第23話

 『一人一殺』宣言の影響により街は異様な雰囲気に包まれていた。

 その様子が空を浮遊する華には明瞭に見て取れる。

 街のいたる場所でパトカーや救急車のサイレンがひっきりなしに鳴り響いている。

 その光景にきつく唇を噛み締めた。奇跡の使者として、これまで大勢の人々を救ってきた華にとって、傷つく人々を見捨てることは耐えがたい苦痛だった。今、駆けつければ救える命がいくつもある。しかし、その元凶である凜を止めなければ、それ以上の人が犠牲になってしまう。

 一人一殺。言葉にすればたったの四文字で済む。だが、その意味とはとてつもなく重い。

 宣言によって罪を犯さなくてよかったはずの人たちが殺人という、人としての禁忌を犯し、また罪なき人々がその犠牲になっている。

 政府もテレビやSNSを通じて必死に国民へ呼びかけているが、それも決壊寸前の運河を辛うじて堰き止めているに過ぎない。

 そうなる前に、何としてでも凜に魔法を解除させなければならない。

 でなければ、政府や警察は、凜を抹殺しようとするだろう。いや、もう既に動き出している可能性すらある。いくら関東一円の電子機器を操り、大勢の人々を操ることの出来る魔法使いと云えども助からない。だからそれより早く凜を説得し、何らかの対策を講じねばならない。


 そして、約束の場所へとたどり着いた。

 華やかな都心の賑わいから忘れさられたようなその場所は、元々古い廃ビルだったが、改めて見てみると、外壁のほとんどが罅割れ、元は駐車場だったのであろう地面からは好き放題に雑草が生い茂っていた。

 しんしんと雪の降る空を滑空してビルの屋上に着地。

 雨風に晒された天井の床面には、いくつものひび割れが走っていた。よく今日まで倒壊せずに持ちこたえたものだ。と、その時、遠くで聞こえてくるサイレンに紛れ、どこからか美しい音色が流れていることに気づいた。

 「そこにいるのね、凜」 

 静かに呟き、そのまま屋上から七階まで『回』の形をした、吹き抜けへと歩み寄る。その縁に足をかけ、眼下を覗き込む。

 舞い落ちる雪は月明りに照らされ、夏の川辺の蛍のように、その真下を優しく照らしていた。

その中央に置かれた一台のグランドピアノ。

 聞こえてくる音色は『フランツ・リスト 愛の夢 第三番』。それはピアニストであった母が最も愛し、よく弾いた曲。

 そして、演奏席に座るのは処女雪のように白い髪をした白皙の少女。

 演奏を続けながら顔だけをコチラに向けた少女―――凜は、妖艶に微笑み、唇の動きだけで言った。

 「こっちにいらっしゃい」

 「今、いくよ」

 同じく視線で応え、そのまま宙に身を躍らせた。慣性に従い地面へ急降下、という事にはならず吹き抜けの縁から飛び出して直に全身を淡い青色の光彩『殻』で覆った。

 そのままゆっくりと演奏を続ける凜の隣にふわりと舞い降りる。

 実に四ヵ月ぶりの再開である。

あれほど再会を望んでいたはずなのに、不思議と涙は零れなかった。

代わりにあるべきものが、あるべき場所にハマったような、そんな感覚を覚える。

 チラリと隣の凜が、銀色の瞳を向けながら、

 「一緒に」と視線で合奏を促してくる。

 母さんが死んでからは意識してピアノは遠ざけてきた。鍵盤に触れれば、否が応でも母さんのことを思い出してしまうからだ。

一年前ですら、触ろうとしなかったはずなのに、気付けば私は凛と並んで演奏していた。

 演奏の訓練はしていなかったが、指がどこをどうやって叩いたらいいのかを覚えていた。

しばし、眼を閉じ、音の世界に浸った。

 演奏を終え、ゆっくりと瞼を持ち上げてから、私は隣に座る凜へ体ごと向き直った。

 「久しぶり、会いたかった」

 「私も。この四ヵ月、ずっと華のことだけを想ってた」

 頬を赤く染めるでもなく、二人は淡々と再会の喜びを口にする。

 「約束、守れなくてごめん」

 「ずっと一緒にいるって約束したのに」

 皮肉な話し方とは裏腹に、私の口元は綻んでいた。

 「仕方なかった。あぁしないと、私は自分自身でいられなかったから」

 細くしなやかな指先が鍵盤の表面を優しく撫でる。次いで、この四ヵ月間の孤独を癒すように私の首に腕を回してきた。

 お互いの吐息が耳元にかかる。触れ合った肌を通じて凜の心臓の音が聞こえてくる。

 「ねぇ、どうして? ―――どうしてあんな惨い事をしたの?」

 「それが私自身の歪みであり、望みでもあるから。佐倉 鈴から魔法の在り方については聞いたでしょ?」

 「うん。私たちの心が、花に支配されて極端になるって」

 「そう。アナタは他者の救済を願い、反対に私は他者の破滅を願った」

 そこで凜は言葉を区切り、恍惚とした声音で呟いた。

 「私はね、孤独を知らない人が許せない」

 「‥‥‥‥‥」

 「この世界で孤独でない人なんかいない。それなのに、誰もがそのことを見て見ぬふりをする。本当の孤独を知ろうともしない」

 凜の言わんとする事は何となく理解できる。

 両親を事故で亡くし、身寄りを失った私の周りに集まってきた大人たちは、両親の残した多額の遺産を欲しっていた。

 まだ十歳の少女に、大人たちは中身のないお悔やみの言葉を述べ、作り物の笑みを浮かべながら私にすり寄ってきた。

 今でも時々、考えるときがある。もしあの時、両親の死に涙する私の隣に誰か一人でも心から寄り添ってくれていたら、と。

そうすれば、今こうして魔法使いになることも、凜が私を守るために木村さんたちを自殺に導き、魔法の力に呑み込まれることもなかったのではないか?

 私たちはもう知っている。

 本当の孤独とは―――周りに誰もいないことではない。

 誰にも―――自分の思いを理解されなかった時なのだ。 

 「だから私は、世界に問いかける」

 「‥‥‥‥‥」

 「本当に大切なモノを守る為なら、偽物の孤独なんかかなぐり捨てて、選びとるしかないんだよ」

 「それが、凜の孤独との向き合い方なんだね。孤独を理解しなかった世界に、痛みと恐怖で無理矢理気付かせる」

 「そう。その通りだよ!」

 抱擁を解き、クルリと演奏席から降りた凜は、十二月だというのに裸足のまま割れた硝子片や鋭くとがった瓦礫が転がっているフロアで、一人舞い踊る。

 「自分自身の孤独を知ってほしいのなら、まずは他人の孤独を知らなくちゃいけない」

 タタタン、タタタタタン。話しながらも凜はステップを踏む足を止めない。

 「私はね、この世界が大好き。心のそこから愛しているわ」

 それは、二百人以上を死に追いやった虐殺者の言葉とは思えなかった。

 「信じられない? でも本当よ、だってよく言うじゃない。愛の反対は憎悪ではなく無関心だって。興味がないのなら最初から殺したりなんかしないものね」

 凜は依然としてたった一人の観客に、華麗な舞を披露し続ける。

 「私は世界を愛しているからこそ、虚飾にまみれたこの世界が許せない」

 ステップが激しさを増していく。言葉と同期するように、怒りを表しているかのようだ。

 「あの時、アナタを守るために私は初めて人を殺した」 

 脳裏に、木村 千鶴とその他大勢の人々の顔が脳裡を過った。

 「その時に気付いたの。この世界には、救いようのない、生きるに値しない人間が大勢いるってことに。だから私は間引いてきた。アナタが奇跡の使者として大勢を救う傍らで、私は世界に不必要な存在を排除してきたの」

 途端、凜の声音が一変した。先ほどまでの快活な響きではない、聞いているだけで底冷えするような冷酷さを孕んだ声。

 「凜‥‥‥ううん、アナタは一体――――誰?」

 いつの間にか舞踏を止めていた凜―――否、その瞳の奥に宿る氷のような冷たさは、私の知る凜とは似ても似つかないモノだった。

 「誰って、ヒドイな~。私は私だよ。他の誰でもない黒条 凜だよ」

 「いいえ違う、アナタは凜じゃない。凜だけど‥‥‥何か‥‥‥違う‥‥‥」

 ガタン、椅子を押し倒して立ち上がった私は、影の中に佇む白皙の少女を睨みつける。

 「凜は、どこ‼」

 自分でも驚くほどに毅然とした声だった。

 数秒ほど睨み合った末に、凜であり凜でない少女がクツクツと忍び笑いを洩らし始める。

笑い方もそっくりだ。だけどその身に纏う空気が違う。

 「さすが、彼女の同胞なだけはある」

 パチパチと乾いた拍手が、殺風景な空間に低く反響する。

 「アナタが、凜を操っていたのね」

 「ハハッ、酷い言い草ね。まるで私だけが悪者みたいじゃない」

 声や、話し方、髪の毛先をくるくると指先で弄ぶ仕草まで、本物の凛と酷似している。

 「私は、黒条 凜であって、そうでない人格。まぁ二重人格のようなものだと思ってもらえれば話が早いわ」

 「アナタは、一体凜の何? どうして大勢の人を殺したの?」

 最初から疑問に思っていた。以前から凜は、他者などどうでもいいと言っていた。しかし、だからといって何の罪もない人を殺そうとする残虐な性格ではなかった。昨日の宣言、あれには何か理由があるのではないか? そう思っていたが、まさか凜の中にもう一つの人格が宿っていたなんて想像すらしていなかった。

 「その言い方には誤りがあるわ。私は花によって目覚めた黒条 凜の底に眠っていたもう一つの人格よ。だから昨日の宣言も、黒条 凜 本人の意思と同じ。それに理由についてはさっき本人が話していたでしょ? 彼女は、ずっとああしたいと思っていた。だけどそれをやる勇気がなかっただけ。大勢の人に恨まれるのが怖かったのでしょうね。彼女はアナタにだけは嫌われたくなかったのよ」

 凜の顔と声で、もう一人の凜は滔々と語り続けた。

 「じゃあ、凜が自分の意思であんなことをしたっていうの⁉」

 「それについては説明が難しい。あの宣言は彼女が望んでいたことではあるけれど、実行したのは私なの。つまり二百人以上を殺したのは、黒条 凜 自身であってそうじゃない」

 回りくどい話し方だが、そこでようやくこれまでのことが腑に落ちた

 「それじゃあ、凜はまだ誰も、人を殺していないんだね?」

 半ば縋るような思いでそう口にすると、凜は数瞬、唖然としてからフフッと微笑した。

 「やっぱり面白い。ずっと彼女の中から君のことを観察してきたけど、君と彼女は不思議な存在だよ。一度ならず二度までも離れ離れになったというのに、まるで見えない糸で繋がっているような――――」

 「二度も?」それは一体どういう意味なのか訊ねようとしたその時―――。

 突然、廃ビルの窓の外から眼を灼くような閃光がフロアを照らし出した。

 「きゃあ――――っ‼」

 「ふ~ん、もう来たんだ」

 悲鳴を上げる華をよそに、凜は余裕綽々な様子で目元を手で隠しながら呟いた。

 不測の事態に慌てふためいていると、光の中からいくつもの人影が現れた。光のせいで周囲をグルリと隙間なく取り囲む一群が何者なのかを確認することができない。

バラバラバラと空気を叩きつけるような音から、外から光で中を照らしているのがヘリコプターであることを遅まきながらに理解する。そして、こんな廃れた場所に、ヘリと頭から爪先まで武装した集団となれば、相手が何者なのか推測するのはそう難しい事ではなかった。

 「け、警察‥‥‥⁉」

 「まったく、感動の再開に水を差すなんって無粋な連中ね」

 この期に及んでもふてぶてしく嘯く凜の全身を青い光彩が包み込む。

殻の中は暑さや寒さ、さらに太陽のような直視できない光すら遮断、中和する機能がある。凜はそれを利用して視界を確保しているのだ。遅れて華も全身を殻で包み込む。途端に視界が回復し、周囲をぐるりと取り囲む機動隊の姿を認めた。

 じりじりと、円陣の間隔を狭めながら機動隊が近づいてくる。

 それに合わせて凜が、ゆっくりと両手を持ち上げる。ジャキッという機動隊の人たちが腕に持つ銃から金属質な音がなる。

その時、凜が観念したように両手を相手に見えるように頭の上に持ち上げた。

その姿を機動隊員たちは投降として受け止め、銃口がわずかに下がった。

 瞬間、薄青の殻越しに、凜の口元に昏い笑みが浮かぶのが見えた。

 「駄目よ――――凜‼」反射的に叫ぶ。

しかしそれは銃を向けられている私自身や凜の身を案じてのものではなない。反対に機動隊たちの身を案じての叫びであった。

 限界以上の空気が入った風船のように殻が、その体積を膨張させていく。近くにいた私を押しのけ、残り十数メートルの所まで迫った機動隊員たちが塗装の禿げた壁まで吹き飛ばされた。

 壁に強かに打ち付けられた機動隊員の顔を覆っていたバイザーには蜘蛛の巣状の罅が走り、割れた隙間からは血が零れていた。地面に倒れた隊員たちは糸の切れた人形のように動かなくなる。

 一切の抵抗を許さず、国の治安部隊を制圧してのけた凜は、窓の外からコチラを照らすヘリの方へと向き直る。

 「だめよ、これ以上は‥‥‥っ!」

 懸命の説得も空しく、白い殺戮者と化した少女は、フワリと地面から五センチほど宙に浮きあがり―――直後、放たれた砲弾の如く外のヘリコプター目掛けて突進した。

 数秒後、殻に覆われた凜の体当たりを受けた機体はバランスを崩し、そのままクルクルとコマのように回りながら遥か彼方の地面へと墜落。廃ビル全体を震動させる轟音と衝撃が辺り一帯に響き渡った。

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