10「特務部隊」(1)


 エイトは扉の前で何度目かの深呼吸を行った。エイトは今、おそらく特務部隊の所属であろう男、イースの部屋の前にいる。

 この邸宅の使用人達は皆、それぞれに個室を与えられているらしい。エイト達のように身内――という設定だ――の場合はその限りではないらしいが、そもそもが使用人に与えるにしても広い部屋だ。人数が増えた場合でも、寝具を運び込むだけで問題は解決してしまう。

 イースのあの口ぶりならばおそらく、この扉の向こうは一人部屋か、もしくは――特務部隊達の前線基地というところだろうか。

 デザートローズの情報網を持ってしても、この邸宅の中にまで侵入しているであろう悪意の数はわからない。最低でも一人、最大ならば……いったいどれくらいが入り込むのだろうか。エイトにはいくら考えてもわからなかった。

 コンコンコンと、努めて軽く聞こえるように意識しながらノックをすると、使用人のための部屋にしては過度な装飾のなされた扉の向こうから、「どうぞ」と短い返事が聞こえた。

 その声には答えずに、エイトは扉を押し開ける。自分達に宛がわれたものとなんら変わらない内装が目に入ってきて、その景色の奥にイースの姿を捉えた。

「こんなカッコやと刺激的やった? 立ち話もなんやし、はよ入りや。さっさと扉閉めて、そこ座りい」

 彼は風呂上りの鍛錬の途中だったようで、上裸だった。鍛え抜かれた筋肉は、その肌の白さのせいかどこか芸術作品を思わせる。脳裏に老人の若かりし頃の想像が過ぎり、慌ててその考えを掻き消すように扉を強めに閉めた。

 エイトのその仕草をどう捉えたのか、イースはニヤリと悪い笑みを浮かべる。こんな時間なのにまだ黒のスラックスを履いているのは、特務部隊の“カラー”を落とし込んだ制服だからだろう。使用人の服装は支給品のため、昼間にこの姿を見ることは出来ない。昼の姿と、夜の姿。まるで表の顔と、裏の顔のようで。内心カッコいいなんて思ってしまったのは、内緒だ。

「その恰好……やっぱり特務部隊なんだな」

 勧められた椅子に腰掛けながら、エイトはイースのスラックスを指差しながら言った。エドワード曰く特務部隊の制服は、基本的には黒のジャケットに白のシャツ。そして男ならば下は黒のスラックス。女はその限りではないが、それでも部隊のカラーは守らなければならない。ちなみにある程度の働きを認められると、シャツ等の私服の着用が認められるらしい。

 闇を体現したようなダークスーツはその耐久性はもちろん、情報迷彩、各種耐性、着心地に関してもトップクラスの特注品で、少数精鋭の部隊の利点として、各々に特注で贈られるらしい。そのため見た目こそありきたりな布切れだが、その制服を纏った時こそ、彼等が特務部隊としての力を最大限に発揮するタイミングだと言える。

「僕らの愛しい漆黒や。似合ってるやろ?」

 白のシャツを着ながら歪に口元を吊り上げ、イースは笑った。イースの言う通りだとエイトも思う。

 その任務の性質上、特務部隊には単体での戦闘能力の他に、敵の懐に入り込む高い技術を求められる。そのため相対的に顔立ちの整った、人を惹き付ける見た目の者達が多いのだ。それはもちろんスタイルもそうだ。男でも女でも、一番油断するその“時”のために、彼等は理想の愛をちらつかせて、獲物の首元に舌を這わせる。

 イースは同性のエイトから見ても、『美しい』という言葉が似合う男だった。すらりと高い長身に、暗さは気になるが人を惹き付ける青の瞳。眩しい金髪に白い肌は、見慣れないという点を考慮しても、まるで天界の使者のように繊細で、彼のいるスペースだけが輝いているかのようだった。

 漆黒に包まれた下半身もしっかりと鍛え上げられており、今は高い位置にあるその腰に、一本の剣が差されていた。柄を見る限りごく普通の軍用の剣にしか見えないが、何か力を宿した魔剣である可能性もある。

「さーて、何から知りたい?」

 先程の返答をエイトはしなかったが、イースは特に気にした様子もなくそう続けた。エイトの心等既にお見通しかのように、“あの”瞳が怪しく光る。瞳の青に掛かるように、四角の紋様が浮かび上がっている。微かな機械音が部屋に響く。

「何なんだよ? その瞳は」

 隠す気もないのか、イースは紋様の浮かんだままの瞳でエイトを見据えてくる。そのまま無言でエイトの目の前まで歩み寄り、目線を合わせるように屈んで、顔を覗き込んでくる。目の前に迫った端正な顔立ちに、エイトは内心どきりとした。四角い枠に囚われるように、青の中にエイトの顔が写り込む。

「この邸宅には一切の軍用の機器が持ち込めへん。それは記録媒体然り、武器弾薬の類然り。やけど、この邸宅の闇を暴くには、人の曖昧な証言やとちと弱い。そこで特務部隊の組んだ作戦は、『人の目に偽装した記録媒体で邸宅内の証拠を押さえる』ってわけや。どや? 単純やろ」

「……」

 予想通りの作戦内容だったので、エイトは作戦内容では驚かなかった。そう、作戦内容では。

「……その目は……どうしたんだよ? まさか昔から義眼だか、盲目だった、とかじゃ……ねえだろ?」

「エイトくんは鋭いなぁ」

 イースの口元が更に歪む。しかしその形は嘲笑というよりは、酷く哀しいものだった。薄い唇から覘く犬歯が、彼の狂気――というよりは彼の所属する組織の狂気の体現のように感じる。彼の目は、きっと――見えていたに違いない。

「この目は視界の情報を全て記録する記録媒体や。映像を信号化して頭に直接流し込んでるから、『目が見えてるか?』っていう質問には『見えてる』って答えれるんやけど、記録媒体のコード、脳に直接ぶっ刺してるから、この機械取り外したらもう見えんくなるねんなぁ」

「そんなっ……この任務が終わったら、お前はどうなるんだよ!?」

 そう笑って言ってのけたイースの胸ぐらを、思わずエイトは掴んでいた。

 エイトには信じられなかった。たった一つの任務のためだけに、健常な視力を当然のように犠牲にする特務部隊の決定も、それに当然のように従うイースの態度も。

 掴んだ手が震えている。エイト自身の手が震えているのに、イースの身体はびくともしない。掴み上げたせいでボタンが取れたのか、白いシャツから胸元が目に入った。砂漠では珍しい白い肌が、エイトの脳を刺激する。自身とは異なるその色合いに、どくりと熱いものが滾り、そしてごくりと喉が鳴った。鍛え上げられたその身体からは、強い血の匂いが放たれている。

 目の前で四角の紋様が揺れる。見せつけられるようにその瞳がどんどん大きくなって――閉じられたと同時に、キスを落とされていた。

「っ!?」

 反論の言葉を紡ごうと開いた口は、強引に閉ざされる。廊下にまで響いているんじゃないかと思えるぐらい卑猥な音が響いて、エイトは胸ぐらを掴む手に力を込めるが、その腕をイースがぐっと握った。見た目とは裏腹に恐ろしいまでに力が強い。一瞬で掴まれた部分がギリギリと痛み、じんわりと熱を持ち始める。このまま放置すれば骨を折られると、エイトは仕方なく手から力を抜く。

 エイトに反抗の意思がなくなったことがわかったのか、イースはやっと唇を離す。相変わらず歪に笑ったまま、しかしその腕は離さないまま、冷徹な“四角い”瞳でエイトを見下している。しかしどこかその表情は満足げで。

「任務が終われば記録媒体取られて、盲目の構成員になるだけや。またこういった潜入の任務に就くか、もしかしたら魔力だけ差し出すための贄にされるかもしれん。でも、ええねん。僕にはこれくらいしか出来んからな」

「なんでだよ!? お前、死にてえわけじゃねえんだろ!? そんな使い捨てみたいな使われ方して、良いのかよ!?」

 廊下の外なんてもう、どうでも良かった。キスをもう二回もされたが、それもこの際良い。それよりも、だ。

 エイトはイースのその言葉に、笑みに、絶望を感じ取っていた。その絶望はほんの数日前の自分自身と見事に重なって、エイトに彼の生への望みを叫ばせていた。自分の力が及ばないために、遥か上の決定に自らの全てを決めつけられた。その決定を善しとしないため、エイトは今、ここにいるのだ。

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