13「共闘」(1)


 エイトとエドワード、そしてイースの三人が、邸宅の廊下を走り抜ける。どこまでも豪奢な造りのこの邸宅は、たかが廊下ですらも煌びやかで美しい。今は先程から続く地鳴りの影響で装飾品が落ちて割れ、魔力によって照らす照明器具が不安定に揺れている。

 真上にて輝く太陽のおかげで、邸宅内はどこも明るい。砂嵐すらも貫く自然の光を最大限に活用した、理にかなった造りである。豪邸というものは、その見た目だけでなく造りの内部まで美しいものらしい。

 広い邸宅を走り抜けることは、エイトにとっては迷宮の中を走り回るのに等しかった。だが、先頭を買って出たイースにはまるで迷いは感じられない。彼はわかっているようだ。どこに向かえば良いのかを。

 エイトは最後尾に着きながら、二人の男の背中を見た。足は全力で走ったままだ。軍人二人の足はとても速く、エイトはついていくだけで精一杯だ。まだ若い青年であろうイースはともかく、エドワードからはとても退役している気配は感じられない。

「エイトくん、大丈夫? もうあの階段下りたら目的の地下施設やから、へばったらあかんで」

「エイトさん、申し訳ありませんが今は休んでいる場合ではありません。もう少しご辛抱を」

「へっ、平気だっての!」

 全く息も切らさずにこちらを心配してくれる二人に、息を切らしながら答える自分が恥ずかしかったが、これはもう仕方がない。二人とは戦闘スキルもセンスも、基礎体力すらも違い過ぎるのだ。これはもう、仕方がない現実だと受け入れるしかない。

 エイトの頭の中に、これまでの二人の言葉が浮かんでは消えていく。

 エイトより年下でも、エイトよりよっぽど強い者達がいる。気の良い青年の仮面を被ったイースが、とても残忍な殺し方でエドワードの友人を殺していた。友人を殺されたエドワードは、しかし任務の成功率を優先して、その憎いであろう仇と共闘する道を選んだ。

 それは今まで、エイトが考えたこともない日常だった。あっけない程簡単に人が死に、その死を笑っている者がいる。それを許せない者がいて、それでも任務のために冷徹に己を押し殺す者がいる。

 エイトにとって二人の背は、とてもとても遠いものだった。それは距離や走る速度なんてものではなく、精神的な、軍人としての距離だった。とても遠い、しかし目指すべき背中がそこにあった。それは老人だ。青年ではない。

 だからこそエイトは、相対した二人に挟まれたあの時、迷いもせずに老人へと駆け寄ったのだ。そこには、エイトが求める強さがあるから。青年は決して持ちえない、歪みのない強さが。

 青年は狂っていた。人の死をなんとも思わなくなるのはきっと、軍人にとっては自己暗示なのだ。人を傷つける職業に就くからこそ、自分のその行為を正当化しなければならない。上からの命令だからとその力を行使する軍人もいれば、何らかの罪として、裁く立場として力を行使する軍人もいるだろう。はたまた、復讐なんてものを掲げている者もいるかもしれない。

 しかしイースは違った。彼は確かに上からの命令で老人の友人を殺したが、そこには『仕方なく』や『命令だから』という概念はなかった。彼は殺せと言われた対象を、『殺したいように殺した』のだ。ほんの少しのその違いが、圧倒的におかしかったのだ。だからこそ彼は、特務部隊たりえるのかもしれない。老人は言っていた。『貴方達特務部隊は、いつもそう』だと言っていた。そこに軍人としての誇りはない。あるのは猟奇的な欲望だけだ。

「悪かったな……」

 イースがバツの悪そうな顔でそう言った。その声に、エイトもエドワードも目を向けるが、彼は前を向いたままで、その表情を見ることは出来ない。だがエイトには、彼の声が微かに震えているように聞こえた。そのまま彼は言葉を続ける。

「合成元の人間がまさか、エイトくんの大切な子やとは思わんかった。わかってたらもっと、他にも……やり方あったんやけどな……悪い! これは僕のミスやわ」

 イースがこちらを振り返り、走りながらではあるが頭を下げた。律儀に謝るその姿は、とても狂人とは思えない。だが、それこそが暗殺者たる彼の本性を、何よりも物語っているような気がした。

「デミさんの脳を毒したということですが、いったいどのような作用があるのですか?」

 エイトとエドワードがこの邸宅に乗り込んだ経緯は、走りながら簡単にではあるが説明していた。『幼馴染の女の子』というワードにイースはえらく反応していたが、それはエイトへの罪悪感からのものだったらしい。もっともらしいその反応も、先程の狂気っぷりを見せられていては、どうにも大袈裟に見せているように見えてしまう。

「そのデミちゃんって子だけに作用するわけじゃないねん。地下にいる人間全てに効果があるように、食事全てに混ぜ込んだんやけど、簡単に言えば『生物の理性を壊す』効果やわ。獣と合成されてから、その獣を暴走させようと思ったんやけどな……」

「デミの理性を……」

「ちょいちょい、エイトくん? お年頃なんはわかるけど、その言い方はあかんって」

「エイトさん、いかがわしい妄想はいただけません」

「お前らいい加減にしろっ!!」

 さっきまで殺し合いを始めそうだったなんて信じられない空気だった。こちらを振り向き笑うイースの口元には、心からの笑顔が浮かんでおり、先程の歪な歪みは見えない。エドワードもまたイースの言葉にうんうんと頷いている。本当に友人の仇だと思っているのか、今の表情だけ見ていたらイースこそ友人のように見えるぐらいだ。

 思わず叫んだエイトに向かって、二人は揃って口元に人差し指を添えて「「シー」」と注意してくる。本当に腹が立つぐらい息ピッタリだった。

 目の前の階段をそのままの勢いで駆け下りて、薄暗い地下の通路を走り抜ける。

 地上の豪奢さとは雲泥の差。地下通路には冷たい石造りの床が剥き出しの、淀んだ灰色が広がっている。太陽の光はもうここには届かないので、この空間を照らす光は、壁に掛けられた魔力によって光る魔石のみだ。簡素な鉄格子のようなものに囲まれたその魔石は、近くを通り過ぎる時に微かな熱を感じさせた。

 三人の目の前には、薄い暗闇が落ちている。薄暗い通路の先は、漆黒の闇が広がっていた。暗闇を隔てる扉はなく、不自然にそこから先が、闇に抱き込まれているようだった。

「エイトくんが騒いでる間に、着いたで。明かりが全部落ちてもうたみたいやな。魔石はどうやらまだ掛かってるみたいやから、僕が魔力、壁に走らせるわ。でも……明かりが点いたらもう、止められんで」

「……え? 止めるって?」

「……エイトさん、静かに。耳を澄ませば、聞こえるはずです」

 再び人差し指を口元に持っていく仕草をするエドワードに倣い、エイトは口を噤んで耳に神経を集中する。

 グチリ……グチ……バチュ……グチリ……

 身の毛のよだつ音だった。人より鋭敏なエイトの神経が、その音の原因にほとんど反射的に考え至る。

――これは、食事の音だ。

 グチリと何かを噛み千切り、グチっとそれを飲み込んで、バチュっと水気の含んだ“モノ”を噛み潰し、グチリとまた噛み千切る。それは、獣の咀嚼であった。

――いったい……何を? ……誰、を?

 エイトの中の動物的感覚は、すでに答えを導き出している。だが、エイトの人間の部分が、その答えを否定していた。震え出した足でなんとか身体を支えながら、動揺を隠せない瞳で漆黒の中に答えを見つけようと、無駄だとどこかでわかりつつその目を凝らした。自らの頭に浮かぶ“最悪の答え”を否定する、その確証を闇に探す。

「デミ……デミっ!!」

 咀嚼音の響く沈黙に耐え兼ねて、とうとうエイトは大声で愛しいその名を叫んでいた。その途端、歪な咀嚼音がぴたりと止まる。完全なる沈黙に、空間に冷気が走り抜けたような錯覚を覚える。

「エイトくん……明かり点けんで! 覚悟しときやっ!」

「私の後ろへ! 早くっ!」

 イースの手から眩い光が二本、左右の壁に向かって放たれる。その光はまるで壁を這うように進んでいき、その途中に設置してある魔石に魔力を次々と燈していく。魔力を注がれた魔石が、淡い青色に輝き始める。

 闇を纏ったような青に空間が照らされる。エイトはその青き闇の中に、愛しい彼女の身体を認めた。

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