第10話

 高城 亜香里の朝は早い。

 女性にして刑事課一係に抜擢された彼女に休息の二文字はない。

 連日テレビを賑わせるような凶悪犯以外にも、世間には野放しにしてはいけない野獣たちが、善人の皮を被って悪事に手を染めている。そんな世の中の害虫、とは言いすぎかもしれないが、悪党どもは一人残らずお縄につけてやる! そんな青臭い正義感を胸に、亜香里は今日も多忙な日々を送っていた。

 警視庁捜査一課は、殺人、放火を含む凶悪犯罪を主に担当している。二十代にして捜査一課に抜擢された亜香里の能力は紛れもなく本物であり、男勝りな性格に、柔術、剣道、の有段者でもある。

 そして今回、亜香里が捜査を担当することになったのは、都内の私立女子学院の生徒数人、を含む合計八名が同じ時刻、同じ場所で、集団自殺を図ったという案件だった。争った痕跡がないことから自殺であることは間違いないのだが、八人もの人間。しかもうち三人は現役女子高生が集団自殺を図ったという点から、事件は捜査一課に舞い込んできた。

 

 「えー、今回の集団同時自死事件。科捜研の方からも自殺で間違いないという報告書が上がってきているわけだが、八人が一斉に、しかも争った形跡もなく自殺するとう可能性は低い。よって本件の‥‥‥被害者の家族、友人、知人に関わらず現場周辺から聞き込み調査を行ってもらったわけだが、捜査の進展はどうなってる?」

 その言葉を受けて、よれよれのスーツ姿の先輩刑事 斎藤 護が気だるそうに立ち上がった。

 「はい。調べた所、亡くなった三人の少女は都内の私立高校楠女学院に通っており、皆、友人。しかも同じクラスメイトだそうです。さらに教師数人に聞き込み調査を行ったところ、三人とも学院での成績、態度ともに問題はなく、両親も娘の自殺の理由に心当たりはないそうです。それと同じく死亡していた成人男性数名の身柄ですが、全員が犯罪履歴を持った人物で、亡くなった女子高生を含む八名は何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い、というのが今のところの見解であり、自殺の動機につながるような証言は得られませんでした」

 「得られませんでしたじゃねえよ斎藤! 八人が同時に自殺するなんて話、何かウラがあるに決まってんだろうが! 亡くなった娘の周囲からは何も聞けなかったのか⁉」

 空気を震わせるような平 晋三 一課長の怒髪天を受けても、先輩は一切臆した様子もなく、ガリガリと頭を掻きながら答えた。

 「そこなんです」

 「あっ⁉ 何がだ!」

 「亡くなった少女等は友人関係だったそうで、常に行動を共にしていたそうなんです。成人男性の方は今、若いのを使って調べていますが‥‥‥。俺はこの少女らが何らかの事件に巻き込まれたものと推測します」

 「何か、根拠はあるのか?」

 「刑事の勘ってやつですよ」

 先輩の発言に、一課長はハンッと鼻を鳴らし、釣られてクツクツと忍び笑いが聴こえてくる。笑っていた中年刑事二人組をジロリと睨みつけてから、視線を一課長の方へと戻す。

 「なら、斎藤よぉ~、その刑事の勘ってやつでお前は捜査にあたれ、ただし! もし失敗したら判ってるな?」

 「望むところです」と、無精髭に覆われた口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべて見せる先輩に、一課長は露骨に顔を歪めながら、吐き捨てるように続ける。

 「なら期限は三か月。それまでに何らかの成果を出せ!」

 

 「ぷっは~‼」

 ダンッ、と勢いよくジョッキをテーブルに降ろす先輩に、私はやれやれと小さく溜息を洩らした。昼間の会議のことなどすっかり忘れてしまったかのように暢気にハイボールのお代わりを注文する姿に、亜香里はたまらず今後の捜査方針について訊ねた。

 「先輩。それで明日からはどう動くつもりですか?」

 「どうって、何が?」

 「狸ジジイから言われたことですよ!」

 でっぷりと肥え太った平一課長を揶揄した発言に、先輩はハハッと笑い声を上げる。

 「確かにありゃ、狸だよな」

 「笑い事じゃありません! あのジジイ、完全に先輩のこと一課から締め出そうとしてますよ! だいたい事件性があるのかも怪しいのに、その捜査で三か月以内に成果を出せって、完全に嫌がらせでしょう!」

 半年前、狸ジジイと先輩の直属の上司であった先輩刑事との間で、次期一課長を巡る派閥抗争が起こった。その結果、狸ジジイが一課長の座に就き、先輩の上司は左遷させられた。

 その後さらに、敵対派閥に属していた刑事が次々と移動、左遷させられていく中、先輩だけが未だにしぶとく残り続けている。そんな先輩は、狸ジジイからすれば敵軍の残存兵も同然であり、機会があればいつでも一課からはじき出す算段を企てている。これまでにも嫌がらせまがいの事は何度も受けてきたが、その度にのらりくらりと躱してきた先輩が、何故、今回の事件に関しては、ああも挑発的な態度を取ったのか、私にはそこが解せなかった。

 「なぁ~高城よ、お前さんは今回の事件どう見る?」

 トンッ、とジョッキを置いた先輩の真剣な声音に、私は居住まいを直した。

 「私も、亡くなった少女たちの周囲から調査を開始すべきだと思います。それに、その娘たちの学校には‥‥‥あの子もいますし‥‥‥」

 「何か言ったか?」

 「いいえ、別にこっちの話です。すみません、続きをどうぞ」

 「これは俺の勘だが、今回のヤマはこれまでとは何かが違う。いや、異常と言ってもいい」

 「異常ですか?」

 「ああ、それが何なのかはまだ判らねぇが、嫌な臭いがするな」

 何を馬鹿な、とは笑わない。酒が入るとだらしない人だが、捜査の時は別人のように変わる。それに先輩の事件に対する嗅覚は、人間離れしている。

 「一人二人なんかじゃねえ。もっと大勢、それこそ日本中を巻き込むような何か‥‥‥」

 「仮にですよ? もし、先輩が言う通り日本中を巻き込むような大規模な事件が起こったとして、私たち警察が、そんな悪に対抗できる術はあるんでしょうか?」

 「さてな、ソイツは解らん。ただ俺たちは刑事だ。成すべきことを成す、ただそれだけさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る