第17話
真っ黒な雲が空を覆い、ポツポツと雨が地面を濡らし始める。
外で仕事をしていたユレンたちも、今日は切り上げ、解散することにした。
だらだらと帰り支度を始めたが、雨は止むどころかたちまち強くなっていった。少年たちは足早にその場を後に帰路につく。
「急に降ってきたな……」
ユレンは、激しい雨と覆う雲で灰色となった世界を走る。すでに体はびしょ濡れで、肌に張り付く服が煩わしくて仕方がなかった。
灰色に染まった空は一向に晴れる様子はなく、ただひたすらに全てを洗い流すかのような雨が堕ちる。地面は雨水で浸食され、いくつもの水たまりを作る。
水たまりを飛び越えながら、ユレンは走る速度をあげた。体を伝う雫は体温を少しずつ奪い、体の芯から冷えていくような感覚をユレンは覚える。
「さむい。下手すりゃ風邪を引いてしまう」
もうすぐ秋が終わり、本格的な冬が始まる。凍えるような冬が訪れるが冬が来るのは毎年変わらない。問題は、おそらく冬の終わりから春の初め頃に始まるだろうと言われている戦争だ。
厳しい冬を乗り越えても、先に待っているのは戦争という因果。汗水たらし収穫した作物の多くは搾取され、冬を越せるかどうかもわからない。野獣は冬眠につき、魔物は多くの獲物を探しに南下する。この先、狩りの獲物も見つからなくなる。
村全体で厳しい冬になる、ユレンはそう確信していた。そんなことを考えている内にいつの間にか家のすぐ目の前まで着いた。
家に着いても雨の強さは変わらず、しまいには雷もなり始める。ユレンは服を絞り、水を落としながら荒れた空を眺めた。
「こりゃ早めに切り上げて正解だったな」
仕事を切り上げた判断は間違っていなかった、とユレンは安堵し明日には止んで欲しいと切に願った。
魔法を使い、ある程度乾いたことに満足したのかユレンは魔風を止め玄関を開け、家に入っていった。
「ただいまぁ—————」
「ふざけるなぁっ!お前らはうちの子をっ、何だと思っているんだぁっ!」
鈍い何かを叩く音がしたかと思うとガシャンと陶器が割れる音が続く。玄関を開けてすぐとてつもない怒声がユレンの耳に響いた。その声の正体はレントだった。
ビリビリと大気を震わせるような声を上げるレント。その顔は悪鬼のようで、いつも浮かべる笑みはどこにもない。ユレンはそんなレントの表情を初めて見た。
なぜこんなことになっているのか、ユレンは家の中を見渡す。家の中心に位置する大きな机には、レントとナツを抱いたユーリ、そして向かい合うように二人の男性が座していた。
目を凝らし、よく見ると、その二人はこの村の村長と二日前に村に来ていた役人だった。
村長は憤慨した様子のレントをなだめようと腰を浮かせ、手をかざす。普段温厚なレントを知っているためか驚いた様子でぎこちない笑みを浮かべる。役人はそんな村長を横目で見ながら、レントの睨みを歯牙にもかけず退屈そうに息を吐く。
「う、う、ひくっ……うええええんっ」
レントの怒声に驚いてしまったのか、ユーリの膝の上にいたナツは泣き始める。大粒の涙がナツの大きな目から零れ、頬を濡らす。必死に零さないように、流れないように手で目を擦るが止むことはない。
「ナツ、大丈夫よ、泣かないで」
ユーリは慌てながらも優しくナツの背中をさすり声をかけるが、泣き止む気配はない。レントは泣いているナツに目も向けず、怒りを隠そうともせず正面に座っている二人を睨む。
「ひっぐっ、ひっぐっ…ぁあ、お兄ちゃぁん!」
ユーリに抱き着き泣いていたナツ。だが、状況が呑み込めず棒立ちになっていたユレンを見つけるとユーリの膝から飛び降り、未だ不安定な足取りで走りユレンの足に抱き着いた。
ユレンはギュッと強くズボンを握りしめ、顔をうずめるナツの頭を撫でると目線を合わせ優しく言い聞かせるように声をかけた。
「ただいまナツ。そんなに泣いたら、せっかくのかわいい顔が台無しだぞ」
「ううう、だってぇ…」
「ほら、いつもの笑顔のナツになって。ほら、にひひ」
「……にひひ」
笑顔を見せるナツに安心し、ホッと息を吐きだすユレン。静かに顔を上げると苦虫を噛み潰したような顔をしたレントと目がかち合った。
「ただいま父さん、母さん」
「あ、あぁ…おかえり。……今日は早かったな」
「雨強かったし、雷も鳴り始めたから早めに切り上げたんだ。……雷の音、聞こえなかった?」
「そうだったのか……。聞こえて、なかった、な」
心ここにあらずといった様子のレント。そんなレントに割り込むように、ユーリが椅子から立ち上がった。
「おかえりなさいユレン、騒がしくてごめんね、お腹空いてるよね?ご飯の準備するわね。……話はお父さんと村長さんたちに聞きなさい」
力なく笑い床に落ちた湯呑みを拾うユーリ。無理をして笑顔を見せなければいけない理由が、ユレンにはわからなかった。
「わかった、ありがとう。……ほらナツ、お母さんのお手伝いしてね。今日のご飯、ナツが作ったのが食べたいな」
「わかった、特別だよ!」
いつもの調子を取り戻したのか、ユレンの言葉を聞くとナツは、ユーリの方へ向かっていった。
ナツの機嫌は直ったが、状況は何もわからない。いつものように接するも、どこか狼狽した二人に、ユレンは動揺を隠せなかった。自分がいない間に何があったのか、ユレンは先ほどまでユーリが座っていた椅子に腰かけ、村長たちに目を向ける。
「いやぁ、ユレン君。仕事終わりにお邪魔しちゃってて申し訳ないねぇ」
愛嬌のある笑顔を浮かべる村長。いつもならばどこか憎めないその笑顔も、今回ばかりは薄っぺらく感じてしょうがなかった。人の笑顔を不快に思ったのは初めての経験であった。
「いえ、大丈夫です。……今日はどうされたんですか?」
「実は今日はレントさんたちに話があって訪ねたんだけど、ユレン君が来た今こっちとしても都合がよくてね。話を聞いてもらおうかな。レントさん、お話してもよろしいですよね?」
「してもらって構わない。何を言っても無駄ですよ」
握られた拳を机に置き、怒りを隠そうともしないレント。ユレンの方には目を向けず、ただただ村長たちを睨みつけていた。
レントのあまりの態度に苦笑しつつも村長は話を切り出す。
「ユレン君、君には今回の戦争に志願してもらいたいんだ」
「……え?」
なにをいっているのか。村長の言葉をユレンはすぐに理解することができなかった。村長の口から出た言葉はユレンの希望を失わせる絶望の宣告だった。志願、この男は志願しろと言ったのだ。この家を捨て国のために働けと。
深き闇に引きずり込まれるような、底の無い泥濘に飲まれるような感覚になる。
「な、え、俺が、ど、どうして……」
まるで息ができない。呼吸すら上手くできず舌も上手く回らない。ユレンの形相はみるみる青白くなる。
「今回の徴兵なんですが、うちの村から若い志願者があまり居なくてね。それで村の重鎮と話しあった結果、レントさんの息子のユレン君に白羽の矢が立ったんですよ。ユレン君は村でも優秀でしたからね、ユレンくんが志願してくれたら若い衆もこぞって志願してくれると考えたわけです」
ユレンは村長の言葉、現実が受け入れらない。言葉を発しようにも上手く言葉が出ない。レントはそんなユレンを見かねたのか、顔を真っ赤にしながら机を叩き声を上げる。
「ユレンはまだ成人していないっ!軍の規定では従軍は成人からのはずだ!……それに志願するかどうかは自分で決めるもので、あんたらにどうこう言われる筋合いはない!」
ユレンはまだ少年の域を出ない。レントは国を守るための戦争にはなんの不満もないが、まだ若く守られる存在であるはずの息子が兵士として志願するのは納得がいかなかった。家族の生活を背負わせている息子にさらに重荷を増やしたくない。レントは叩きつけた左手に痛みを覚えながら自分の無力さにも怒りを覚える。
「えぇ、わかりますとも。しかし、何事にも例外が存在するのは確かでしょう?ユレン君はその年で既に大人顔負けの魔法や、
「それでもまだ子供だ!戦場に行くのは大人の役割、この国を、未来を守るための戦いに、どうして子供を巻き込むんだ!」
「成人まであと三年ほど、誤差でしょう。それに増税、戦争に志願者を出さない際の税をレントさんは十分払えるのでしょうか。ユレンくんが志願すれば税がないだけでなく報酬まで出るでしょう」
「税は確かに厳しくなる。それでも危険すぎる!」
言い争いはヒートアップし、お互いの意見は交わることは無い。言い争う二人を呆然と眺めるユレン。自分のことを話していはずだがどうにも考えがまとまらない。志願した際のメリットとデメリットが思い浮かんでは消え、思い浮かんでは消えた。
なぜ、どうして、と頭のなかで思考するも泡のように消えていく。こんなことになるのなら、過剰なほどの才能なんかいらなかった。だが、この力がなかったらここまで安定した生活ができなかったのも理解していた。
「レントさん、よく考えてください。志願すれば給与がもらえるんです。それに、ユレンくんの実力を見ても追加の報酬はしっかり貰えるはずです。今の生活から脱するチャンスですよ。ユレンくんが志願すれば、安定した生活、暮らしができるんです。…ユレン君も大変な思いで今を過ごしているでしょう?家族の、それに国のために志願してくれませんか」
「……そう、です、ね。それは、わかって、います」
今、この家はユレンの働きによって生活できているといっても過言では無い。ナツも生まれレントが怪我をした今、毎日の仕事に加え、狩りを行い食料を得る。その全てがユレンの働きだった。だからこそ給与、その多大なる報酬、そして税の減は魅力的だった。一時的でも給与と報酬が手に入る、それはこのユレンに頼りきった不安定な生活からの脱却も意味しているからだ。
「……やはり危なすぎる!ユレンが行くくらいなら俺が行く、子供を戦場に行かせて家で寝てろってか、そんなの俺には無理だ!」
「レントさん、残念ながらあなたのその腕では志願しても追い返されるだけです。レントさんが悪いわけではありません、あれは不運だったんですから」
「ぐっ、くそ……。それでも俺は……」
村長の言葉にレントは歯を食いしばり、悔しそうに下を向く。握られた拳の振り所はどこにもない。ユレンも、レントにつられるように俯く。沈んだ二人を眺める村長、話疲れからか静かに息を吐くと、先ほどから何も言わず黙っている役人に話しかけた。
「すみません、こちらの問題に巻き込んでしまって」
「いやなに、構わないよ。最低限の志願兵が確保出来れば私はいいからね。……しかしまぁ、この子が本当に魔法も
そういって視線をユレンに向ける役人。視線を感じ、顔をあげるが代官の不躾な視線にユレンは目をそらした。
「この子は本当にすごいんですよ、この村の誇りですよ」
「ハッタリだったらどうなるか、私の時間を使う価値はあるのだろうな」
「は、ははは。も、もちろんです」
村長と役人はユレンを話題に話を続けた。不躾で無神経な人間。まるで自分の事のようにユレンの話をする村長と値踏みするように眺める役人。雨の降る音すら耳障りに感じるほどの不快感をユレンは覚えた。
「さて話も終わりましたね。ユレン君、考えはだせましたか?」
「……今は答えが出せそうにありません。家族としっかり話し合って、決めたいです」
「そうですか……。なら今夜いっぱい考えてみてください、明日には正式に軍の方々が来られるそうです、いい答えが聞けることをオリヴィア様に祈っています」
「……はい」
ユレンの返事を聞くと村長と役人は立ち上がり帰る旨をレントたちへ伝える。レントは不機嫌な様子も隠さないまま顔を背ける。
「……それでは行きましょう、今日はいい酒がありますし」
「それは楽しみだな。期待しておこう」
「ユーリさん、お邪魔しました。夕食前にすみませんね」
「いえ……」
ユーリは無理に頬を上げる。自分の息子を戦場へ追いやろうとしているものをどうして歓迎できようか。ナツはユーリの足元に隠れ、村長たち二人を見ようともしなかった。
玄関をくぐり外に出ると雲により日は隠れ、絶え間なく降り注ぐ雨は止む気配が感じられない。外套を纏い外に出た村長らを見送るため、ユレンは玄関を出る。
「それではユレン君、また明日」
「はい、さようなら……」
あいさつをし、背を向ける村長。しかし、役人の男は村長を追うことなくユレンへ近づく。
「おい、お前」
そう言うと、ユレンの肩を抑え、耳元に口を近づけると小さな声で囁く。
「選択肢など、あると思っているのか」
上がる口元をフードで隠し顔を離す役人。ユレンは何か言い返すことも、動くこともできなかった。握られた拳の振り所は見つからない。
「
振り向くこともせずそう言って、役人は歩きだす。立ち去る二人の姿を眺めるユレン。全てが憎い。力のない自分が。この呪われた運命が。
役人の言葉はユレンを揺さぶり、その心に鋭く深く刺さる。無力な少年、無知な村人にはどうしようもできない現実があった。
「何もできやしない……俺は……」
握られた拳から滴る赤い雫、何かをこらえるようにつぶやくユレン。これは運命という名の呪い。理不尽という名の暴力はいつも力なきものに振るわれ、その全てを奪い蹂躙する。力がないからその理不尽に対抗できやしない。
ユレンは曇天なる空を見上げる。雨よ全てを洗い流せ、ユレンはそう願わずにはいられなかった。そんな望みの雨は来ず、日を阻む暗雲は静かに希望を遮った。
ユレンの頬を流れる雫は、止まることを知らずに零れる。その雫が雨なのか涙なのかは誰にもわからない。
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