第24話

 現場に駆け付けた亜香里が感じたのは、耳を劈くような轟音と震動。次いで、雪の舞い落ちる夜空を赤々と染め上げる巨大な火柱だった。

 「一体、何が…‥ッ‼」

 愕然と黒煙の立ち昇る空を見つめていると、後ろからギュギュッというスリップ音を巻き上げながら一台の黒いセダン車が急停車した。助手席部の扉が勢いよく開き、その車の運転手 斎藤 護が、厳しい声色で叫んだ。

 「乗れ!」

 危ないでしょ! とさきほどの危険運転を咎める間もなく空の助手席に乗り込み扉が閉まると、背中がシートに張りつけられる暴力的な加速感に襲われた。明らかに法定速度を無視した危険運転だが、幸いにも昨日の宣言以降、夜の街を出歩くよう人はほとんどいなかった。

 「先輩、さっきの爆発は、一体⁉」

 「狸ジジイの馬鹿が下手こきやがった!」

 苦虫を噛み潰すように顔をしかめ、直属の上司への悪態を打つ。

 「黒条 凜の身柄をいまさら確保できるわけがねぇってのに、あのバカは‥‥‥っ!」

 「まさか、機動隊を突入させたんですか⁉」

 「ああ、いわんこっちゃねぇ。おかげであのザマだ‥‥‥」

 現場の様子など見なくとも分かる、とでもいわんばかりに吐き捨てた先輩が、眦をさらに厳しく吊り上げた。

 「待ってください。どうやって黒条 凜の居場所を特定したんですか」

 「お前の妹はずっと尾行されていた」

 「華が⁉」

 「お前の妹は、四ヵ月前の事件とは無関係だが、犯行の方法について何らかの情報を有している可能性があるとにらんで、調査を続けていた」

 「え?」と瞠目する亜香里へ、斎藤は一瞥もくれることなく謝罪の言葉を口にした。

 「すまない。身内に容疑者の関係者がいる以上、お前に教えるわけにはいかなかった」

 「‥‥‥はい。分かってます。もし知らされていれば、私は今回の捜査を外されていたはずです。だけど――――」

 パンッ、と乾いた音が車内に響き渡った。

 じんじんと痛む掌を、もう一方の手で押さえながら亜香里は眼に薄っすらと涙を浮かべながら告げた。

 「たとえ相手が誰であれ、どんな理由があったとしても、妹を危険に巻き込んだことは許せません」

 「あぁ、全くだな。これでお前の妹に何かあれば、俺は刑事を辞めるよ」

 「‥‥‥っ! そんなの、卑怯ですよ」

 「そうならない為にも、全力で黒条 凜の身柄を確保する。もし抵抗するようなら‥‥‥」

 先輩が何を言おうとしていたのかは聞かずとも分かった。亜香里も思いは一緒だから。

最愛の妹を守るためならば、自らの手を血で汚す覚悟はとっくに出来ている。



 ビルの真下では墜落したヘリの搭乗者を救うべく、警察、消防、医療関係者たちによる懸命の救助活動が続いていた。さながら、地面に落ちた砂糖菓子に群がる蟻のように。

 十二月の夜空。濛々と立ち込める黒煙の中を陽気に鼻歌混じりに舞い踊る彼女は、数分前に人を殺めたことなど欠片も感じさせない涼やかな表情であった。

 「‥‥‥どうして?」

 ボソリと漏れ出た呟きに、凜は妖艶な微笑とともに応じた。

 「私たちの邪魔をするからだよ」

 「だからって、殺す必要はなかった‥‥‥」

 悄然と顔を俯ける私に、凜はくつりと喉を鳴らす。

 「やっぱり優しいね、華は。誰にでも優しくって、誰かの痛みを自分のことのように思いやれる。そんなアナタに、私は―――」

 そこで言葉を切り、凜は小さく頭を振った。

 「いいえ、私たちと言うべきかしら‥‥‥。私たちは憧れていた。アナタが私に、黒条 凜に憧憬の念を抱くのと同じように、白柳 華の人間としての在り方に憧れていた。だけど、気付いてしまったの。憧れているうちは、その願いが叶う事は永遠にないって」

 「私だって、凜に憧れてるよ。私にないモノをたくさん持ってるアナタに追いつきたくて、いつか対等に肩を並べられるようになりたくて‥‥‥。アナタに貰ったものをいつかちゃんと返したくて‥‥‥だから‥‥‥私は…‥‥」

 それ以上は言葉にならなかった。涙で滲みかけた視界が、不意に凜の指先にきらりと光るモノを捉えた。目を凝らすと、それは四ヵ月前、消息を絶つ直前に凜に贈った銀の花を象った指輪だった。

 「その指輪―――っ‼」

 「ッッッ‼」

 反射的に、指輪をはめた手を凜はもう一方の手で覆い隠した。

 「やっぱり‥‥‥そうだよね‥‥‥」

 「何が?」

 不敵にほほ笑んではいるが、その裏にある動揺を隠しきれてはいなかった。

 「ううん。私の知る凜はもうどこにもいないんだって思うとすごく怖かった‥‥‥」

 目元を乱暴に拭い顔を上げる。

 「だけど、違った。凜は何も変わってなんかいない。あの頃のままだよ‥‥‥」

 「可笑しなことを‥‥‥。私が変わらないですって? なら訊くけど、アナタの知る黒条 凜は大勢の人を洗脳し、死に導く殺戮者だったとでも? 違うでしょ。アナタの知っている黒条 凜は、誰にも心を開かず、この世界の在り方を憎悪する、そんな存在だったはずでしょ?」

 冷厳と言い放たれた言葉は、周囲の喧騒に紛れてさえスーッと私の耳に入ってきた。

 「そうだね。本当にそう‥‥‥。だけど、それはアナタの一部に過ぎないんだ。だって私の知っている凜は、本当は誰よりも弱くて、誰よりも優しい。そんな人だから‥‥‥。それに‥‥‥その指輪を見て…‥‥私、思ったの――――」

 一拍の間を空けて、私は十二月の星空に浮かぶオリオン座を見つめながら言う。

 「凜がどんなに悪い人だったとしても、私の凜を好きだって気持ちは何も変わらないって」

 「―――――ッ‼」

 「だからね、一人でまた孤独になろうとしているアナタを放ってなんかおけないよ」

 「‥‥‥‥‥‥」

 「今度は私が、凜を孤独(そこ)から救い出す‼」

 毅然と言い放った私の体を、淡い光彩が包み込んだ。

 「そんなこと‥‥‥」

 「出来る…―――っ‼」

 凜の言葉を遮って叫ぶ。

 「じゃあ訊くけれど、どうやって黒条 凜を救い出そうというのかしら? どのちみち私を殺さない限り、人々の頭の中に埋め込んだ私の魔法で、二日後には大勢の人が死ぬわよ?」

 「そんなことさせない」

 「だったら、私を殺すしかない。それとも、それがアナタのいう救済なの?」

 「それもしない」

 「‥‥‥じゃあ、どうするの?」

 「皆を助ける、凜も助ける。私は全部を救う!」

 「そんな魔法みたいなこと――――」

 「出来るよ。だって私は――――魔法使いだから」

 「―――ッ⁉」

 フワリと身体が宙に浮きあがり、そのまま凜の眼前まで進み出る。

 「終わりにしよう、凜。アナタにこれ以上誰も傷つけさせたりしない」

 そこで初めて凜の面貌が苦悶に歪んだ。

 何かに耐えるようにきつく唇を噛み締め、ゆっくりとそれを解く。

 「本当に、私を救ってくれるの?」

 それは、何の感情も伺わせなかった、もう一人の凜ではない。

四ヵ月前、何度も言葉を交わし、肌を触れ合わせてきた彼女―――凜が、そこにはいた。

 こみ上げてくる熱いモノで喉を詰まらせながら、私は言う。

 「うん‥‥‥必ず。アナタをそこから救い出してみせるよ」

 凜はそれを訊くと小さく肩を震わせ、やがて顔を伏せる。

 「ありがとう、華」と細かく震える声を洩らした。

 途端、凜は俯けていた顔を弾かれたように上げ、激しく呼吸を乱しながら半歩後退った。

 「まさか、あの子の自我がまだ残っていたなんてね」

 涙で濡れる面貌には似合わない、憮然とした眼差しで私を睨みつけながら、

 「アナタに私と黒(あ)条(の) 凜(子)は止められないわよ!」

 「それでも私は、みんなを救いたい」

 「‥‥‥ッ! なら、やってみればいい。そんなこと叶わないって教えてあげるわ!」



 『ご覧ください。我々は現在、先日関東一円の電子機器を介して流れた犯行声明。その実行犯が潜伏していると思われる現場にきています! 先程、入りました情報によりますと建物内に突入した機動隊員は全員死亡―――全員、死亡したとのことです!』

 ベッド脇に置かれた十九型のテレビから、現地リポーターの男性の声が流れていた。

 映し出された映像は、墜落したヘリから立ち上る黒煙と炎によって埋めつくされている。

 鈴は、その様子を病室のベッドの上でぼんやりと眺めていた。

 『ちょっと待ってください! あれは‥‥‥、人です! 宙に人が浮いています‼』

 いよいよ興奮を増していくリポーターが指さす方角にカメラがズームされる。立ち昇る黒煙が邪魔で、途切れ途切れにしか窺い知ることができないが、確かに宙に人が浮いていた。

 銀色のロングヘアが風に揺れ、さながら童話か神話の中から抜け出してきたような浮世離れした風体であった。実況を続けるリポーターも、これ以上何をどう言えばいいのか言葉が見つからない様子だった。それはそうだろうと、鈴は納得した。

 この映像を見ている一体誰が、画面に映る少女を、先日の『一人一殺』宣言を流し、二百人以上もの罪なき人々を虐殺した犯人だと信じるだろうか。

 しかし、少なくとも僕だけは知っている。

 今、世間を騒がせている彼女は、間違いなく生きていてはいけない存在であると。

 人権だとか、未成年であるとか、少女だとか、そんなモノは一切合切かなぐり捨てて、全力で彼女の息の根を止めるべきなのだ。しかし、それが叶わないことも僕は知っている。

 彼女の使う超能力―――魔法については(華の協力のおかげで)色々と調べることができた。

そこで得た結論は一つ。あの力は現代科学では解析不可能の力であり、地球上では実現不可能な万能の異能なのだ。

 そんな力を手に入れ、制御不能になった彼女を止められるとすれば、それは同等の力を持つ者しかいない。

そして―――その誰かは、きっと今頃。

 「あぁ! 二人目です! ビルの中から誰か‥‥‥いえ、信じられません。飛んでいる⁉ 新たに建物内から飛び出してきた‥‥‥あれは女の子か? えぇ、何と言ったらいいのか‥‥‥。私は夢でもみているのでしょうか⁉ 人間が何の道具も使わずに宙に浮いているなんって‥‥‥」

 画面上には、宙で向かい合う二人の少女が映し出されていた。



 車が止まると同時にドアを開け放った亜香里は、封鎖テープの下を潜り抜けた。そのまま燃え盛るヘリを横目に廃ビルの中へと駆けこんだ。錆びだらけの非常階段を二段飛ばして駆けあがり、既に事切れた十数名の機動隊員たちが転がるフロアの中ほどまで進むと、足を止めた。

 見つめる先には、大型トレーラが衝突したかのような穴が開いていた。辺りに転がる瓦礫は新しく、つい先ほど開いた穴であることが容易に想像できた。

 その向こう側には、濛々と立ち昇る黒煙と赤々とした炎の灯りが窺えるのみで、そこにはもう妹の姿はどこにも見当たらなかった。

 「‥‥‥華‥‥‥」

 間に合わなかった。亜香里はその場に膝から崩れ落ちた。全身から急速に熱が退いていくのが判る。体が氷に転じていくようだった。

その直後、激しく息を乱しながら非常階段を駆け上がってきた先輩が、静かに私の側に歩み寄り、労わるように背中を叩いた。

 「‥‥‥辛いよな、刑事って。だからまぁ、今のうちに泣いておけ」

 そこで亜香里の涙腺が決壊した。子供みたいにわんわん声を上げて慟哭した。

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