14.「いつかの来世で」


 どうせ地味な自分をからかっているだけだろう。そう思っていたリンネの目が丸くなるのは必然だった。チャットアプリで連絡していた通り、待ち合わせである東京駅の改札前に彼は現れた。大きなリュックサックをしょった彼がブンブンと大きく手を振り、「羽村さん」と快活な笑顔を見せる。「マジで来たんですね」。リンネがそう言うと、「えっ? いやそりゃ、来るでしょ」彼はきょとんと不思議そうな顔を浮かべていた。


 リンネと彼の奇妙な紀行は、以後も続いた。「次はどこへ行かれるんですか?」。彼がチャットアプリを使ってリンネに問い、「次は金沢の方に行ってみようかと思います」。リンネは律儀に応答する。「いいですね! のどぐろ食べましょう!」。のん気な彼がそんなコトを宣い、「いや、遊びにいくワケじゃないですからね」、呆れたリンネが辟易を返す。「あ、そうですよね、俺、また調子に乗っちゃって」。素直な彼が素直に謝り、「まぁでも、せっかくだしのどぐろは食べましょうか」、リンネはクスッと、人知れず笑みをこぼした。


 何度目かの紀行を経て、彼らは恋仲の関係になった。岩手へ出向いた帰りの東京駅で、彼がリンネに告白した。一目惚れだったと打ち明けた。「俺、子供の頃に実家に置いてあった日本人形が好きで、男のくせによくそれで遊んでいたんですけど、羽村さん、その人形に雰囲気が似ていたから」。なんだよその理由、リンネはふにゃりと全身から力が抜け落ちる感覚を覚え、だがあまりにも素直な彼の性格に惹かれ始めていた事実も否定できなかった。



 彼らは結婚して、子を授かった。当時大学生だった彼も立派な勤め人になり、喫茶店のバイトを辞めたリンネは育児家事に専念するようになった。天狗探しに勢を出す時間を捻出するのも難しくなり、彼女の記憶からは藍色の着流し姿が次第に薄くなっていった。


 うだるような暑い夏、郊外にある1LDKの集合住宅でリンネは洗濯物の外干しに勤しんでいた。「ママ―、ママー」。今年三つになる我が子が自分を呼ぶ声が聴こえる。「なにー?」、杓子定規に声を返した彼女はふぅっと一息ついたのち、ベランダ用のサンダルを脱ぎ捨ててリビングへと足を運んだ。皺ひとつない丸い肌は赤みを帯びており、どこか新芽のような生命力を感じさせる。我が子の、あまりにも小さなその掌にはどうしてか一枚の葉っぱが握られており、昨日公園に遊びに行ったときにでも拾ったのかな、リンネはその事実を深く疑問視するコトはなかった。「ママー、見て見てー」。


 我が子が右手をゆったりと上下運動させると、小さなつむじ風が屋内に舞う。

 リンネは唖然とした。我が子を眺める彼女の顔から表情から、一切の色が失われた。


 現実世界がぐにゃりと歪み、一瞬だけ自意識と世界が繋がるような感覚。リンネはその心地に覚えがあった。その瞬間、彼女の脳内に数多の情景がなだれこむ。あらゆる記憶が、彼女の視界を支配していた。愛を与え、また愛を与えられる幾千の物語。身をていして野盗から一人の女性を守る和服姿の男の姿が、ずぶ濡れの野良犬に手を差し伸べる女性の姿が、セーラー服の女子高生を抱きかかえながら夜空舞う天狗の姿が、一筋の光となって繋がった。そうか、そういうコトだったのか。吉祥寺の神社の境内、別れ際に言っていた天狗の言葉。彼の遺書のなかで、前世の自分が言っていた言葉。リンネは、それらを本当の意味で理解した。


 私たちは、生きる意味を、人生を、与え合っていたんだ。今世のあなたに愛を与えるコトによって、そして、来世の自分が愛を受け取るコトによって。

 そうやって、私たちの魂は、紡がれていくのだと。


「ママー?」


 我に返ったリンネの視界に、あどけなく、不思議そうな表情でまじまじと自分を見つめる我が子の顔が映る。リンネは幾ばくかぼうっと、どこか虚ろな表情を見せていたが、やがて頬をたゆませ、目を細め、彼女もまた彼の顔をまじまじと見つめた。


「あなたのコト、一生をかけて愛し続けるからね。それが、今世の私の役目だから」


 しゃがみこんだリンネは我が子を抱きかかえ、そっと頭を撫でやった。

 優しく優しく、指先の一つ一つに感じる体温を、大切に想いながら。



 羽村倫音と藍色の天狗が出会ってから、半世紀以上の時が流れた。リンネは年老い、相応に病を患う。彼女の先が長くない事実が、彼女の夫と我が子に医者から告げられ、何より彼女自身も勘付いている節があった。リンネが自宅で倒れ、入院生活が始まって一か月ほど経過しており、彼女は自身の生命力の脈打つ様が次第に弱まっていくのを感じていた。


 病院の敷地内に設えられた屋外の広場、春になりきれていない三月はまだまだ肌寒く、木造のベンチに佇むリンネ以外に人影は見当たらなかった。彼女は人生を反芻させる。彼女の人生には幾多のつまづきがあり、幾多の葛藤があり、幾多の過ちがあった。だが、とある邂逅を経てからの彼女が、人生を絶望することは決してなかった。彼女は自身が生きる意味を理解していたから。彼女は、彼女なりのやり方で我が子を愛し続けた。我が子は一丁前の大人になり、一丁前に家庭を築き、立派な一つの人生を構築できている。今世の私の役目は、なんとか果たせたのかな、彼女は自分の人生に満足していた。あとは――


 乾いた音が一つ、タンッと静寂のさ中に響いて。リンネの目の前で亜麻色の巻き毛がたゆみ、烏羽色のローブを纏った一人の少女が颯爽と現れた。


「お久しぶりですね、リンネさん。一応自己紹介でもしやがりますが、アタシは死神です。あなたはあと二十四時間の命です。アタシはあなたの死を見届けにきました。運命には逆らえません。異論は受け付けません。残念無念」


 木々がざわめき、葉の鳴る音がリンネの耳の奥でよく響く。彼女は「そうですか」と、柔らかく呟いた。


「死神さん、死ぬ前に一つだけ、お願いがあるのだけど」


 リンネがそう言い、死神がおどけたように肩をすくめる。「一応聞きますけど、なんですか?」。気だるそうなトーンで、彼女が声を返した。


「私が死んだあと、どの時代の私でもいい、いつかの来世で、あの人に巡り合わせて欲しい。今度は私が、あの人の愛を受け取る番だから」


 リンネは朗らかな顔つきで、しかし真摯を瞳に込めて死神を見つめていた。対する死神はというと、猫のように丸い目をジトリ湿らせ、斜に構えた体勢でリンネを眺めており、やがてヤレヤレと大仰にタメ息を吐きだす。


「全く、あなた達は、相変わらず死神使いが荒いですね。二人して、一体、何度同じお願いをすれば気が済むのですか」


 だけどもニマリ、彼女は得意げに口角を吊り上げて、凛とした姿勢で藁ぼうきの柄を地面に突き立てる。


「でもまぁ、お安い御用ですよ。なんたってアタシは、死神の皮を被った魔女っ子ですからね。小籠包か、たい焼きで手を打ちましょう」


 ふいに風が吹いた。春になりきれていない三月の風は冷たく、人肌を節操なくなぞっていく。やがて拡散し、粒子となったソレが空気中に漂い、時を経て、柔らかくなったソレが人に春を伝え、湿り気を帯びたソレが人に夏を伝えて。

 例えこの世界がなくなったとしても、新しく始まるその場所で、ソレは緩やかに季節を巡っていくらしい。




-fin-



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【中編】来世の僕に、よろしく 音乃色助 @nakamuraya

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