2「ライラ・ティッカと英雄の地」

第7話

 大陸エリンは四つの地方に分けられる。北のウラド、西のコナハト、南のムム、東のラギン。この名は神代よりも後、されど戦乱の時代の前にあったと言われる大国の名に由来しており、それぞれの地方に王都を構えていたらしい。


 現在北方に移動中。目的地はウラド地方にある町アーマーだ。

 荷車を馬のような生き物コッコに牽かせ、次第に冷たくなる空気に身を縮めながらティッカさんに話を聞いている。観光でもしているような気分になるほどわかりやすく、面白く、知識量と話し方は流石バルドといったところだ。


「でも、大国はもう一つあったと言われているの。エリンを統べる上王が支配したと言われる伝説の国ミーズ」

「伝説、ですか?」

「ええ。他の四か国は王都のあった場所もわかっているし、遺跡も少しは残っているの。だから歴史としての詩もいくつかあるわ。でもミーズは歴史としての詩が一つもないの。あっても曖昧な伝承だけ」


 まったく嫌になるわ、と御者席に座っているティッカさんは肩をすくめる。


「なぜですか?」

「『涙の大釜』の舞台となった王都、言及はされていないけど私はミーズの王都がそうなんじゃないかと考えているわ」

「そういえば、ティッカさんの考えをまだ聞いていなかったですね」

「忙しかったからね、私が」

「ですね。せっかくですし、今わかっていることとか教えていただいてもいいですか?」

「そうね。やることもないし、丁度いいわね」

「では、倉見さんを起こしますね。……あら、起きていたんですか」


 ティッカさんの隣に座っていた羽白は、振り向くとそう零した。


「寝ているのかと思いました」

「起きてたよ」

「でしたら会話に参加してくださいよ」

「聞いてたんだから、一応参加はしてたよ」

「もう、そういうことではなくてですね」


 眉をひそめる羽白に対し、ティッカさんは笑いながら言う。


「クラミ―とカサネは本当に仲がいいのね。本当にお似合いだわ」

「ありがとうございます」


 ティッカさんには俺と羽白が男女の関係であると言ってある、羽白が。まあ初対面の時に腕を絡めている様子を見せてしまったのだ、仕方ない。俺は正直に言おうとしたのだが、羽白はそれを拒否した。そこは甘酸っぱい感情などなく、ただ変に思われてしまうから。飛ぶことを前提とした街づくりがされるほど飛行が出来て当たりまえなのに、それができないと変に思われる。


 まあ、もしかしたら飛べない妖精もいるかもしれないが、俺もなんとか飛べるようになったし、なにかと都合がいいのは確かだ。二人だけで話したいと言う時にもその都度に理由を考える必要もないし、ティッカさんも気を使ってくれるだろう。


「でももういいかしら、話の続きをして」


 羽白はそれらしく顔をほんのりと赤くし頷いた。俺はそれを白けた目で見ているのだが、本当にこれで恋人同士に見えるのだろうか。

 それにしても、ナバンからすでに四日だが、羽白はティッカさんと随分親しくなったものだ。


「と言っても、わかってることなんてほぼないけどね」


 今度は言葉に滲ませた。


「歴史として認められてないものを認めさせるのってやっぱり大変なのよ。だって、認められてない理由って、それだけ証拠になる話も物もないからだし……」


 それはそうだろう。確かに未知を既知にするというのは難しいものがある。既知を広げるのではなく、未知を探る。辿り着くべきゴールを探し、行くべき方向を決め、しかしそれが正しいのかどうかもわからない。なんて無茶なことなのだろうかと思わなくもないけど、そんな無謀も主人公の運命というものだ。


「ああ、ごめん。愚痴になっちゃった」

「いえ、大変なことは重々承知してますから」

「……で、わかっていることは『涙の大釜』に出てくることだけなの。でも間違っているかもしれないから、何か気がかりになることがあれば遠慮なく指摘してね。予想もかなり混じっているから。もちろんカサネだけじゃなくてクラミ―もだよ」

「わかりました」「了解です」


 名指しされてしまった。

 一つ目、と指を立てるティッカさん。指、細いし長くて綺麗だな。


「一連の出来事の流れの中心となるのは一人の女の子だということ」

「そうですね。そこは間違いないでしょう」

「そうか? どちらかと言うと巻き込まれた感がある気もするが」

「確かにそうですが、女の子が中心になっていることに間違いはなくないですか」

「いや、そういうことじゃなくてだな」


 これはそう、意思の問題なのだ。


「女の子が望んで出来事が起きたのか、それとも出来事があって女の子が関わることになったのかということだよ。能動的なのか受動的なのか。まあわかるかは知らんが、割と重要なことではあるだろう」


 人が関わる以上、そこには必ず意思がある。望んで起きないことがあれば、望んでいなくても起こることもある。ただ一つ言えるのは、それよって事が起きた理由なんていくらでも変わるとことだ。行動と結果を結び付けるのが理由だ。合っている合っていないはさておいて、考えないわけにはいかないだろう。


「クラミ―の言う通りね。頭に入れておきましょう」

「ですね。さすがですよ、倉見さん」


 小まめ振り返るな羽白。前を見ていろ。


「二つ目。この出来事があったのは四大国時代と言われる時代ということ。そう思う理由は簡単ね。王国という支配体制があったのがその時代までだからよ」

「そうなんですか?」

「そうなのよ。神代、支配したのは彼の地より舞い降りた神々。神々は私たち妖精に様々な恩恵を与えたわ。次が四大国時代。神がこの地を去ったエリンの地には様々な都市国家があったのだけど、次第にまとまっていって、最終的には四つの王国ができたの」

「北のウラド、西のコナハト、南のムム、東のラギンですね」

「ええ。でもその大国も戦乱によって崩壊し、訪れたのが暗黒時代。都市国家とまではいかない規模で、でもそれなりの大きさの共同体がエリンの地に無数に生まれたの。少ない資源を奪い合って、戦いが日常という時代になっていったわ。神代からあっただろう遺跡も数多く崩壊したの。困ったものよ」

「暗黒時代はどうなったのですか?」

「この状態はよくないと考えたかつてのドルイドたちが戦いを治めたわ。ドルイドたちが町単位での管理をしたのよ。暗黒時代でもドルイドの権威は落ちるどころか上がったらしいし、誰もが望まぬ戦いの救いを求めたいたのね」


 それで現在のドルイドによる神殿支配の体制なのか。ドルイド大活躍だな。


「バルドはどうだったのですか?」

「バルドがそれを真だと言えば、それは真になる。その正当性を手に入れようとする勢力と阻止しようとする勢力の間で、多くのバルドが死したそうよ。早い段階で身を潜めた者もいたそうだけど、失われた詩の多かったと聞いているわ」


 本当に愚かなことだ。価値ある遺産や物語を自らの手によって失わせてしまうとは。しかし同時に、それも物語であるということは忘れてはいけない。個人的には好きになれないが。そういうのが好きな人格破綻者がいると羽白に聞いたことがある気がする。


「で、今話したからわかったと思うけど、王都と呼ばれる場所が存在したのは四大国時代だけになるの」

「なるほど。ですが、ライラさんは先ほど伝説の大国が、と言っていませんでしたか?」

「そう、伝説の大国ミーズ。四大国時代にあったのではないかと言われている幻の五ヶ国目よ。さっきも言ったけど、私は話に出てくる王都はミーズの王都なんじゃないかと考えているわ」


 どうしてですか? そんな羽白の相槌は、相手が気持ちよく話せるように促す魔力みたいなものがある。


 主に話しているのはティッカさんなのだが、会話の主導権事態は羽白が握っているような感じだ。羽白の聞きたいことに答えてもらう。たったそれだけで、会話をあるべき方へ誘導している。天然か意図的かはわからないが、羽白はそれを自覚している素振りを見せることがある。主に俺と話す時に。文句の言える立場ではないのだが。


「理由って言っても曖昧なものなんだけどね。……ミーズと『涙の大釜』って結構似ていると思うのよね」

「似ている、ですか?」

「ミーズってなんで伝説のって言われているのかと言うと、場所がわからないのと、痕跡がまるでないからなんだよね。でも四大国時代の詩にミーズって言葉があってね。実在したことの証明はできなし、伝説として語るには詩がなくて、あったらしいってね。わかっているのは上王と呼ばれる存在がいたことだけ」


 一拍おいて話は続く。


「『涙の大釜』に関してはわからないことだらけだけど、四大国時代だということ、どの王都なのかわからない、つまり場所がわからないこと、それに現在に残っていないこと。同じ時代でどちらも場所がわからないのよ。結び付けて考えるのは変かしら」

「いえ。倉見さんはどうですか?」

「特にない」


 まあ、いくつか気がかりな点もある。例えば、一口に四大国時代と言っても、『涙の大釜』と大国ミーズが同じか近い年の出来事であるのか。四大国時代とやらがどのくらいの長さだったのかは分からないからなんとも言えないが、短ければ可能性は高いだろうし、反対に長ければ疑いを向けざるを得ない。ただ、それを知り得るかどうかには期待しないほうがいいだろう。


 ティッカさんをはじめ、羽白がこのせかいの妖精たちと話しているのを傍で聞いていて気がついたことがある。もしかしたらだが〈年月〉という概念がないのではないか。明日とか昨日とか、数日後とかそういう単語は耳にしたが、何年とかという類のものは聞いた覚えがない。一年二年とかはあるのかもしれないのだが、肝心なのはそこじゃない。問題なのは、過去について述べる時、ティッカさんは具体的な数字を一切出していないことだ。


 おそらくだが、過去に対する距離の測り方がほとんどないのだろう。口伝で受け継いで来たということは、いくつものの詩の起こりは過去に存在した今。今のことなのだ。それがいつなのかは触れる必要がない。

 時代と言う便宜的な呼称はあったが、それは年月に由来しているわけでも結び付けているわけでもなく、ただ出来事とか支配体制に由来し結び付けているものだ。距離を測ることが念頭にないのだから、何百年とか何千年とわかるわけがないのだ。


「倉見さん、聞いてますか?」

「あ、いや、悪い。ぼーっとしてた」

「もう……。町が見えて来たので、話の続きは宿でということになりました」

「ああ」


 顔を覗き込んできていた羽白は俺の肩を叩き、


「見てください」


 雨を防ぐための屋根で影となっている荷台から、羽白とティッカさんの向こう側を覗く。豊かな緑の草原のなかに人工的に積み上げられた石の壁が見えた。


「あれがアーマーだそうです!」

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