えることが出来ない。その代わり、エイトはデミに対して決定打を放つことが出来ない。小さな傷がお互いの身体に刻まれていく。
――何を躊躇ってるんだ。オレは、今から、デミを……っ
じわりと視界が滲んだ。必死に抑え込んでいた感情の波が、雫となってエイトの双眸から流れ出す。慌てて手で目元を拭うが、それがエイトにとっては大きな隙となってしまった。
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