9「夜の出会い」(2)


 取り繕うことは止めた。この見下すような鋭い瞳の前では、小手先の演技等全て見破られてしまうだろう。しかしそれはエイトにとってもだった。

 エイトもイースの小さな嘘を見抜いていた。彼はきっと、本来の目的で雇われた使用人等ではない。

「お前……脱衣所に入って来た時から思とったけど、ほんまに嫌な目つきしとんなぁ」

 予想に反してイースはそう言って笑った。その笑みに悪意以上の感情を見つけて、エイトは彼から目を離せなくなる。その美しい闇を湛えた青が、エイトに近づき、そして――

 まるで確かめるかのようなキスだった。ついばむように落とされるキス。肩を、背中を、そして腰から太ももに、撫でるように下ろされる白き手には、所々に傷が入っている。幾多の戦場を経験しなければ、こんな傷はつかないだろう。

「お前みたいな嫌な目、嫌いやないで」

 耳元で囁かれたその声に、エイトはようやく身体の自由を思い出す。

「……っ」

 突き飛ばすようにイースの身体を撥ね退けると、エイトは頭から吹き飛ばされかけた疑問を口に出した。

「あんた、軍人だな? 特務部隊か?」

 男に身体をまさぐられる経験は、残念ながら初めてではない。甘い甘いあの空間で、クソジジイにエイトは言われた。『貴方は男に好かれるヒトのようだ』と。まるで誉め言葉のように、頭を優しく撫でられながら、そう甘く口づけを落とされた。

 心の狼狽は、あの人のためのもので。この胸の高鳴りは、今許されるものではない。

 心のさざ波を静めながら、エイトはイースに問い掛ける。彼の鍛え抜かれた筋肉は、正しく軍人のそれ。砂漠の民には珍しいその白い肌には、数多の血が染み込んだ匂いが付き纏う。綺麗に手入れされたその指先が、エイトの首元にかかる。

「……可愛いガキの口から聞くには、随分アレな単語が出たなぁ? 僕のこと、誰から聞いたん?」

 指先に力が入り、エイトの首に不自然な圧力が掛かる。指先だけの力なのに、エイトの全身を拘束したかのようなプレッシャーを感じる。触れているのは右手の指先だけ、刺されるような視線は青く、しかしその中心からあの機械音が響いている。

「その目……義眼か?」

 イースの瞳の中心に、不自然な四角い輪郭が映されていた。そこから微かに機械音のようなものが聞こえる。青の中にエイトの赤が混じり込む。

「僕の質問に答えたら教えたるわ。誰から聞いた? 旦那さんか? それとも、外の……デザキアの軍か?」

「……どちらも違う。オレは誰にもあんたのことは聞いてねぇ」

「ならなんで、僕のこと軍人ってわかったん? それによりにもよって、陸軍やのおて特務部隊やなんて」

「あんたからはすげえ血の匂いがしたんだよ。街歩いてる巡回の陸軍からは嗅がないくらいの匂いで、鼻が曲がりそうだ」

「……はーん、なるほどねー……お前、勘の鋭い悪ガキって奴やな」

 そこでようやくイースは、エイトの首筋から指を離した。シャワールームは防音仕様らしく、二人の声は大理石に吸い込まれるようにして消えていく。外部に漏れる心配はない。

「僕、お前のこと気に入ったわ。特別に教えたる。でもさすがに……場所移すか。シャワー浴びたら僕の部屋においで。ほんまに、なんでも教えたるわ」

 扉の向こうの脱衣所の扉が開いた気配がした。人の気配に敏感なのは、エイトだけではないらしい。イースはそう言ってまた人懐っこい笑みを浮かべると、エイトの肩を意味ありげに叩いてから、ガラスの扉を押し開けた。








「それで? エイトさんはこれからその、イースさんの部屋に行くのですかな?」

 部屋に戻ったエイトの様子がおかしいこと等、エドワードにはものの数分で視抜かれた。心配そうに声を掛けられて、誘われるままにベッドに並んで座り、頭を撫でられながら瞳を覗き込まれる。

 漆黒の瞳に捕まってしまっては、そこに真実以外あってはいけない。心の熱を掴み取られたエイトには、もうこの老人に抵抗する術など残されていないのだ。

「あ、ああ。多分あいつ、特務部隊だ。シャワー浴びてる最中も、すげえ血の匂いがしたし……」

「……一緒に浴びたのですか?」

 ぴくりと眉を動かした老人に、エイトはぶんぶんと頭を振って否定する。頬に熱が一気に集まり、いらないタイミングで狼狽してしまう。

「ち、違う! あいつが先に浴びてて、ちょうど鉢合わせたんだよ!」

「エイトさん? シー、ですぞ」

 狼狽えるエイトを後目に、エドワードは悪戯気に自身の口元に人差し指を当ててそう言う。そしてその指先は自然と外れて、エイトの顎へと添えられる。漆黒の瞳は細められたまま。咎めるように、疑うように。

「っ……ほんとに、一緒に浴びたりは……してねーよ」

「それでは、何をされたんですか?」

 口元をいやらしく歪めながら、エドワードは意地悪に聞いてくる。この目は多分、わかってやっている。エイトがどこで誰とどんな話をしていたかなんて、この老人には筒抜けな気がしてならない。

「き、キス……された……」

「ほぉ……それはそれは」

 てっきりまた口づけを落とされるかと身構えていたエイトだったが、老人はそのまま身体を離し立ち上がると、テーブルに置いたままにしていた自身の鞄に手を入れる。

 ごそごそと鞄をあさり中から小型の弾丸を取り出したエドワードは、それをエイトに差し出した。

「これは?」

「これは私の魔力が詰まった銃弾にございます。何かあった時にはこれが、エイトさんの助けとなるでしょう。お守り代わりにどうぞ」

 エイトは学生時代に格闘術を教えてくれた軍人が言っていたことを思い出しながら、素直にその“お守り”を受け取った。南部の軍人の習わしで、お守りとして一つの銃弾を渡すというものがあるらしいのだ。

「ありがとう」

「素直でよろしい。おそらくそのイースという者は、特務部隊で間違いないでしょう。彼等が今この街で、事を起こすとは思えませんが、警戒しておくに越したことはありません。何か引き出せそうならお願いしましょうか。私のことはどうか内密に」

「わかってるよ」

 そう頷いてエイトも立ち上がる。扉に向かおうとしたエイトを、エドワードが後ろから抱き締めた。その行為に言葉以上の心配を感じて、エイトは振り返りながらその乾いた頬に軽くキスをしてやる。珍しく驚いた顔をしたエドワードに向かって笑顔を送り、「大丈夫だっての。ジジイもたまにはよく寝とけよ」と言って扉を抜けた。

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