第16話
ユレンの十三回目の誕生日を迎える前に、村にも正式な戦争の知らせが来た。
馬車に乗って来た代官と名乗る男は広場に村人を集めると馬上から見下ろすように村人を眺め尊大な態度で羊皮紙を目前へ広げる。
「これは神託である」
そう言って男は話し始める。内容としては戦争が始まり、戦争はリヴォニアの北側にある国、ぺーゼで起こるということだ。ペーゼはリヴォニア北部の山岳を超えた先に広がる小国群の一つであり、リヴォニアと友好的な関係であるらしい。
ユレンからすればこの世界の地理は周辺の村々しかわからなく、この村がリヴォニアのどこに位置しているのかもわからないというのにペーゼという国で戦争をすると言われても仕方がなかった。
男の話は続くものの、なぜ戦争が始まるのか理由も説明せず、聞こえてくるのはこの戦争の正当性と優位性ばかり。相手は欲に染まった略奪者だの神に愛された我々が負けるはずがない、と事実かどうかもわからない言葉を並べ、その場にいる村人たちを煽る。
村人たちはそんな都合のいい言葉を疑いもせず神聖なる神の名を叫び崇め、下賎な相手国を罵り、戦争、戦争と、もの知らぬ子供のように叫ぶ。
大人子供関係なく巻き起こる熱狂の嵐。その熱気に当てられ、代官の語彙や言葉尻も強くなっていく。
「神は道を示された。よって我らはその教えに従うのみ」
男はそう言うと持っていた羊皮紙をしまうと連れてきた下働きの男たちに指示を出し広場の中心に立て札を立てる。
「今から伝えるものは全て徴兵のための条件である!文字の読めないものは聞き逃すことのないように」
村人たちは静まり、男の言葉に耳を傾ける。
「一つ、参加するものは身体ともに健康であり、成人した男性であること。ただし強い希望、能力があれば女性も可である」
この世界では魔法や
ところが、女性だけで組まれた部隊などもあり軍に憧れる女性も少なくない。
「二つ、戦闘用の魔法、
どの国でも魔法や
「三つ、参加した者の家には税の減を許す、以上である。今日から二日後にまた村を訪れる。その時までしっかり考えておくように」
男は言い終わると下働きを連れ立ち去っていく。その場に残された村人たちは高ぶった気持ちを抑えることができないのか、どこか興奮した様子で周りにいる人々と話し始めた。
「ユレン、いよいよ戦争が始まるらしい。この先どうなっていくんだろうな……」
ユレンの横で話を聞いていたレントも周りの雰囲気が気になるのか周りを見渡しながら無くなった右腕を気にするようにしながらユレンへ話かけた。ユレンはさっきまで男たちがいた場所をジッと見つめたまま答える。
「聞いてて思ったけどけど、みんな戦争に前向きなんだね。……正直、乗り気じゃない人のほうが多いと思ってたよ」
「なにを言ってるんだ、俺たちが暮らすこの国に攻め込んで来てもおかしくないんだ。もし俺たちが戦って守らなければ最悪この国が滅んでしまうんだ。志願しない理由がないさ」
レントにそう言われ、ユレンは何も言えない。唇をキュッと結び、ひどく顔を濁らせた。そう、誰も守ってはくれないのだ。前に野盗が来た時のようにこの世界において暴力に対抗するには暴力を使うしかないのだ。
ユレンにとってこの国とはただ自分が今住んでいる環境なだけであって、守るほどの愛着や愛国心があるわけではなかった。いざとなれば、この地を捨てて逃げてしまえばいいとも思うほどだ。
しかし、そんなことを考えられるのはユレンだけであった。この国に生まれ、この国で育った者たちは皆、この国を神オリヴィアを愛し、信仰しているのだ。自分の身を国に、神のために捧げるように戦うことを望むのだ。
実際に人々にとって国とは、自分が生まれた地であり自分を生かしてくれる居場所であるため、どれだけ苦しい税があり苦しいをしても、簡単に国を捨てて生きていくことはできない。そんな考えを皆持っていた。
力があるものならまだしも、何の力もない農民が国の助けなしで生きていくことは不可能であり。村を出ても食料を得ることは困難であり魔物や野獣に襲われて死ぬ、と理解していたからだ。だからこそ自分たちの居場所となる村、国を大切にしている。
そして神とは理不尽に対する心の支えとして存在している。理不尽には理不尽しか抗えないのだから、無力な農民には神に祈るしかないのだ。そこに信仰が生まれ、文化が栄えた。人は、神という理不尽に飢えているのだ。
ユレンにとって、この戦争は国同士が自分の都合で勝手に始めたものであり自分には何の関係ないと不満が募っている。
国とはどれだけ人が貧しくても苦しくても税を減らさず、都合の良いときばかり利用する捕食者。神とは理不尽という幻想を売りにし、人々の心を支配する道化。自分の命を使う対象にはなり得ないのだ。
考えの沼にはまっている間に少しずつ周りから人が去っていく。レントもそれに気づいたのか周りを見渡し、ユレンへ話しかける。
「国の役人もいなくなったし、そろそろ仕事へ戻るか。……ユレン聞いてるか、戻るぞ?」
「え?あ、うん……。僕も仕事場に戻るよ」
「大丈夫か?なんか様子がおかしいぞ、具合でも悪いのか?」
そういってユレンの顔を覗き込むレント。ユレンは慌てたように首を振ると笑顔を顔に貼り付け、表情を取り繕う。
「大丈夫、少し現実離れした話を聞いて驚いただけ。いってくる!」
「そうか、ならいいんだ。無理するなよ!」
「わかってるって、父さんも気をつけてね」
ぎこちない笑顔を浮かべるユレン。そのままレントに背を向け走り出す。ユレンの様子に首を傾げるレントであったがそれも一瞬でありすぐに仕事場へ向かう。
戦争への底知れぬ不安と、突然の理不尽に対する怒りでいっぱいのまま、ユレンは駆ける。
——————————
役人が来た翌日、村は今でもそわそわとした様子の人が多く見られ、戦争への興奮を抑えられていないように感じた。
いつもと変わらない仕事をしていても、どこか様子のおかしい者が多く、それはユレンの働いている場所でも同様に見られた。
若者は戦争への興味を隠すことができず、度々戦争に参加した自分が活躍する想像や夢を語っていた。対照に老人たちはそんな少年たちを見ながら、どこか暗い表情を浮かべていた。
「戦争なんてむごいものに夢なんぞ持ちおって……」
「思い出したくもない」
「じいさんたち、戦争に参加したことがあるのか?」
ユレンは聞いていたのか老人たちに話しかける。老人たちは、ユレンに静かに目を向け、まるで口を無理やり押し開けるように話し出した。
「……わしらは何もしなかったし、できんかった。戦争にはいった、昔の話じゃ。その当時、わしらはこの子らのように戦場での活躍に胸を踊らせていたんじゃ。……しかし、戦争が始まるとその期待もすぐになくなった」
老人の独白に話をしていた少年たちも自然と耳を傾ける。眩い光を放っていたはずの太陽がどこから流れてきたのか大きな雲に隠れ、辺りを影で覆う。
「敵と相対した瞬間急にな、くるんじゃよ。ゾワワーっとな」
その老人はボーっと地面を見つめ、過去のことを思い出しているのか口を閉ざし、黙りこんだ。雲の影により老人の顔は見えない。
「くるって……何がだよ」
老人を急かすように一人の少年が声をかける。耳を傾けていた少年たちは、緊張した様子で喉を鳴らす。すると、ポツリと老人は口を開く。
「……死の気配じゃよ。何を言っとるんだって思うかもしれんが、その独特の緊張感とも言える空気は、わしらごと戦場を覆ったんじゃ。……その当時、わしらは民兵の中でも比較的若く、体もデカかった。喧嘩も負け知らずじゃったなぁ。……しかしな、心は弱かった」
そうして語られるのは、幻想でも夢でもない本当の戦争の姿だった。
「敵の姿がなハッキリと見えるんじゃ、そしてその目が訴えてくるんじゃ。怖い、死にたくない、死ぬくらいなら殺してやる、とな。その純粋な殺意を向けられ、わしらは急に怖くなったんじゃ。あぁ、わしらはこれから死ぬかもしれないとな」
老人たちの空気が、まるで戦場を訪れたかのような重く冷たい空気に一変する。
「戦場に来たからにゃもう手遅れ。もう尻尾巻いて逃げることもできず、戦いは始まってしまったんじゃ。……ここからが地獄じゃったわい」
老人は恐怖でなのか震えながら、訴えかける。
「走り、叫び、ぶつかり合う人と人。血を肉をまき散らし、終わることのない人の波。怒号と悲鳴は止まらず、今も耳に残る……。気づいたころにはさっきまで一緒に笑っていたやつらが、もう二度と動かなくなっていた。敵の死体とともに倒れる友を、わしらは見分けることすらできんかった」
生まれた土地で眠れず戦場に骨を埋めるというその無念、それはどれほどのものなのだろうか検討もつかない。名も知れぬものたちに踏まれ、目も向けられない。そして屑のようにまとめて処理され、形も残さない灰と化す。誰の記憶にも残らずに死んでいくものもいるだろう。冥福を祈る神の使いがいても、死んでから祝福を受けることに救いがあるのか。
勝ったものにだけ、栄光は訪れる。勝者が望み、願うは、積み重なった死者の救済ではなく、奪った富、戦功の恩賞、崇め称えられる名誉。
敗けたものには悪意と暴力。敗者は何も望めない。戦士は地に沈み、その勇を称えられず、自国民から恨み辛みを向けられる。貴族は敗戦の責任の押し付け合い、誰も彼もが結果から目を背け、そこに眠ったものを見ない。
それが戦争、これが人間が重ねてきた歴史の真実、戦争の歴史だ。
老人の独白は、少年たちをそして空気をも飲み込んで続いた。
ユレンは話に耳を傾けながら、前世の記憶を思い浮かべる。
どの世界でも戦争は起き、繰り返される。残酷な現実はいつも彼らのような市民に牙をむき、無差別に食い漁り、何事もなかったかのように過ぎ去っていく。
「—————降り注ぐ魔法に当たらなかったこと、死体に隠れ敵にも味方の指揮官にも発見されなかったことだけはオリヴィア様に感謝しとる。……しかし、神は戦場じゃ無力なんの意味も持たん。信じられるのは自分の力だけじゃ、隣の者なんぞすぐに死ぬし自分のことだけで精一杯。戦場で神に祈るやつほど死んでいく」
老人たちの言葉は、ユレンたちに強い衝撃を与えた。前世では戦争とは関わりのない国で生活を送ってきた。あるとしても、ニュースや動画サイトでの情報がほとんどで、実際に目にしたことなんかない。
戦争の恐怖、残酷さを頭の中ではわかっていたものの、老人のような体験談を聞いたのは前世を含め初めてだった。改めてユレンは、戦争に強い忌避感を覚えた。
少年たちは老人の話を聞いて顔を青くし、戦場を想像して恐怖しているのか体が震えていた。
「お、俺は本当に戦場で英雄になるんだっ!じいさんたちみたいに逃げたりなんかしないっ!」
「お、俺だって!」
少年たちの中には、体を震わせながらも、自分を鼓舞するように声を張り、諦めきれない夢を叫ぶものもいた。
どんなに厳しい現実があったとしても、戦場から溢れんばかりの富と名誉が産み出されているのは、紛れもない事実。欲深く、傲慢な人間は、戦場という名の地獄から絶え間なく生まれる美酒を求めずにはいられないのだ。
老人たちはそんな様子の少年たちを見て、暗い表情を一転、目を細め笑い出した。
「はっは、これらは全部わしらの話じゃ。お前たちは、もしかしたら本当の英雄になれるかもしらんぞ?できるならば、わしらが叶えられんかった夢を叶えてほしいのぉ」
「お、おぉ!任せろじいさん!じいさんたちが死ぬ前に俺たちが活躍するところ見せてやるぜ」
「かぁぁぁ!わしらはそう簡単に死なんぞっ!ほれっ!英雄になりたきゃまずは自分の仕事を一人でできるようになるんじゃな!働け、働けぇ!」
老人たちは少年たちを挑発し、豪快に笑った。そこでは先程までの暗い雰囲気などなかったかのような愉しげな掛け合いが行われていた。
「くっそぉ……休憩終わりだ!仕事するぞ、じじいどもなんかに負けっかよ!」
「これぇ!誰がじじいじゃ!」
「やべっ、いくぞ!」
「逃げろ、逃げろー!」
顔を真っ赤にし声を張る老人から、少年たちは蜘蛛の子散らすように離れていく。ユレンはそんないつもの光景に自然と笑みが浮かぶ。
「まったく……あやつらもまだまだ子供じゃな」
「わしらも老けた。あやうく子供たちの夢を壊してしまうとこじゃったわい。いや壊した方が幸せかもしれんな……全く、年は取りたくないわい」
「壊れてしまった方がいいことだってあるじゃろ。……しかしまぁ戦争か、死に場所にはもってこいじゃな」
「かっかっ、わしら臆病者にはもってこいの墓場じゃな」
「ふん、雪辱を晴らしにいくかのぉ」
ユレンは目を見開き、先程の経験をして尚、戦争にいこうとしている老人たちに驚愕する思いで目を向けた。
「あんなに恐れていた戦争にいくんですか!?どうして……行ったら今度は逃げられないかもしれないんですよ?」
「恐ろしいのは戦争にいかない理由にならん。わしらはもう老いぼれじゃ、穀潰しにはなりたくない」
「……怖くないんですか?」
老人らはユレンの言葉に静かに笑みを浮かべる。
「戦場が怖くないわけなかろうに。じゃが、戦場なんかよりもわしらの家族、育ったこの村、そしてお前さんたちが死ぬ方が怖いんじゃ。長くない命、お前たちのために喜んでオリヴィア様に捧げよう」
「まぁ負ける気もないがの。どれ、わしらも負けじと英雄を目指すとするかのぉ!」
「かっかっか!そりゃええのぉ!」
「傑作じゃ!」
愉快そうに笑う老人たち、そんな老人たちをユレンはきょとんと呆気にとられたように眺める。そんなユレンに気づき、老人は声を張る。
「これ、ユレン坊っ!なにをきょとんとしてるんじゃ!お前さんがしっかりしないで誰があやつらまとめるんじゃ」
「わわっ!やめろって!」
そういって、雑にユレンの頭をかきなでる。ユレンは急な老人の行動に成すがままにされる。
はねのけようと頭に手を伸ばす。しかし、頭を撫でるその手はユレンとは全く違ったシワシワでヨボヨボになった手。どれほどの人生を歩み、経験してきたのか、ユレンにはわからない。けれど、そこには確かに一人一人の歴史があるのだ。
ユレンはしばらく撫でられていたが、満足した老人たちは頭から手を離し、今度は自分の長い髭を整え始めた。
ユレンは、グシャグシャになった髪をサッと直すと、老人たちに話しかける。
「……それじゃあ僕も仕事に戻ります、今日は上がってもらって構いませんから」
颯爽と立ち去るユレンの背中に、気の抜けた声をかけからかう老人たち。しかし、ユレンがいなくなった瞬間、その場はなぜか、暗く重い空気に包まれた。
「……あの様子じゃとまだ話されておらんな、おそらく今夜あたりじゃろう。全く、ひどい話じゃわい」
「あんなにいい子なのにのぉ……あの子はまだ成人もしてないんじゃぞ」
「わしらの声なぞ聞く耳持たれんかったわ。全く、もっと老人と子供を労らんかい!……少年一人のおかげで村が救われる、キレイな響きをしとるが、現実は残酷じゃ。どんなときでもそれは変わらんかったわい」
老人たちは暗い表情を浮かべ、何かを圧し殺すように言葉を交わした。
いつの間にか、晴れ渡っていた空は、大きな雲に覆われていて、今にも雨が降りそうだった。
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