10「特務部隊」(2)


 絶望から一転、エイトには希望が見えていた。そしてイースの心の奥底にも、微かな希望を感じ取っていた。人間離れしたエイトの嗅覚が、その心を嗅ぎ取っていた。

「エイトくんはほんまに、エエ子やな」

 酷く優しい口調でエイトの頭が撫でられた。腕を握っていた手がいつしか頭に移動していて、その大きな手に短い茶髪をガシガシと撫でられている。まるで子供やペットにやるような仕草だが、何故かそれが心地良かった。

 それは目の前の顔が優しく微笑んでいたからか。それとも造り物だとわかっているその瞳<記録媒体>から、一筋の雫が零れたからか。

「逃げちまえよ……」

 この男と出会って、初めて『人間の感情』を感じた。だからこそエイトは彼にそう勧めた。これから起こるであろう混乱に乗じれば、きっとこの男なら上手く逃げおおせる。

「それはエイトくんがこの邸宅の秘密をぶち壊すつもりってことやろ? それやったら、却下や」

 雑談の続きのように、イースはそう言って笑う。しかしそれも先程までの悪意のある笑みではない。相変わらず四角の紋様は浮かんだままだが、その瞳は信念を宿している。

「特務部隊の仕事が、そんなに大事なのか?」

「この仕事がって言うより、憧れてる先輩がおってなー。その人らのためにもこの任務は成功させたいんやわ」

「先輩って、特務部隊?」

「そりゃそうや。この髪の毛、染めてるんやけどな、その憧れの先輩の恰好真似してんねん」

「へー?」

 途端にキラキラした表情で話し始めたイースの変わり身の早さに唖然としながら、それでもエイトなりに彼の気持ちには共感する部分があった。

――憧れている相手は他の人には話せない。そりゃ、話せる相手が見つかったらいっぱい話したくなるよなぁ。

 エイトだって他国の軍人ということでエドワードのことは他者に話すことは出来ない。だが、彼がどれだけ凄くてカッコいいのか、それを話しても良いのなら、きっと今のイースのように目を輝かせて捲し立てているだろう。

 特務部隊は全国各地に支部があるが、その任務の性質上、どこにどんな人間がいるかは他言することが出来ない。高い能力を持った人間達の噂話が流れてくるのは仕方がないが、どの支部にいる誰誰が、といった話題は基本的には同じ軍人相手にも話せないのだ。

「ほんま、とんでもない男前でな。カッコええから真似してみたんやけど、色素が僕より薄いからなかなか再現出来んねんなぁ」

 イースの憧れの人の話を聞きながら、エイトは彼の瞳の四角をただ見詰めていた。

 その四角は、確かに言われてみればデジタル表記のような揺れを伴っていた。彼の説明通りならば、今この瞬間の映像も、残らず記録されていることになる。これは益々エドワードのことは話せない。

 エイトの思惑に気付いたのか、イースがにこっと笑う。そして手をひいて椅子から立たせる。されるがままに立ち上がったところで、彼の視線が気になってエイトは問い掛ける。

「? どうしたんだよ?」

 そのエイトの問いには答えず、彼はエイトを窓際の自身に宛がわれたベッドに誘導し、そのまま押し倒した。エイトが目を見開いたまま固まっていると、正面に膝立ちになったイースが口を開く。

「ごめんな。この任務終わったらもう見えんって、わかってたことやのに……エイトくんに改めて言われたら怖なってしもて……だから見えんくなる前に、エイトくんのこと目に……いや、脳に焼き付けとこかと思って」

 そんな哀しそうな顔で言うのは反則だとエイトは思った。だが素直にうんと頷いてやることも出来ない。イースの手が先程から怪しく腰の辺りを這い回っている。どくりと神経を刺激する巧みな動きにいちいち反応し、それを無機質な熱のこもった四角に写し取られていく。

 四角の枠に収まったエイトの体躯は、服の上からでもわかる程にほんのりと色付いている。風呂上りの熱がまるで、まだ逃げてきれていないかのように。

「えっろ。ついこの間まで学生さんやったんやろ? 彼氏とかおった? 男の僕にこんなんされても逃げへんってことは、自覚なり経験なりあるんやんな?」

「っ!」

 この数日、いろいろなことがありすぎて失念していたが、確かに今の自分の反応はまずいとエイトも思った。自覚した。普通の男子なら男にこんな――キスの段階からそうだけど――ことをされたら、悲鳴を上げて逃げ出すに決まっている。

 固まってしまった唇の上を、ざらりと舌先が舐めていく。その間ずっと、四角に収められたまま、エイトはその無機質な瞳から目が離せないでいた。まるでエイトの全てを写し取ろうとするかのようなその瞳が、酷く寂しげに見えたから。

「経験っ、なんて……ねーよっ」

 声が甘く跳ねるのが腹立たしい。下半身に伸びた腕を手で掴んでも、もともとの筋力が違うために動きを抑制することが出来ない。そもそもこんな体勢で相手の動きをホールドすること等出来るはずもなく。

「そうなん? てっきりあるんかと思ったわ。僕、基本的には男の方が好きなんやけど、なかなか趣向が合う相手おらんから、エイトくんと仲良くなれて嬉しいわぁ」

 情熱的なキスを落とされながら、脳裏を焼かれるような甘い言葉を囁かれる。瞳は映し込まれたまま。寂しげに、泣き出しそうな瞳に映る。

「オレはっ、好きな相手としか、しねー」

 エイトがそう言って睨むと、予想に反してイースの目が逸らされた。エイトの眼力に怯んだことはないだろう。睨むと言っても弱弱しいものであったということは自覚している。そのあまりの弱弱しさに、まるで誘っているかのように取られてもおかしくない程だった。

 目は口程に物を言う。そういうことわざがあったか。イースの目は語っていた。『好きな相手』という言葉に反応していた。

「……」

 その四角に縁どられた無機質な瞳が、気まずそうに揺れた。機械的な揺らぎのせいでわかりにくいが、とても素直な瞳だと思える。

「……好きな人、さっき言ってた人?」

「……そうや」

 観念したようにイースの身体がエイトから離れる。完全に離れるわけではなく、馬乗りの体勢から解放されただけだが。イースは身体をエイトの隣にぼふんと沈める。使用人に宛がうには広すぎる室内だ。そこに運び込まれるベッドもまた、過ぎるサイズなのは仕方がない。男二人で寝てもまだ余裕がある。

「……好きだから、真似してるのか?」

「そこ、聞くん? けっこう僕、歪んでんで?」

 乗り掛かった船だと頷くと、イースは力なく笑った。その口が「僕、めっちゃカッコ悪いで」と先に断りを入れた。

「最初に気になったんは南部出身の先輩でな。この街にもたまに顔出してくれるから、あの人が来る度に相手してもらっててんけど、あの人いっつも『僕のリーダーが男前過ぎでー』って言ってて。最初はやっかみやったんやけど、初めてその“リーダー”の姿見た時には……」

「そんなに男前なのか?」

「ほんまに、芸術作品かなって思ったわ。それまで『僕』って呼び方真似するくらいあの人にお熱やったのに、一目見ただけでリーダーのことも、どっちも大好きになってもうた」

「好きな人が二人……」

 エイトの沈黙をどう解釈したのか、イースは小さく笑って言った。

「どっちかわからん時ってのはじっくり悩んだらええって、僕はその憧れの人に教えてもらったけど。あの人からしたら僕は、そんな対象でもないんやろうなって」

 そう言って「ほらな、カッコ悪いやろ?」とまた笑った。エイトはそんなイースに首を振る。

「なんとなく、オレもわかる。オレもきっと、同列には出来ない立ち位置で、二人のことが好きだから」

 命に代えても守りたい彼女に、心を掴まれた老人。もやもやしていた自分の心が、イース――いや、彼の憧れの人か――の言葉によって楽になった。二人のことが『好き』でも良いのだと。悩んでも、良いのだと。そして隣のイースもまた、同じように悩んでいるのだとわかって嬉しかった。

 愛おしい存在とは違い、イースのことは大切にしたいと思った。例えるならば友達のような、仲間のような、そんな感じ。今までまともに同性の友達が出来たことがないエイトだが、この感情はなんとなくそういうものではないかと思う。

「エイトくん、ほんまに可愛いなぁ。とりあえず僕はもう憧れの人らには失恋確定やし、ほんまに……僕のモンにならん?」

「オレは、イースのものにはなれない。悪ぃな」

「ええって。冗談やし」

 当たり前のようにそう言って笑い、イースはエイトの頭を撫でてくれる。先程まで感じていた情欲とは違う。まるで兄弟のようなその暖かさに、エイトも素直にその手を受け入れる。

「とりあえず、もう今夜は帰りぃ。これ以上一緒にいたらさすがに優しい僕でも我慢出来んわ。明日からはまた『使用人同士』やから、昼間はあんま話しかけんなや? 僕はエイトくんのこと気に入ったから任務に巻き込むつもりもないし、大人しく知らんふりしといてくれたら勝手にこの邸宅が没落するだけやし。他はどうでもええからエイトくんも何か企んでるなら、僕の邪魔せんように勝手にやりやぁ」

 最後にしっかり釘を刺されてしまい、今度はエイトが渇いた笑いを零す番だった。えらくぺらぺらと任務内容を話すと思っていたが、エイトのことを単純に気に入ったからだけではなかったらしい。

 イースは、エイトが何かの目的のために侵入してきたことをわかっていたのだ。そのため敢えて自身の任務内容を話し、『手を出すな』と警告している。その代わり、その警告を守るなら身の安全は保障すると言っているのだ。

「おやすみエイトくん。最後に言っとくけど、エイトくんのこと気に入ったんはほんまやからな」

 頷き、部屋の扉へと向かうエイトに向かって、イースはそう言って笑った。自然な動きで扉を開けながら、エイトの額にイースはおやすみのキスを落とすのだった。

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