第22話

 「そう、僕が眠っている間にそんなことになっていたんだね」

 病院。白いベッドの上で身を起こした鈴の呟きに、私は重々しく頷いた。

 「あの宣言のあと、鈴と同じように突然、自殺を図った人がたくさんいたみたい。今朝のニュースで死傷者は少なくても二百人を超えるだろう、って」

 「そう」と短く告げ、窓の外を見やった鈴は、昨日のことについて訥々と語り始めた。

 「あの時、頭の中に声が聴こえてきた」

 「それって‥‥‥?」

 「うん、たぶん君が聴いたのと同じ声だろうね。どういう内容だったのかは思い出せないけど、あの時はとにかく死ななくちゃって思ったんだ。真綿で首を絞められるような、優しく、暖かい死の温もりに、あの一瞬、僕は完全に我を忘れていた」

 「‥‥‥‥」

 「事件直後の記憶はひどく曖昧だけど、聞いた話から推測するに、君が僕を助けてくれたんだろう?」

 「う、うん。でも、あの時は必死だったから」

 「それでも命を救われたのは事実なんだから、礼くらい言わせてくれ」

膝の上に置かれた私の手を掴み、鈴は言う。

「ありがとう。おかげで死なずにすんだ」

 「や、やめてよ鈴。私はべつに大したことは何も‥‥‥っ!」

 「ううん、大切なことだよ。だって君がいなかったら僕は今ごろ、こうして誰かと話をすることもできなかったんだから」

 私は言葉を失った。先日の宣言によって二百人以上もの人々が自ら命を―――否、あれは自殺なんかじゃない、殺されたのだ。あの声の主によって。そしてそれが誰なのか、私たちだけが知っている。ふっと脳裏に銀色の髪をした少女の背中が過る。

 「やっぱり‥‥‥あの声って‥‥‥」

 声は最後まで続かず―――、「ちょっと売店で飲み物でも買ってくる」と半ば無理やり話を打ち切る。部屋を出る寸前。

 「待って!」

 扉の取っ手に指をかけた所で呼び止められた。

 「なに?」

出来る限り平静を装っているつもりだが、顔を見られれば私が何を考えているのか看破されそうで、私は振り返らずに訊ねた。

 「君は何も悪くない」

 「‥‥‥ッ‼」

 「だから、君が責任を感じる必要はないんだ」

 鈴のその言葉に、私は背を向けたまま小さく頭を振った。

 「ううん、そうじゃない。あのね、本当は信じたくなかった。だけど、昨日流れたあの声は間違いなく凜のものだった。声は違ってたけど、解るんだ、なんとなく。だから私がやらないとダメなんだよ。そうじゃなきゃ、また大勢の人が犠牲になる」

 「でも、だからって君一人じゃどうにも出来ないだろ⁉ それに、どうやって彼女を止めるつもりなんだい? 警察に頼るのか? それとも黒条を説得する? ―――そんなの不可能だ!」

 強く言い切った鈴の声は、細かく震えていた。

普段は無表情で感情を表に出そうとしない彼女にしては珍しかった。

だけど、それは私の身を慮ってのことだろう。

 「私ね、凜に出会うまでずっと独りぼっちだった。生きてたって誰かの邪魔にしかならないような、どうでもいい存在だった。だけどね、凜と出会って変わったの」

 「だから―――」言葉を区切り、私はドアをスライドさせた。

 「今度は私が、凜からもらったものを返さないといけない。それは魔法使いである私にしか出来ないことだから!」 

 鈴はそれ以上何も言わなかった。最後に小さく「そう」、とだけ呟くに留めた。



 病院を後にした私は、そのまま電車とバスを乗り継ぎ、凜の自宅がある高層マンションを訪れていた。半年前まで何度も通った場所だ。エントランスに入ってすぐ埋め込み式のモニタのボタンを押す。が、反応はない。夏祭りの後にも何度かここへ足を運んでいた。忽然と消息を絶った凜の行方を調べるためだ。

 広い部屋に、綺麗な家具と調度品。傍目から見れば贅沢な暮らしに映るだろう。でも、私は知っている。凜がこれまでどれほどの孤独に苦しんでいたのかを。

 そしてこの日も、応答はなかった。おそらく誰も部屋にいないのだろう。

 それならこちらも都合がいい。私はモニタに触れ瞼を閉ざす。意識を壁の内側に流れる電子の流れへと集中させた。凜が消息を絶ってから、独学で治癒、浮遊、以外の魔法数種類を使えるようになっていた。その内の一つ『侵入』。凜ほどではないが、マンションの電子ロックを解除することくらいなら造作もない。自動ドアが軽やかな音を上げて開く。そのまま受付の人の前を堂々と横切ってエレベーターに乗り込む。行き先は四十九階。ぐぐっと加速感に包まれた鉄箱は、二十秒ほどで目的の場所に到着した。広々とした玄関に私は土足のまま上がり込む。

 部屋の中は長らく家主が不在であったにも関わらず掃除が行き届いていた。どうやら定期的にハウスクリーニング業者が上がりこんでいるのだろう。と、脱線しかけた思考を戻して、私は凜の自室へ続く扉を開いた。

 左右の壁に立ち並ぶ本棚。学校の図書館を連想させる埃っぽい匂い。たった数か月前までここで魔法の練習をしていたことが遠い昔のように感じられて目頭が熱くなった。

 唇を噛み締め、湧き上がるノスタルジアを封じ込める。ここにくれば凜に繋がる何かが見つかるかもしれないと思ったのだ。

直後、ある違和感を覚えた。

 「ピアノがない?」

 窓辺に置かれていた黒いグランドピアノがなくなっている。

 もしかして‥‥‥。

その時、ピアノが置かれていた場所の床に何かが落ちていることに気付く。

歩み寄り、拾い上げたソレは一台のスマホだった。

 「一体どうして、こんな所に?」

凜の両親が置き忘れたとは考えにくい。ならば答えは一つしかない。

電源を入れようとしたタイミングで画面に非通知からの着信が入った。

 反射的にスマホを放り捨ててしまいそうになるが、どうにか堪える。

小さく深呼吸を繰り返してから、画面に指を這わせ耳に宛がった。

 「やっぱり。華だったら電話に出てくれると思ったよ」

 実に四ヵ月ぶりに訊く、可愛らしい少女の声。聞き間違うはずがなかった。

 「久しぶりだね―――凜。手紙、読んだよ」

 「何だか不思議ね。あんな手紙を書いたのに、またこうして華と話しができるんだから」

 「うん。そうだね」

 たっぷりと数秒の間を開けてから、私は続けた。

 「どうして、あんなことを?」

 それが先日の宣言について問い質していることは明らかだった。

 電話の向こう側で「うーん」と、甘えたような声で唸り、

 「しいて言うなら、華に会うためかしら」

 快活とした声音。何の悪びれもなく凜はそう答えた。そこに大勢の人を殺めたことに対する罪の意識は感じられない。そのことについて強く非難するか、侮蔑の言葉を投げつけるべきだったかもしれない。でも、不思議と怒りは湧かなかった。代わりにこの数ヵ月、積もり続けた憤りが口を衝いて出た。

 「嘘つき! ずっと一緒だって、言ったのに!」

 「ごめん。でもああする他になかったんだ」

 その声音からは悄然とした色は伺えず、替わりに悔恨の響きが含まれていた。

 「ねぇ、華。話をしよう。全てが始まったあの場所で―――」

 「いつ?」

 「今夜。たぶんそれが、私が私でいられる最後の時間になる」

 「解った。必ず行く」

 「うん。待ってる」

 そこで通話は途切れた。

 


 さぁ、これで殺してください。

 そうして渡されたナイフを、相手の心臓に突き降ろすことができる人が果たしてどれほどいるのだろうか?

 宣言以降、テレビ、ネット、SNSでは、自らが生き残るためならば他者を殺しても構わないのか? という議論が盛んに行われ、一部では既に殺傷事件が起きていた。 

 無理もない。

宣言通り、関東一円の至る場所で突如として大勢の人が自殺を図り成功しているのだから。

それにより宣言が本物であることはもはや疑いようがない。ならば、自分が生き残るために他者を犠牲にしてでも、と考えるのは人間として当然の行動だろう。

 現在―――警察、病院を含む公共機関は宣言による影響で機能不全を起こしていた。

最早、誰もが自分の身は自分で守るしかない。生き残るには誰かを殺さなくてはならない状況へと追い詰められているのだ。

宣言による期間は三日。既に一日が過ぎ、残すところ二日の間に、最低誰か一人を殺さなくてはならない。街路に響き渡る凄惨な悲鳴。しかし、誰もが見て見ぬふりをする。他人の心配などしている暇はない。宣言は無垢な子供たちもその対象に含まれているのか、否か。

その答えは誰にも解らない。仮にもし含まれているのなら、子供たちのために獲物を生け捕りにして、子供自身に殺させるしかない。もしくは親が自らを子に差し出すことで助けるか、反対に子を犠牲にして自分が助かろうとするか―――。

 偽物ばかりの世界に、本物を。

宣言通り人々は問われていた。

 自分の命よりも他人の命を尊重するかどうかを。

 


 マンションを出ると、街灯に照らされた雪がちらほらと舞い落ちていた。

私は首に巻いたマフラーに顔の半分を埋めながら、とぼとぼと帰路についた。

 そういえば、一年前、私たちが初めて出会ったあの日も今日と同じくらい寒かった。

まだ一年しか経っていないのに、もう随分と昔のことみたいだ。

 凜に出会わなければ、今頃は学校に通うことも、鈴と知り合うこともなかっただろう。

 暗い雲に覆われた空を仰ぎ見ながら、私は願った。

 もしこの世界のどこかに神様がいるのなら、お願いですから。これ以上、私たちから何も奪わないでください。

 

 帰宅すると、部屋の中はいつも通り閑散としていた。

 昨日の宣言以降、都内各所で発生している自死事件の対応に刑事である姉さんは忙殺されているのだろう。この事件を指揮する凜を捕まえ、最悪殺そうとしているかもしれない。

だから、それより先に私は凜と決着をつけないといけない。

魔法使いに対抗できるのは、同じ魔法使いである私だけであり、それが奇跡の使者としてこれまで多くの人を救ってきた私にできる最後の救済になるはずだから―――。

 チラリと壁に掛かる時計を見やる。時刻は八時を示している。

 もうしばらく時間がある。

 私は紙を一枚取り出し、姉さんに向けて書き綴った。

 事故で両親を亡くし親戚縁者の間をたらい回しにされていた私を引き取り、ここまで育ててくれたことへの感謝の言葉。勝手に自分自身を卑下し、一年前自ら命を絶とうとしたことへの謝罪。余すことなく書き切り、ペンを置いた時には、時刻は九時を回ろうとしていた。ずいぶん集中していたらしい。

 私は書いた手紙をテーブルに残し、そのまま玄関へと向かった。

靴を履き、今日まで暮らした我が家を名残惜しく見つめてから、ドアノブに触れた。と、その時、私がノブを回すより先に、外側からガチャッと音を立ててドアが開いた。

 「姉さん‥‥‥」

 ドアを開けた先には、スーツ姿の姉さんがいた。息が荒い。恐らくここまで走ってきたのだろう。外は雪が降るほど寒いのに、姉さんの額には薄っすらと汗がにじんでいる。

 「どこに、いくつもり?」

 「‥‥‥ちょっと、近くまで散歩に」 

 バレバレの嘘をついた。昨日の宣言以降、外にはほとんど人影が見当たらない。誰もがいつ、どこで、誰に襲われるのか分からないのに、無防備に外を出歩くなんって危険すぎるからだ。

当然、姉さんが許すはずもなく―――。

 「駄目よ、行かせられない」

 私の眼を真っすぐ毅然と見つめながら姉さんは言った。

 「大丈夫だよ、ほら。散歩って言っても近くのコンビニに行くだけだから」

 精一杯の作り笑いをうかべ、姉さんの横から外に出ようとするが、ドンッと強い衝撃と痛みが右肩を襲った。ふらりとバランスを崩し段差で躓くと、そのまま後ろへ尻餅をついた。

 バタン、乾いた音を上げて扉が閉まる。 

 「アンタも知ってるでしょ? 今、外は危険なの。こんな時間に一人で出歩くなんって」

 まるで夜遅くに家を抜け出そうとする我が子を叱りつけるように姉さんは言う。でもそれが精一杯の虚勢であることは明白であった。凜からの手紙を私に渡した時点で、姉さんは魔法について全てではないにしても、ある程度は認知している。そして今外で何が起きているのかも。そこから私と凛との関連性を調べれば、おのずと答えは導き出せる。

 「姉さん、私‥‥‥」

 「駄目よ。絶対! アンタを行かせるわけにはいかない!」

 その声は震えていた。

 「違うよ。私が行かなきゃ駄目なんだよ」

 起き上がり、十センチ以上も背の高い姉さんの顔を下から見上げながら、私は告げた。

 「だからお願い。そこを通して」

 これまで一度として姉さんの言いつけに背いたことのなかった私の初めての我儘に、姉さんは何かに耐えるようにきつく唇を噛み締めながら、言う。

 「華が、行く必要なんってない。だから‥‥‥」

 「ううん、姉さん。これは私と凛が二人で始めたことだから、最後も私たち二人で終わらせないといけないの。それに、凜は今も苦しんでる。そんな凜を放ってなんかおけない」

 「‥‥‥‥‥ッッ!」

 「だから、ごめん。私は行かなきゃいけない」

 そう言い残し、姉さんの横を通り抜けようとした寸前、今度は左肩を強く掴まれた。

 「待ちなさい」

 「‥‥‥姉さん」

 これ以上止めようとするのなら、姉さんには悪いが魔法で無理やりにでも―――。

 「違うでしょ」

 「え?」

 「ごめんじゃない。行ってきます、でしょ?」

 「――――ッ!」

 「ちゃんと帰ってくるのよ。この家に、じゃないと後でたっぷりとお説教だからね」

 その言葉は、私の奥深くにじんわりと溶けていくようだった。何度か瞬きを繰り返して、目尻に溜まった涙滴を払い落として、微笑みながら私は言う。

 「うん。わかってるよ」

 そっと頷き、両手で胸を抑えながら、

 「行ってきます」

 そう言い残して、私は扉を押し開けた。


 バタン。扉が閉まると同時に亜香里は弾かれたように扉を開いた。

 「待っ‥‥‥!」

 が、古びたアパートの通路に、華の姿は既になかった。

 一体何処に、と訝しみ、辺りに視線を彷徨わせた亜香里は雪の舞い落ちる夜空を舞い上がっていく小さな人影を見つけた。

 「行ってらっしゃい」

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